私の読む「源氏物語」ー79-東屋3-3
薫の打ち解けた様子は今一段と風情があるので、浮舟の部屋に入ったとき浮舟はきまりが悪いけれども、自分の身を隠すこともなくそのまま坐っていた。浮舟の衣裳は色合が様々で綺麗であるようにと考えて、母北方が仕立てて着襲ねて、飾っているけれども、少し田舎じみたところがある。昔の大君が、後見もなかったせいで糊気が無くなって軟くなった袿の姿で、上品で優美であった事だけ自然に思い出されるので、浮舟が見劣りがする。但し、髪の裾の美しいのは、じっと見ていると見る程、上品である。それは、女二宮の髪の美しいのにも劣るようなことはいと、薫は見ていた。このように感じている一方、また浮舟をどんなに取扱って、暮らさせようと、自分はするのであろうか。今は本妻のようで、あの宮、三条宮に迎えて置くのも、世間の評判が悪いであろう。女房達のこれやあれやと、沢山、二条宮にいる、その仲間として、宮仕えさせるような事は、不本意であろう。思うにつけても、京と宇治とに離れていて、逢わなければ寂しいであろうとしみじみと恋しく、自然に思われるから、一日をよい加減でなく話し合いながら一日を暮らした。浮舟の父である八宮のことも、薫はまだ在生中のことを面白く詳細に打解けて言い、また、冗談も言うのだが、浮舟はなんとなく恥ずかしそうにして、一途に恥ずかしがっているのを、薫は
物足りない気がする。たとえ間違っても、こんなに物恥じして頼りないのは、良いであろう。足らない所は教えながら、きつと連れ添って行こう。万が一、田舎じみた下品な風流気を持っていて、浮舟が、身分に相当せず、また、落ちつきがなく出過ぎるならば、特に大君の身代りは出来ないであろうと、薫は思い直した。山荘にある七弦の琴と箏(十三絃)の琴とを取り寄せて、取り寄せたにはそれとして、このような楽器は、田舎育ちであるから、外の事より以上にする事は出来まいなあと、薫は残念に思い、自分で音調をととのえて、八宮が亡くなられてからこの邸で、このような楽器を触るようなことが長い間なかったと、手にした楽器を珍しく思うので、懐かしく弾奏しながら、じっと物思いに耽っている時に、月が出てきた。八宮の琴の音は、物々しいものではなくて、興趣があり、また、しみじみと人の心を感動させる程に、弾奏なされたよなあと、薫は思いだし、「昔、八宮も大君も、皆さんが御在生の時に、貴女がここで成人なさったならば、今一段と、情趣は、今よりもきっと、豊かに御なりになったであろうなあ。情趣豊かな八宮の御様子は、私のような他人であっても、しみじみと恋しく思出さずにはいられませぬ。貴女に見せたならば、どんなにか恋しく思いなされるであろう。貴女はどうして常陸に居られたのであろう」
と言うので、東国住まいが恥ずかしくて、浮舟は白い扇をまさぐりながら、脇息に寄りかかって、うつ向いている横顔は白くて艶めいた額髪の在り方などが大君を思出さずにはいられなくて、感慨無量である。平常の身の躾にもまして、このような音楽方面の事も、自分の妻として不似合いでないように仕込みたいと薫は思って、
「この吾妻琴は、少しは、それとなく弾きなされたか、古い言葉に、「あわれわが妻」と言う琴、即ち吾妻琴(大和琴)は、御弾き馴らしなされたであろう」
と聞いてみた。浮舟は、
「せめて、吾妻ごとの大和言葉は、歌を詠むことだけでも十分にやればよかったのに、詠み馴れずに大きくなったから、その歌にもまして、大和琴は弾き馴れておりませぬ」
と言う。この返事ぶりでは、見苦しくて、気が利かないとは見えなかった。浮舟をこの山荘に置いて、思いのままに来て逢うことのできないと、思うだけですでに薫は苦痛を感じるのは、浮舟への愛を深く感じているからなのであろう。楽器をば向うへ押しやって、
浮舟が白い扇を弄んでいるのを見て、思い出した句、
「班女ガ閨ノ中ノ秋ノ扇ノ色 楚王ノ 臺ノ上ノ夜ノ琴ノ声」
誦するのも、弓許りを引く無骨な人々のいる東国辺に住み馴れたので、薫の吟誦を、大層御立派で、申分ない様子であると、乳母や侍従は聞いていた。めでたく、思ふやうではあるけれども、この句の、閨の白色の扇も、夏は珍重せられて秋は捨てられると詠う、気をつけなければならない。昔の事を知らないから侍従達がひたすら褒めるのは教養が遅れているからである。吟誦する句も、いくらもあるのに、薫は自分ながら妙にこんな縁起の悪い句を吟誦したものだと思っていた。辨尼から果物が届いた。箱のふたに紅葉や蔦などを折り敷いて果物を綺麗に見栄え良く、色々と取りまぜて、その下に敷いた紙に、老いているから、不器用に太く書いてあるものが、晴れ渡った空に光る月からの光で字の書いてあるその紙が見えたので、薫は目をつけて、果物を避けて紙を取りだした。読むと、
やどり木は色変はりぬる秋なれど
昔おぼえて澄める月かな
(貴方がかつて詠まれた宿木(大君)は、浮舟に色(人)が変ってしまった秋であるけれども、昔が自然に思出される月(御身)、しかも澄んでいた(情愛に変りのない)月(御身)であるなあ)
と、棒書きに書いてあるのに対して、大君を慕って嘆いていたのに、今、浮舟に心が移った事を、弁尼に恥ずかしくも、また、弁尼の歌の大君の事を述べた点を、しみじみと感慨深く薫は思い、
里の名も昔ながらに見し人の
面がはりせる閨の月かげ
(月影もこの里の名も、昔のままの世を憂く思う宇治であるのに、かつて見た大君が、浮舟に顔変りをしている、寝屋の中の月の光の下に)
果物の下敷に書いてあったのであるから、わざわざ返事と言うのではなくて、口吟して返歌した。それを侍従が辨尼に伝えたそうだ。(東屋終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」ー79-東屋3-3 作家名:陽高慈雨