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私の読む「源氏物語」ー80-浮舟

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 と童に言う。浮舟からの文だと分かっているからである。そういう中君の顔が少し赤くなっているのを匂宮は見て、薫が他人にかこつけた文であろうか、宇治と言う名も、薫が擬装したとすれば、ふさわしいと、考えて文を取り上げてしまった。然しながら薫の文であったらどうしようかと思うと、きまりが悪いから、確めるために、
「開けてみたらどうかね。私に遠慮することはないよ」
 中君は、
「見にくいように、何で、大輔などの、女同士の間に文通しているような、内輪同士の文を、見たいと思いなさる、見る物ではありませんよ」
 と匂宮に言うが、その態度は別に慌てた様子でもないので、匂宮は、
「それでは見てみよう、女同士の文とはどのような物であろうか」
 と言って文を開くと、若い人の筆体
で、
「久しく便りもせず、御無沙汰していて、年も暮れてしまいました。宇治の山里の晴れ晴れしない事は、何としても、物思いも絶え間なく、峰の霞も絶え間なくて(都を隔て)、大層寂しい」
 と、「山かくす春の霞ぞうらめしきいづれ都の境なるらん」(山を隠す春の霞がうらめしい。一体何処が都の境の山になるのだろうか)「都人いかにと問はゞ山高みはれぬ雲井に佗ぶと答へよ」(都の人が、あの男はどうしているか、と聞くことがあったならば、山が高いので晴れることがない遠い国で、心も晴れずにわびしく暮らしている、と答えて下さい)と言う歌を下地に書き記してあり、端の方に、
「これは若宮の御前に、さしあげまする。見苦しゅうございますが」
 書いてあった。筆使いは特に巧者な書きぶりとは見えないが、誰の筆体であるか覚えがないので匂宮はじっとこの立文を見ていると、なる程中君の言う通り女の筆蹟で、
「新年になって、中君におかせられては、御機嫌うるわしく渡らせられましょうか。御許(大輔)にも、どんなにか楽しい御喜びが、沢山ありましょう。
宇治では大層、立派な御住居の、万事行き届いている生活ではあるけれども、山奥故にやっばりまだ、浮舟に似合わしくないと、私は見申しあげまする。浮舟はこのようにして此処で、じっと物を思込んでいなさるよりは、二条院へ時々お出でになって、心を慰められてはと私は思っていますが、あの夜の一件が恥ずかしく、また恐ろしい事として、浮舟は心に染みて、そちらにお出でになることを気乗りのしない、いやな事として歎いておられます。正月の初卯の日に、悪鬼払いのために作る
卯槌を浮舟から若宮に差し上げられます。匂宮の御覧になるように若宮にお見せ下さい」
 と大輔に細々と正月であるのに縁起でもない言葉を避ける事もなくて、何かと愚痴をこぽすような、情趣も解さない無骨な文であるけれども、読んだ匂宮は何か変であると思って、繰返し繰返し見て、
「今になっては、もう隠さずに、白状なされよ」
 中君は、
「以前に、あの宇治の山荘に、召使われていた女房の娘で、宇治に住むような理由があるので、近頃あそこに住んでいる者であると、聞いていますが」
 と返事をすると、匂宮は、世間並の奉公人とは思われない、相当な書きぶりの文であると、思うのであるが、あの、うるさく面倒な一件と右近の文中にあるので、さては浮舟であったかと、合点がいった。卯槌を見ると、風情あるように面白く作られたのは、閑暇があって、手持ち無沙汰な人の細工と見ていた。松の二股の枝の所に、薮柑子の赤い実を作って付け、その枝を、卯槌に突きさして、添えてある、その枝に

まだふりぬ物にはあれど君がため
     深き心にまつと知らなん
(まだ年数のたたない小松ではありますが、若君のために、私は、心の奥底から千年の長寿を期待していると、承知して欲しい)

 と、歌はさほど取り立てて言うほどの物ではないが、匂宮は思い続けている、あの浮舟の歌であろうかと、思いつき、この歌に目をとめて、
「返事はしなさいよ。しなければ冷たい人と言われますよ。これは人に隠すようなものでもないのにねえき、それなのに、私が見たと言ってどうして機嫌が悪いのですか」
 と言って中君の部屋から去っていった。
 先にあった立文とは、書状の形式の一で。書状を礼紙で巻き、その上を更に白紙でたてに包み、包紙の上下を筋違いに左に折り、また右に折り、これを更に裏の方に折りこむ。式の立文。ひねりぶみ。とも言う。
 中君は少将などに、
「浮舟はこっそりと文を託したのであろうが、彼女のためには気の毒な事であったなあ。この文を童が受けとったのを、女房達はどうして気が付かなかったのであろうか」
 と小さな声で言う。少将は、
「私が見つけたならば匂宮には渡すようなことはありませんでしたのに。大体この女童は、思慮不足でしかも出しや張りでござりまする。人と言うものは、子供の時から、将来勝れた者になるであろうと思われ、しかもおっとりと大ような性格の者が大成するものです、このこは、つまらない童であるよ」
 少将が憎そうに言うのを中君は、
「もう少し静かに。幼い者の事で腹立てて叱らないで」
 この童は去年の冬に人が連れてきた女童で、その顔が可愛らしいので、匂宮が気に入って可愛がっている童であった。
 匂宮は、宇治に薫が通うとは可笑しいことではないか、この頃頻繁にと言うこと、忍びで夜泊まることもあると人が言うのを、本当に未だに大君を慕って、大君の名残であると薫には、そう言う旅寝する事があるまいと思う意外な宇治に、旅寝するということを思うと、このような女を隠し置いていると、匂宮は思い当る点もあるので、漢学、即ち文才の事に関しての家来である大内記道定という者で、この者は薫の邸の家司仲信の婿で、大内記兼式部少輔の道定である。この男が薫の御殿(三条院)に出入して、親しく仕えていることを匂宮は思出して、呼び出して、韻塞をする予定があるので、詩集などを選んで、手もとにある置戸棚に積んで置くように命じた、そうして、
「右大将(薫)が宇治へ行かれることは今でも続いているのか。見事な寺を建立したと言う事を聞いているが、一度拝見したいものである」
 道定、
「寺は、見事立派に、壮厳に、右大将が建立せられて、常に称名念仏を行う三昧堂であります念仏堂なども、大層尊いように建造するよう計画せられた
と、聞いております。宇治にお通いになるのは去年の秋より今までより回数が多くなったと言うことであります。右大将の下人の者達が、かつて、内々に申した事には、
 女を氏に隠しておられるようだ。その女は悪くはなく、薫の思いなされる人なのであろう。
 宇治の近所に、大将の領有なされる荘園の人が、殿の仰せつけで山荘に参って、御用を勤めている者を、宿直(夜番)に、始終当てたりなどし、また京の本邸(三条院)からも、内々で日常の御用を世話しておられるようです。
 どんなにか幸運な人で、然しながらさすがに宇治の山里で淋しく暮らしておられるのであろう。
 と、いろんな声を聞きます、私はつい去年の十二月頃に、山荘の人が噂をしていると、この下人達から聞きました」
 匂宮に答えていた。匂宮は良いことを聞かせてくれたと思い、
「はっきりと誰それであるとは、下人は言わなかったか。あの山荘に、以前からいる尼を、薫は訪ねるということを私は前に聞いているが」