私の読む「源氏物語」ー82-蜻蛉
「亡くなりなされた人と言っても、遺骸を目の前に置いて葬儀を執り行うのが世間の常識である。世間に例のない遺骸なしで、亡くなったと言うだけで畿日もたてば、他人は皆知ってしまうことです。母君に事実を話して、今となっては、せめて世間体だけでも、体裁よく取りつくろうとしよう」
と侍従と右近は話し合って、二人が母親にこっそりと人に聞かれないようにして浮舟の有りも儘を母親に伝えた。語る二人も聞く母親も悲しみに正気もなくなり、語り続けてしまう事が出来ない。母親も聞いて心が混乱して、それならば、このひどく、早く流れて荒々しいこの宇治川に娘は身を投げたのかと思うと、自分もこの川に引き込まれるような気がして、
「流れた方向を尋ねて、せめて遺骸だけでも、はっきりと埋葬しようと思う」 と言うが、侍従は、
「捜索しようにもこの勢いの川です、どうすることも出来ません。今は行方知らない大海原に浮舟は居られますでしょう」
「そのような捜しても甲斐がないものであるから、大騒ぎして捜したりなどして、そのために、世間の人がもしも評判を立てるとすれば、その評判は、全く聞きづらい世間体が悪いことです」
右近が言う。母親は、あれこれと色々と思案するたびに、胸がこみ上げる気持がするので、しなければならないことがあるにかかわらず考える事が出来ないけれども、右近と侍従二人が車を呼んで、浮舟生前の御茵などや、愛用の調度や、脱いだままの掛布団などを車に入れて浮舟の乳母の子供の大徳、その叔父の阿闍梨、叔父の僧の弟子で、山荘にも出入して親しい者そしてよくご存じの老法師達、浮舟の中陰、即ち四十九日間の御忌中に、当然籠もるべき僧の有りったけで、人が亡くなっているようにして柩の車を出発させたのを、乳母に母親は、悲嘆甚だしく、また、遺骸も見ないので、諦め切れず、もし浮舟が存命ならばなど思い、このようなやりかたは不吉と、泣いて臥していた。右近大夫、(内舎人の婿)・薫の家来で、宇治の宿直人内舎人達浮舟を怖がらせた者達が来て、大夫が、
「葬儀のことは薫大将に、事情も御話しなされて」
「日程をきめられ、立派な葬儀をしっかりと、執り行いましょ」
と言うが、右近は、
「今夜を過ぎさせたくない、今夜中に執行しよう、厳しくこっそりと、野辺送りをしようと、考える事情があるから」
と言って先ほどの車を向かいの山の前の原に持って行き、斎場に人を近づけないで、この、遺骸のない葬送を知っている法師だけにして火葬のように火を付けて燃やしてしまった。遺骸がないから簡単に燃え尽きてしまった。宇治の里の田舎者達は、京の人よりも却って、このような葬儀を礼を尽して、大袈裟に執行し、不吉な事を忌み避ける縁起をかつぐ事など、真剣にするものであるから、
「変な葬儀であるなあ。入棺の儀とか、拾骨の儀などもなさらないで」
「身分の低い下衆らしく、簡単に、執行された葬儀であるなあ」
と非難するから、
「兄弟が、残っている人は、わざとこんなに、張りあいもなく簡略に京の人はなさるのであろう」
色々に里人は気にかかるように噂をしているのであった。そのようなことを聞いて右近大夫は、このような里人が言ったり思ったりすることが、気がかりなのに、私などよりもっと何かの噂や評判は、直ぐに広まる世の中であるから、主人の薫は遺骸もなく、浮舟は亡くなってしまったと、聞きなされるならば、匂宮が隠してしまったと、必ず疑うに違いない。それはそれとして、匂宮はまた、薫と同族の近親の間柄なので、浮舟が薫の方にいるいないにかかわらず、匂宮は暫くは、浮舟は薫方に、人目につかずに忍んでいると、思いであろうが、結局はわからない事はあるまいと思う。薫もまた、きっと、匂宮を浮舟を隠していると疑い申しなさるまいと思う。名もなくつまらない男が、浮舟を連れて行って、隠したのかなどと、薫は思うであろう。この世に存命の時の果報は、匂宮や薫のような高貴な男性に思慕せられたので、気高くあった浮舟が、「亡き影に」と歌に詠まれた通り、亡き影(死後)に、つまらない男に誘惑せられたと言う、事実でもない事を、本当かと疑われるのであろうか。色々と右近大夫は考えると、この山荘の下働きの者達の中に、今朝の浮舟失踪という大騒ぎを見た者には口を閉ざすように、見知らない者には事件を知らせないように、と右近は思いめぐらした。右近は侍従に、
「浮舟がこの事件の中で死なずにもしも生きているならば、後になって、皆さんにゆっくりと、先頃起った浮舟の事情を御話してしまいましょう。現在は遠慮して申しませぬ」
「悲しみが醒めてしまいそうな、浮舟が匂宮のことから入水した事を、私達の話す以前にふと、人の口から、もしも薫が聞いたならば、それはやっぱり
薫の情愛も浅くなるので、浮舟のためには可哀想なことであります」
と、此の二人は匂宮の恋の取持ちをしたので良心の咎めを深く感じているので、今回浮舟失踪の真相を隠してしまった。
薫大将は母の出家した女三宮が病に冒されているので、病気平癒 の祈願や祈祷の為に、宇治で浮舟騒動の頃は石山寺に籠もっていた。さて。、薫は宇治のことが気になるのであるが、宇治からは浮舟の死について、はっきりと告げに来る人がなかったから、このような浮舟の死と言うことに薫から、弔問の使いもないのが右近や侍従などが、薫の浮舟への愛情がなかったのかと、外聞が悪いと、山荘の者が思うっていると、薫の荘園の者が石山に参って、薫に宇治ではこのような事件が起きたと、知らせたので、(これは浮舟失踪後三日目、即ち葬送の翌日のことになる}薫は事の意外に心を奪われて、ぽんやりとした気持になり、そうして使いがその翌日朝早く弔問に宇治へ来た。
薫からの伝言は、
「大変な事を聞くなり直ちに、自身が弔問に駆けつけなければならないのであるが、女三宮がこのように病に伏しているので、慎んでこの石山に七日間を定めて参籠しておるから宇治に参るわけにはいかない。昨夜の葬送はどうして此方に知らせて、日を述べて執り行うものであるのに、君達は大変簡単に急いで葬儀を行ったのか。死者にとっては鄭重であっても簡略であっても、どちらでも言ってもしようがないことであるが、人間一生の最後の事を、特に簡略に執行して、その簡略さを、炭焼や木こりのような山賤の者にまで謗られるとは私のためにも辛いことです」
などと使いの薫の大事な家来である
大蔵大輔仲信を通して薫の気持ちを告げた。大蔵大輔仲信は、薫の家司。匂宮の家臣大内記兼式部少輔道定の舅である。
作品名:私の読む「源氏物語」ー82-蜻蛉 作家名:陽高慈雨