私の読む「源氏物語」ー83-蜻蛉ー2
その薫の様子は慎しみ深そうで、また、重々しく立派であり、女房の局に立寄る事なども普通にはないことで、身分も高貴であるのに、何となしに頼りない住居であるなあ君の局は、と言いながら奥行が狭くて距離のない部屋の引戸の口に薫が立っているのを、むさ苦しい局で、きまりが悪く思うが、そんなに卑下することもないと、適当に薫に話しかけた。薫は、浮舟よりもこの小宰相は才気が優れているのではないか、どうして女房になったのであろう。宮仕えすれば自分も、忍び妻として時折通って行く者としていたのにと、思うのであった。隠し妻にしたいというようなことは一切小宰相に薫は見せなかった。
蓮の花の盛りに明石中宮は六条院の寝殿に、法華御八講をなされる。父なる六条院(源氏)のため、養母の紫上のためなどと、皆思い分けて供養の日を当てつつ霊前に経典や仏像の供養をなさり、八講は威厳があり尊くあった。提婆品を読誦して、薪の行道をする第五巻の日は大変な人出であったから、こちらにあちらにと、女房の縁故に頼って参上して、薪の行道などを見物する人が多数であった。五日目と言う朝座で、八講は終って、仮の設備である御堂の飾りつけを取払い、会場であった寝殿の模様を、もとに戻すために、講の会場として寝殿の北廂も、八講の道場として、襖などを取はずしてあったから、人々は全員寝殿に入って室内を整える頃に鈎殿と西の対の間の西の渡り廊に、女一宮(匂宮の姉)はおられた。読経や説教などを聞きくたびれて女房もそれぞれ自分の局に休んでいたので女一宮の側には女房が少ない夕暮れに、八講の束帯に直衣姿の薫大将は直衣を着替えて、今日の勤めをした僧のなかに、いわなければならないことがあり、僧の控え所であった釣殿へ行ったのであるが、僧達は皆西の中門から帰ったと見えたので、薫は池に面する方(南面の方か)に涼んでいた。釣殿あたりは人が少なくて、この渡り廊は、小宰相などが仮に几帳だけを立てて女房達が休息する仮の局にしていた。だから小宰相が此処にいるのであろう衣のすれる音がしていると薫は思って、薫は涼んだ後、西の渡殿の方を振り向くと中門の所の切馬道のそばの部屋の襖が細く開いているので、薫がじっと見てみると何時も、小宰相などのような女房のいた状態には似もつかず、取りかたづけて、花やかに整えられているので、一つか二つでよいのにかえって幾つかの几帳を交錯して立ててあるから、その、交錯した間の隙間から奥まで見透されるので、室内ははっきりと見通し出来た。室内には氷を何かの蓋において割ろうと、大騒ぎをしている女房三人と女童が居た。女房は、八講も終ったので女一宮の御前には他の人もいないから気楽に休息して、年輩の女房は唐衣などを女童は上着である汗杉も着なくて、みんなが寛いでいるので、まさか女一宮の御前ではないだろうと、薫は白い薄い絹の御衣(袿)を着用なされた人が手に氷を持ちながら、女房達が凍り割に奮闘しているのを見ながら微笑んでいるその顔が、言葉がないほど美しいのを見た。大変暑い日であったので女一宮は沢山ある髪が苦しかったのであろうか少し
薫のいる方の手前に漂わせて引寄せられた工合は譬えることが出来ないほど優美である。これは美しい女を、沢山
見たが、女一宮に匹敵するほどの者はいないと薫は思った。女一宮の前に侍る女房は紅・白粉の化粧も、土でも塗ったように、どうも感ずるのを、冷静になってよく見ると、練らない、ごわごわとした生絹の単衣に、薄紫色の裳を着けている女房が扇を使って、外の女房よりも身嗜みがあるように思う者である、と薫は思い、小宰相が、
「涼しくしようとして、なんとかして小さく割ろうとするから、何となしに扱いに骨が折れる。割らずに氷を眺めていよう」
笑った顔は愛嬌があった。この声を聞いて薫は、自分が思いを寄せているあの小宰相であると分かった。女房達は小宰相に注意されても、強情に氷を割ってそれぞれが手に持った、ある者は頭の上に置き、また、胸に差し込んで。格好悪い姿をしている女房も居るであろう。小宰相は紙に包んで女一宮の前に置くが、女一宮は美しい手を女房にさしのべて雫を拭かせた。
「いやだ、私は持たない、雫がうるさい」
女一宮が言う声がほんのりと聞こえてくるのに薫は、女一宮を見たいと思っている彼の心には、限りもなく嬉しい。まだ女一宮が小さい頃、自分も、まだ幼時で、何のわけもわからずに、女一宮を見た時には、立派な童女であるなあと見ていた。その後はこのめでたい姿だけでも、見るは勿論、声を聞くことすらなかったが、どういう神の悪戯か、仏のお慈悲か、女一宮を見るような機会を、目の前に与えて下さったのだろうか。宇治で初めて大君や中君の合奏を覗き見した時の例のように、私に、とんでもない気を揉ませようと、神仏が計画しているのであろう、と薫は嬉しく思うものの一方では、そわそわと落ちつかない気持で、女一宮を見守って立っていた時に、女一宮が八講中におられた西の渡殿の方の対、即ち西対の北面(裏)の方に局を持って住んでいる下働きの女房が、薫が今覗き見している、切馬道の方の、女一宮の部屋の襖を、急の用事で開けながら局を降りたことを思い出して、これは、人が開けっ放しを見つけて覗き見されたと、私が小ごとを言われる。これは大変であると思いだして、慌て戻ってきた。覗き見している直衣姿の者を見つけて、あれは誰であろうかと、胸がどきどきするが、自分の姿を薫にあからさまに見られることも忘れて、渡殿の簀子から急いで走ってくるから薫つと立ち去る、誰と分かっても困る、覗き見は女好きに思われるから、と思って隠れてしまった。この女房は、大変な事である。人が覗くというのに、襖を明け放してある、その上に、几帳をまで。内部を丸見えにして気を許し、引きのけている。あの直衣姿は夕霧大臣の息子達であろう。六条院に馴染みのない者は此処までは来ないだろうから。襖を明け放したので、覗き見をせられたと言う噂が立つならば、誰が襖を開けたのかと、必ず追求されるであろう。装束は単衣も袴も練らない絹であろうと見えた人であるから、女房も衣のすれる音が聞こえなかったのであろうと思い困っていた。薫は、修行を重ねて次第に道心も深久なったと思っていたところに、大君のせいで、道心の一部がほころびかけ初めて、それ以来、中君・浮舟・女一宮・小宰相など、女性を好む男となった者である。大君逝去の昔そのころに出家をしていたなら、今ごろは深い山の生活にも馴れて、こうした女に乱れ心をいだくことはなかったであろうと思い続けるのも苦しかった。何故自分はもう少し早い頃に女一宮を見ることが出来なかったのかと思っていた。こうして彼女を見てしまったらあの美しさに悩まされて苦しくて、見た甲斐がないと思った。
翌朝早く起きた薫は、夫人女二宮の姿が綺麗なので、女一宮はこれほど美しくはなかったなあと見ながらも、女一宮は女二宮と似たところがなかった。女一宮は驚くほど上品で、色つやがつやつやと美しく輝き、昨日見た時は言葉で表現できない美しい様子であったなあ。あの美しさは、一つには、そう思う気のせいか、或はまた、覗き見をしたようなことであったからか、と思い女二宮に向かって、
作品名:私の読む「源氏物語」ー83-蜻蛉ー2 作家名:陽高慈雨