私の読む「源氏物語」ー72-総角ー3
「もう少し心の整理が付くまでお待ち下さい、その後でお逢いいたしましょう」
戸答えるのを、薫も聞いて、ある女房を呼び寄せて、
「中君の気持ちに反して匂宮の態度は大君在世
中も今も薄情な物であるが、今まで長い間中君は辛かったであろうが、匂宮が気に障らない程度にやんわりと責めるのがよいと思う。匂宮は今まで女から責めや咎めを受けたことがないので余りきつく責め続けると、苦痛に思いなされるであろう」
と、女房が薫の言葉を告げると中君はこの薫にまで恥ずかしく思えて、匂宮と対面しない。「何と強情なお方だ、私の来たことをわざと無視なさる」
と、大きく溜息をついて嘆息する。
夜の外の様子が荒れ模様の時に、匂宮が中君の冷淡な扱いに泣き伏してしまうのを、中君はさすがに気が咎めて隔てたまま声を掛ける。匂宮は、千の社を願に懸けてこの先永く中君を愛することを誓うのであるが、こんな上手いことを言って女を騙しなさると、中君は思うのであるが、他所で匂宮が彼女を忘れているよりは、目の前で逢って、人の心の柔らかさを見れば、
一方的に嫌がり通してしまう事もできないと、匂宮の言葉を真剣に聞いて、
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きしかたを思ひいづるもはかなきを
行く末かけて何頼むらん
(今までの事を思い出すにつけても、貴方は頼りないのに、将来の事を引きくるめて、私は何を頼みにしましょうか)
と柔らかく詠う。逢って見て、中君の気持が解けないので、匂宮は気が気でない・
行く末を短きものと思ひなば
目の前にだにそむかざらなん
(将来を、あてにならない短いものと、きっと御思いであるならば、せめて目の前だけでも、私に背かないで私の言う事を聞いて欲しい)
どんな事でも、大君の死によっても知られるように、見る間もない、短いこの世であるから、貴女は私を困らせて罪作りのために、気を遣わずに心を広くして私に従いなさい」
と、匂宮は色々と手を尽くして中君を慰めるのであるが、
「気持ちが悪い」
と言って億へ入ってしまった。女房達の目にも恥ずかしく、匂宮は一夜を泣き明かした。中君が匂宮を恨むのも道理はあるが、中君が、匂宮の薄情を恨むとしても、大君に死別して悲しく寂しい時であるとしても、そんなに恨まなくともと、匂宮は思い、自分以上に、平素の疎遠を、どんなに恨めしく思ったであろうかと、色々大君と死別の悲嘆や匂宮の薄情やと、中君をしみじみと可哀そうに、同情せずにはいられないのであった。
薫中納言がこの山荘を自分の家のように住み慣れて、女房達を軽く呼んで使っている、人も多く集まって薫に物を差し上げたりしている、匂宮はそれを大君を亡くしてさぞや悲しかろう戸見たり、何となくこの屋の主人面しているのが可笑しく見えたりしていた。大君の看病から後気疲れか大変痩せて顔色も青く、ぼんやりとしたところも見えるほど物思いにやつれているのが匂宮は可哀想に思い、真心から弔問の言葉を述べた。
大君の生前のことを言っても甲斐無いことであるが、この匂宮には是非聞いて貰いたいと、薫は思ってみるが、薫は年上でもあるこの匂宮に頭が上がらないところがあり、どうしてもきつくは言えない、頑固者に匂宮が見えて言いたいことが殆ど言えないのであった。薫は大君が亡くなってから声を出して泣いてばかりいて、幾日か過ごしたので人相が変ってしまってはいるが、いよいよ清らかで艶めいた感じがするのを匂宮は見て、自分が女であればこの男は放っておかないがと、自分の浮気心からそんなことを考えるが、もし中君がこの薫に気が移るようなことになればと、宮はどのようにして世間の人の非難もタ霧の恨みも受けなくて、中君を京に移そうかと、考えていた。このように中君は匂宮を相手にしないまま、宮は内裏にも何かと問題にされることであろうと京に帰っていった。帰るまで親しみある言葉の限りを尽くして中君の気持ちを和らげようとしたが、中君は、これからも冷淡な待遇を受けるのはつらいものであるからと、匂宮にその辛さの一端でも理解して貰おうと、最後まで打ち解けて話はしなかった。
年の暮れになって、こんな宇治の山奥でない所でも、空模様が慌しくて平素にはない変化を見せているのに、宇治の山里は穏やかな日がなく雪が降り続いている、その雪を眺めながら日にちを過ごす薫の気持ちは相変わらず大君を偲んで嘆いて夢のような気分であった。七日七日の法事は薫はきちんと作法通り女房を指導して催していた。匂宮もお布施を多く贈ってきた。宇治でこんな状態ばかりで過ごして、その上、新年まで嘆いて過ごすわけにはいかないと、薫は考え、冷泉院や母女三宮などからも帰ってくるようにとの連絡もあり、そろそろ京に帰ろうかという気持ちも湧いてきた。このように自分が山荘にいて僧侶や都の人々が訪ねて来るのが多かったが、自分が去ればそれも途絶えて寂しく思いつらがる女房達は、あの大君が亡くなった時の悲嘆の甚だしかったあのときよりも、現在は落ちついて静かになっているので、自分が去って人の出入りがなくなれば、また悲しむであろうと想像出来るので、可哀想に思う。女房達はお互いに、
「時々かつて薫と大君とが、互に消息をやり取りなされた年月に比較して、今はそれよりも」
「このようにのどかな毎日が山荘にあると言うことは、薫君の毎日の様子が、親しみもあり情深くもあり、つまらない慰み事でも、真面目な生活の事でも、心遣いの豊かな御性質であられるからねえ」
「それももうすぐお別れで、悔しいことです」
とお互いに泣いていた。匂宮より、
「山荘に出向くことが難しいので困るので、京に、近く中君を御移し申しあげるつもりである。
そのように私は考えている」
と中君に文があった。母の明石中宮が、中君のことを聞いて、薫も、こんなに大君を一方ならず思いつめて惚れていたのであれば、なる程、中君を、普通の女とは考えられない、匂宮も熱中するのであろうと、明石中宮は息子の匂宮を可哀想に思い、二条院の西の対に中君を移してはと、匂宮にこっそりと言われたので、中君を自分の姉の一宮に逢うのと同じように考えて言われたのではと、そうすれば、逢うために気をもむ事があるまいと嬉しいので、中君にすぐ消息してたのである。そんなことがあるのかと薫も聞いて、三条宮も作り直して大君を迎えようと考えたのに、大君亡き後は中君を移して大君の遺言通りに中君を見ていこうと、思っていたのが実現できなくなり寂しく思った。匂宮がかつて邪推していた中君が薫に心が移るかと、いうことは薫の方でも、全く不似合な事として、念頭から離れ、しかも中君の一般的な御世話は自分でなく誰が見てあげるのだと、薫はまだ考えていたのである。(総角終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」ー72-総角ー3 作家名:陽高慈雨