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私の読む「源氏物語」ー76-宿木ー3-3

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「こんな事情もあんな事情も、長生きすれば、また良くなる事もあるのに、匂宮のことを大君がどうにもならないと思ってしまわれたことが、私が世話をしたという責任もあり、私が誤ったことをしたと、今も大君の死が耐え難く悲しいのです。匂宮の最近の様子は六君との婚姻で何も変わったことはない、これは世の中のよくあることではないか。六君の婿となったけれども、匂宮の中君に対する態度は、気にすることはないようですよ。何回言っても、跡かたもない空に昇ってしまった煙(死)だけは、人は逃れることが出来ない現実ですが、死に別れると言うことは言葉には言えない悲しみですね」
 と言って二人は又涙に浸ってしまう。
 山の阿闍梨を呼び寄せて大君の、十一月の一周忌の経や仏の供養(法要)の事などを。十月中から準備するように頼む。
「この山荘に私がこのように時々訪ねて来るにつけても来る甲斐がないので、心が落ちつかず面白くなく、この山荘を壊して、阿闍梨の山寺の側に堂を建てようと思うが、遅く建てるも早く建てるも、建てる事は同じであるならば、至急に建立を開始してしまおう」
 と、堂が何棟、回廊僧坊など必要な物を書き出して、薫が言うのを、阿闍梨は、
「それは有り難いことで」
 と佛の功徳を申すのである。薫は、
「八宮の風趣のある御住居として、場所を御自分のものに占有して御造作なされたような所を取りこわすような事は、思いやりがないようであるけれども。八宮が造作なされた御意志も、仏への功徳の点には、何でも積極的に、きっとなされるような御積りであったであろうけれども、後に遺るであろう姫君のことを考えて、寺に改築するようには遺言なさらなかったのであろうか。
今は匂宮の北の方となった中君がこの山荘の所有者であるから、この山荘は、あの匂宮の建物とでも言う事のできるものになってしまった。だから、この場所にあるままに寺にするような事は、不都合であろう。勝手に、そんな風にこのまま山荘を寺に改築するわけにはしたく思わない。また、この場所は少し川に近すぎて外からすっかり見えるので、やっばり寝殿を取除いて山寺の傍に移して寺とし、此処には、別な形に寝殿を改造して建てようという考えである」 と薫は自分の考えを言うと、阿闍梨は、
「そのご計画は、どちらから考えても、とても尊い考えである、畏れ多く尊い中納言殿の御心である。昔死んだ子供との別れが辛くて、子供の屍を袋に入れて包み長年首に懸けていた人が仏の御導きによって、いかにも断ち難い愛着の綱を断ち、子の屍を包み入れた袋を捨てて、結局、仏の悟りの道に入ってしまったのでござりました。寺を建立するのは、屍を捨てて、仏となる事と同じである。貴方もこの寝殿を御覧になって大君への愛着の心が動きますでしょう、そのお気持ちは後世の罪障となる、間違った不都合な御事である。また、寺とする事は、後世の、仏道に入って善根を積む事の御勧誘とも、当然なるはずの事でござる。
ですから、急いで、工事を着手させましょう、暦博士が、選定した良い日柄を伺って、この道に作法を知っているような大工二、三人を、御身から送っていただいて、細かなことは仏寺建立の規定通りに、大工に着工させましょう」
 薫は何かと指図をして、自分の領地の管理者などを呼び寄せて、ここの工事の間の手伝いなどは、阿闍梨が言うように、取計らうべき事など、指示してる間に陽が簡単に暮れてしまったから、薫はその夜は山荘に泊まった。
 薫はこの度はしっかりと寝殿を見ておこうと、寝殿の彼方此方を見て回ると、八宮の佛や仏具は皆山寺へ移してしまったので、今は弁尼の仏具だけが残っていた。弁尼が淋しげに住んでいるのを、この後どうするのであろうと薫は考えていた。
「この寝殿は建て替えをする。作業が始まったら貴女はあの廊下の方にお住みなさい。中君方に送るような物があれば、私の荘園の者に声を掛けて、適当に、取計らいなされよ」
 弁尼に薫は家事の細かなことを話し合う。この山荘以外では、これ程に年老いた、弁尼のような人を見向きもされないが、この山荘では縁のある者と薫は思っているので、夜も近くに横になり、大君の昔話を弁尼にさせて聞き入っていた。薫の本当の父である柏木のことを、他に聞く人がいないので弁尼から安心して細かなことまで聞いていた。

 弁尼は、
「昔、臨終と、柏木がなられた時に、間もなく、生れてくるであろうと思う、貴方の様子を、早く見たいものと、思いなされるようであった様子などが、今も目の前に自然に思い出されまする。その私がこんなに長らえようとも思いもかけませぬ晩年に、こんなに親しくして、貴方を見ることが出来て、いかにも柏木御在世中に、柏木に親しく御仕え申して置いた御蔭(しるし)が、自然、ありましたことと、嬉しくもあり、同時に又、柏木の死を悲しくも思います。早く死ねば心安かったであろうに長らえた、つらい長命の間で、柏木や八宮や大君や中君などの色々の悲しい事、他界や不遇を、見て過ごし、また、思出しで悟るのでございます、長生きがいかに恥ずかしいか悩んでおります。中君からも、時々京へ来て私に会って欲しい、宇治に、どうしているかと不安に思うように、すっかり引寵りぎりになってしまったのは、私を思い捨ててしまったようである。などと文を送ってこられることも度々ありますが、私は縁起の悪い尼の身の上なので、阿弥陀仏より他には、会う人はこの世に居なくなりましたから」
 弁尼はあれこれと薫に語った。それはそれでまた、大君の事なども、年頃の様子などを、尽きる事もせず語り続けて、あの時はこう言われた、また、あの日は気難しげに言われたと、花の時期、紅葉の季節にその折々の色を見て大君がとりとめもなく詠んだ歌を弁尼は、不似合いな語り手とは見えずに、声だけは慄えていたが上手に伝え、薫は、大様で言葉が少いのであるが、情趣のある大君の気質であったなあと、弁尼の語る言葉に自分の気持ちを添えって聞いていた。薫は、
「中君は、大君よりもう少し今風の花やかな気性であるが、心を許さないような男に関しては、無愛想にして近づきにくく振舞はれるが、私には思慮が深くなく、情趣もないとは見られなくて、どうかして、潔白で過ごしていたいと、思っているようです」
 と言って、心の中で大君と中君を比べていた。そうして、何かの話のついでに、中君から先日聞いた、あの大君に良く似た、浮舟のことを弁尼に確かめてみた。弁尼は、