私の読む「源氏物語」ー87-夢の浮橋 源氏物語終巻
と責めるので、浮舟は少し外の方に向きを変えて使いの童を見ると、それは、今はこの世の最後と、浮舟が、入水を覚悟したタ暮にも、浮舟が恋しいと思った小君であった。同じ家で世話した頃は意地が悪く、子供のくせに憎らしいく威張って、憎かったけれども、母がとても可愛がって宇治にも時々連れてきていたので。小君が少し成人したにつれて、自分と小君とが、かつて互に仲良く思いあって親しくしていた子供の頃の気持を思出すにつけても、浮舟には夢のように思われる。何よりも母のことを小君に聞きたく、外の人の身の上は、自然と、何らかの機会に
次々と聞くけれども、母の生活の状況は、幽かにでも聞けないものかと、小君を見なければなんと言うことはないのに、小君を見てしまったからには、大層悲しいので、涙をぽろぽるとこぼして、浮舟は泣かずにはいられない。小君が、可愛らしげで、浮舟に少しばかり顔が似ているような気もするから。妹尼は、
「ご兄弟ではないのですかこの童と。貴女に話したいことも童にはあるようです。御簾の内へ入れてあげましょう」
と言うのを、入れて逢う事はない。現在では、この世に、私が存命している者であるとも 小君は思ってもいないのに、私が見苦しい尼の姿に変わったのを、小君に、突然もし逢うとすれば、それは恥ずかしいと彼女は思い、少し躊躇して、
「仰せの通り私に隠し隔てがあるとも、貴女が思われることが苦しくて、私は、何も言う事が出来ないのです。呆れるような、宇治院の私の様子を、この世にも稀に見る事であると、貴女は見ておしまいなされたから。それ以来正気も無くなり、魂などと言うような物も、以前の魂ではない別な物になってしまたのであろう。私は過ぎたことを、本当に一向に思出す事が出来ないけれども、紀伊守とか言う人が、世間話で浮舟の一周忌や薫の事などを、しているようであった中に、どうも昔住んでいた宇治の事であろうかと、自然、幽かに思出される事のある気がしました。紀伊守の世間話の後に、あれやこれやと、色々に昔の事を思い続けるけれども、一向にはっきりとは思い出さず、たった一人、おられた母が、どうにかして人並に縁づけたいものと、私を、一方ならず、心配したようであったけれども、その母が元気にしておられるかと、母の存否ばかりが、心にあって離れず、悲しい時がありますがねえ。ところが今日見るこの童を小さい頃見たような気もするが、懐かしいことは当然でありますが、こんな懐しいと思う人にでも、この世に存命していると、知られないで、一生を終ってしまおう
と私は思っています。母がもし生きておられるのであれば、その人だけには会いたいと思います。僧都が言われる薫などには、今更に私が存命していると、知られ申したくないと、いかにも考えております。私がここにいる事を上手く繕って、それは人違いなのであったと、敢えて薫に申して隠してください」
「それは難しいことです。僧都の心は聖僧と言う中でも、あまり物事を心に隠して置かない方ですので、どうして、薫に隠して話されるようなことは御座いますまい、すべてを話されましたでしょう。私がどう細工してもすっかり知れてしまいます。またよい加減に事実を隠し得るような、軽々しい御身分で薫君はありますまい」
と、大変な事になったように騒ぎ出して、尼達は、
「世にも珍しく」
「浮舟は強情でおありなされることよ」
と皆が色々なことを言い合わせて、母屋と廂の間の境の所に几帳を立てて小君を母屋の簾垂の内部に入れた。小君も浮丹がここにいるとは聞いているのであったが、幼年であるから、浮舟に、突然に話をしかけるようなことは恥ずかしいけれども、
「別にまだ文がござる、薫の御文を、何とかさしあげたいものである。横川の僧都の、ここに姉君の御ありなされる由の、御示教は、確実なのですがねえ。どうしてこのように話もして下さらず、存否はっきりしないのは、どうも残念であります」
伏し目がちに妹尼にいうと、
「そうかそうか。まあ、可愛い」
などと言って、
「薫君の文を当然御覧なされるはずの人は、ここに御ありなされるようです。私のような、はたで見ている人は、どうも御文持参に就いては、どんな事情なのであるかと、分かりませんからねえ。あの方に事情をしっかりと御話しなされませ。あなたは幼いけれどもこのような、大切な御文の使として、薫の御頼みなされるのは、童として使うと言う外に理由もあろう」
「打解けずによそよそしく思って、私を、はっきりしない状態に、姉が扱いなされるからには、私は何か姉に伝えようとしたことも、邪魔者のように私を思いになってしまったので、姉に申さねばならない事も、私にはござりませぬ。ただ主君の薫からこの文を人づてでなく姉に手渡すようにと、言い渡されましたので如何致しましょう」
「それは尤もなことです。まだやっぱり、こんなように小君に冷淡な扱いをされませんように。出家の身であって、然しながら相当に冷淡な御心持であるようですなあ」
と、説得し動かして几帳の側に浮舟を押し進めたので、浮舟が、自分ながら自分でなく夢のような気持でいた様子は、浮舟と違う別人にどうしても見えないから、全く浮舟である気がして、小君は、几帳のそぱに近寄って、薫の御文をさしあげた。
「返事を早くいただいて、薫のもとに帰ります」
このように浮舟がぐずぐずしているのを、困ったことと思い、小君は京へ帰るのを急ぐ。妹尼は文を開いて浮舟に見せる。浮き舟は昔戴いた通りの、薫の美しい筆蹟で、紙の香りも例のように、世間並みでない程までにしみ込んでいた。これを見ていて物に直ぐに感動する者で、出しゃ張る、妹尼や少将尼や左衛門などは、世にも珍しく、趣向が凝らしてあると、薫の文を思うであろう。薫の文は、
「今改めて申そうとしても申しようもなく、入水や出家やと色々に罪の重い御身の御心をば、僧都によって出家もなされた事であるから、僧都の顔に免じて許し申して私は現在では、何とかして、せめて、(行方不明になつた夢のような昔の話だけでも、したいものであると、私を思いなさらぬとは知りつつも、自然に急がれる私の気持が、自分の気持ながら、どうももどかしいのである。自分でもそのようであるか
らまして、他人の目は、私のそんな気持を、どのように見、また思うであろうか」
と思う事を書き尽くしてしまはなくて、
法の師を訪ぬる道をしるべにて
思はぬ山にふみまどふかな
(仏道の師として、仏道を尋ねる山道なのに、私は僧都を案内人として、意外な恋の山道に踏み迷うて、まごまごしているなあ)
この小君は、貴女は忘れてはいないでしょう。私は行くえを失った方の形見にそば近く置いて慰めています」
文章は丁寧懇切である。このように、こまごまと詳しく御書きなされた様子で、浮舟ではない人違いであるなどと、ごまかすような方法もないけれども。
作品名:私の読む「源氏物語」ー87-夢の浮橋 源氏物語終巻 作家名:陽高慈雨