私の読む「源氏物語」ー84-手習3-1
「このように生き返ったとしても、私は変な役に立たない者です。夜になったらこの川に投げ捨ててください」 と、息の下で言う。聞いて妹尼が、
「なんと可笑しなこと言われても私は、嬉しいです。だが言われることは、とんでもないことです。貴女の言われることはとんでもないことです。どうしてあの木の下にいたのですか」
と、問うのあるが、この人は答えない。この人の体に傷でもあるのだろうと、妹尼はこの女の体を見てみるが、傷らしいものは見当たらずこの人は可愛らしく、調べていた妹尼はとても悲しく、また、本当は娘を亡くした自分を惑わそうと、この世に現れた変化ではと、疑いもした。
二日ばかり宇治院に籠り、母尼とこの女を僧都達が加持祈祷する声が絶えず、この女の素性が不審であると、色んな事を言って同行の者は騒ぐ。宇治近くの里のひとたちで僧都の許で働いたことのある者が、僧都が宇治にお出になっていることを聞いて挨拶に来て、世間話をするのを、一行が聞いていると、
「亡くなられた八宮の娘で、右大将(薫)様が通っておられましたが、その娘さんが大して患うこと無くて急に亡くなられたと、山荘では大騒ぎをしていました」
「その葬送の雑用を承りましたので昨日は此方にご挨拶に参上出来ませんでした」
と言う。
「そのような死んだ人の鬼が奪ってきた化物であろうか」
とこの女を見るが、一方目の前で姿を見ておりながら、それを実在と考えられず、今に消えて無くなるのかと思うとそれも恐ろしいことであると、僧都はおもった。女房達は、
「昨夜のあの火は」
「火葬の火とは思えなかったほど大袈裟なものではなかったが、やはり、姫君の火葬であったのかねえ」
と言う。
「そんなに大層な葬儀でもなかったようでした」
死者の弔いの後で、けがれがあるというので、家の内には入れずに立ち話で女房は里人を帰した。
「大将殿は八宮の姫大君を夫人になされたが、亡くなられて、それから何年も経ちますから、そうすると八宮の姫とは誰のことでしょう」
「帝の女二宮を夫人に迎えられて、その上に浮気をするというお方ではありません」
などと言っていた。
僧都の母尼も病がやっとよくなり、中神の塞がった宇治院から小野の西北の方角も空いてしまったので、物の怪がでるような気持の悪いところに長く逗留するのは感心しないということで、一行は小野の方へ帰ることにした。女房は、
「この女はまだ体が弱っておられるようで、小野までの道中は結構ありますし」
「どうされますか、途中で死にはしないでしょうね」
と互いに言いあう。
車を二台用意して、母尼の乗る車に母尼に仕えて面倒をみている尼が二人、次の車に妹尼とこの人を寝たまま載せて側に女房が一人乗って、道中は急がずところどころで車を止めて、妹尼が薬湯を飲ませてあげる。比叡山の裾に坂本と言う村がありそこの小野と言う集落が尼たちの住むところであった。そこに到着するまでまだ五里あった。
「宇治と小野との間に宿を取るべきだった」 などと言いながらも夜遅くに小野に到着した。
僧都は母尼の世話をし、娘の尼がこの素姓もわからない人を世話をして、母尼とこの人を皆で抱え下ろして、一同は休んだ。歳とっての病はいつどうと言うことなく、始終患っているのが苦しいと、母尼が思っている病は、遠路の旅の疲れからしばらく調子が悪かったが、それも治まって体調がよくなったので僧都は横川に上って行った。
「このように美しい女を、旅の途中で拾い連れてきた」
と、法師達は、女人を同伴することは僧の間では阿含経にはっきりと悪と言われてよくないことであるとしていることであるので、この女を見ていないものは招くことを僧都はしなかった。母尼も皆に口止めさせて、いづれ、この人を尋ねて来る人もあるだろうと思うと、その人がこの女を引き取っていくかと思うと惜しい気がして、気持ちが落ち着かなかった。どうしてあんな田舎の宇治辺りに、このような上品な人がおちぶれ、放浪していたのであろうか、初瀬観音を詣でた女が途中で体の調子が悪くなったのを、継母のようなのが騙して捨てておいたものであろうか、などと妹尼は想像していた。宇治院で、「川に投げ捨ててください」 と、言ったきりこの女はその後再び物を言わなくなってしまった。
素姓もはっきりしないのが、妹尼は気になり、いつかは健康な人にして見せると、思っているが、この人は何をすることもなくぼうっとしていて、起き上がる様子もなく、大変不思議な状態でいるので、結局は助からないのであろうかと、妹尼は思いながら、このままにしておくのも何となく可哀想で、初瀬の夢物語をしてこの人を初めから祈祷してもらった阿闍梨にこっそりと来てもらって護摩勧業の一つである芥子を焼いてもらった。この業は七回行う。
引き続いてこのようにこの人を見ていて四月五月と過ぎてしまった。看護の甲斐がないのを妹尼が気にやみ、兄の僧都の許に文を送った。
「どうか山を下りて、この人を助けて下さいませ。さすがに命が今日まで弱りながらもあるのは、この人が死ぬ予定ではないのに、この人に取りついて深く染み込みこの人の命を自由にしている物の怪がこの人の体から去らないからです。僧都さま、京に出かけるならば山籠り修行の誓いを破ったことになるでしょうが、ここ坂本では同じ山内であるから、我慢出来ますでしょう」 真剣に切ない事情を長々と書いて僧都に送って来たので、僧都は、本当にあの人を助けたことは不思議なことである。これまで死ぬことなく生きていた命を、そのままあの宇治院に捨てておいたら死んでしまったであろうのを、前世に何かの縁があったのか自分が見つけたのである。物の怪の本性を知るためにあの人を助けてやろう。それで助からなければ果報がなかったものと諦めようと、思って山を降りてきた。妹尼は喜んで迎えて、この人の今までの経過を詳しくしく僧都に伝えた。妹尼は、
「このように長く患っている人は衰弱のあまり汚ないところが容姿に現れるものであるのに、この人は一向衰えないで、清らかにひねくれたところもなく、こうして大人しく寝ている。寿命も終わりかなと見えながらも今日まで生き長らえてきました」
と死にはしないかと危なかっしく思い涙を流しながら僧都に話すのであった。
「最初に私が見つけたときから思っていた、不思議な雰囲気をもった、滅多にない美しい女の人だと。さて修法を始めよう」
と言ってこの人を上から覗いて見て、「宇治院で初めて見たとおり、綺麗なお顔立ちである。前世での善根が多くこのよぅな美しく生まれたのであろう。然るにどんな手違いでこのような病のために苦しむのであろう。なにか思い当たることなどを聞いていないか」
と僧都は妹尼に聞く、
「その後私と話をしたことがありません。どうあろうと初瀬観音から戴いた人です」
「何事にも因縁というものがある、その縁に従って観音もこの人をお前に導かれたのであろう。この人を導かれたのには因と言うものがあるのだよ」
と言って、この人の過去を怪しく思って、祈祷を始めた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー84-手習3-1 作家名:陽高慈雨