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私の読む「源氏物語」ー86-手習3-3

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 いかにも、そう思いなされるであろうと、妹尼は、しみじみと同情するにつけても、浮舟が普通の女であると、もしも思うのであるならば、嬉しいことであるのに。と真剣に泣くのであった。部屋の端に近いところの紅梅の色も香りも昔と変わらないのを、業平の歌の「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我身一つはもとの身にして」を思い、春は昔の春と同じであると、外の花よりも紅梅に気持ちが移るのは、浮舟の心にかつて飽きる事のなかった、薫の袖の匂が染みついているのであろうか。浮舟は、寅の刻(午前四時頃)その時刻に行う勤行後夜のおこないに佛にあげる閼伽を供えた。下級の尼の少し若い者を呼んで、紅梅を折らせれば手を触れたから散ると言わぬばかりに散って香りがしてきたので、浮舟は、

袖ふれし人こそ見えね花の香の
    それかとにほふ春のあけぼの
(かつて昔、袖を触れて香を移した薫の姿は、いかにも見られないけれども、紅梅の香が、その人の袖の香であるのかと疑われるように匂う、春の夜明けである)

 母尼の孫の紀の守というのが、紀伊より京に来て尼庵を訪問してきた。紀守は三十歳ぐらいで、容貌は綺麗で、得意らしい様子をしていた。
「私の不在の去年・一昨年は、何事か変った事がありましたか」
 母尼に語りかけると、母尼は少し惚けているので、妹尼の処に来て、紀守は、
「立派に母尼は惚けてしまわれて。お気の毒です。寿命の残りがどれ程もないのを、私は御世話申しあげる事もむつかしくて、遠く離れた紀伊の国に何年も暮らしています。私も親達に死に別れて後は、母尼独りを親代わりと思ってきました。妹の常陸介の北方はこちらにこられますか」
 此処に言う常陸介は、浮舟の養父の後任の人である空、全くの別人。
 妹尼は、
「年月の立つにしたがって、なす事もなく手持ち無沙汰で、本当に寂しく悲しい事だけが、なんとなく増えてきています。常陸は久しく此処へお出でになりませんね。常陸を待つことがもうお出来にならないように母尼は私は見ています」
 と話す妹尼の言葉に常陸とはいるので、聞こえてきた浮舟は、私の父と思って耳をそばだてると、紀守が又、
「京に上って参りまして、何日かになりましたけれども、朝廷の御用事が大層忙しく、また煩雑なことばかりすので、それにかかりあっております。昨日此方へ御見舞に伺おうと、思っておりましたところ、右大将殿が宇治に行かれる供を仰せつかって伺えませんでした。故八宮が、かつて御住みなされた山荘にお出でになって一日暮らされておられました。故宮の娘にかつて昔、薫は御通いなされたけれども、一かたは先年亡くなって御しまいなされた。その妹に当たる人をまた、薫は密かに宇治に住まわせになっておられたが、その方も去年の春に亡くなられたので、その妹姫の一周忌の法要を、御執行なされようと言う事がある。あの宇治の山寺の律師に、供養のことを頼まれて、御執行なされるようである。その布施用として亡くなった姫の装束一揃(単衣と小袿)を、新調しなければならないので。こちらで、それを、御仕立て下さいませんでしょうか。織らせねばならない物は急いでおりますが」
 と言うのを浮舟は聞いていて自分のことであるので自分の一周忌と聞いては、驚いてしまった。その心の動揺を人に見られては困ると浮舟は慎ましく奥にいた。妹尼は、紀守に、
「その八宮の娘は二人と聞いていますが、兵部卿匂宮の北の方はその二人のどちらですか」
「この薫大将の囲われた方は身分の低い方の御腹なのでしょう、その姫の存命中はあまり大袈裟に待遇なさらなかったことを、亡くなられた今では薫は大変悲しんでおられた。それはそれとして、薫君は最初の姫君(大君)の亡くなられた時にはその悲しみがひどく、殆ど出家してしまおうとおもわれたそうです」
 凝ると親しい人だと浮舟は感じると、話は聞いているがしかしながら相当に、紀伊守が恐ろしい。紀守はさらに、
「不思議に、二人とも大君と浮舟と同じように亡くなられて、その薫君が囲われていた姫は浮舟と申したそうです。お二人とも宇治で亡くなられたのです。昨日、御供をして宇治に参った時も、薫君の様子は、大層御可哀そうでござりましたよ。宇治川の水面に近い所で、ここから入水したのであろうかと、水をのぞきなされて、涙を流され、山荘内に御あがりなされて、故八宮の寝殿の柱に書き付けされました。

見し人は影もとまらぬ水の上に
   落ち添ふ涙いとどせきあへず
(かつて昔逢った浮舟は、本人は勿諭現在は面影も残らない水の流れの上に、落ちて加わる私の涙は、今はまた一段と堰き止め切れなくこぼれる)
 
 浮舟のことを口に出して薫君が言われることは、殆どないけれども、専ら態度に現れて、本当に御気の毒な姿に見えました。薫君は美しい方であるから一般に女は、薫君をすごく愛慕しなさるに、相違ないのである。私は、若い頃から、薫君を、優美で勝れておられると、見ていましたが、それが心にしみ込んでしまったから、世の中の第一の関白家でも、私は勝れているとも何とも考えませず、ただこの薫君をだけお慕いしてきました」
 と語るのを聞いて、浮舟はたいした深い考えもない受領如きこんな人(紀伊守)でも、薫の勝れた性質をば、理解してしまっているのであると思う。妹尼は、
「光る君、源氏と、かつて、申しあげたとか言う、故六条院の御様子には、いかに薫君が勝れていると言っても対等に並ぶ事は御出来なされまい。と私は考えますが、しかし今の世でも光源氏の子孫が、この世に尊重せられると言うことです。薫君と左の大臣の夕霧とどちらですか」
「夕霧は才気は勿諭容貌も、大層端麗で綺麗で、威望と徳望のある人で、身分の程は、いかにも格別な状態である。また兵部卿宮も御綺麗でありなされますよ。だから私が女であれば匂宮にお仕えすると、思っています」
 浮舟に聞かせるようにと、誰かが紀伊守に教えでもしたかのように、彼は話し続けた。その話しを、しみじみと悲しく、また面白くも聞くけれども、聞いていると、今までの自分の身の上も夢のようでこの現世の事実とは思えなかった。紀守は言うだけ言って出ていった。
 薫が忘れてはおられないと、浮舟はしみじみ嬉しいと思うにつけても、それ以上に母君の嘆き悲しんでいる御気持が推測できるのであるが、なんとしてもなんと言われても答えようがない尼姿を母に見られ、また理由を聞かれるような事は、やっぱり、気恥ずかしいのであった。あの紀伊守が、先程依頼した、布施用の女の装束の仕立などに、妹尼達が急いで布を染めているのを見ると、自分の一周忌であるので、なんとなく不思議な珍しい気持がするが、私がその本人であるとは言い出しにくく、女房達が縫い始めるのを、
「この縫物を手伝い下されよ、貴女は縫物を、大層手ぎわよく、耳を折り曲げて御縫いなされるから」
 と妹尼は言って裏のない小袿を、浮舟にさし上げるが、なんとなく嫌に思われるから、浮舟は、気分が悪いと言って、手も触れずに臥してしまった。妹尼は急ぎの手を止めて、
「どうしました、気分はどうですか」
 心配する。尼の中には紅い単衣の上に、桜の紋を織り出した、綾の小袿を重ねて、眺めて見ながら、