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私の読む「源氏物語」ー66-竹河-2

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四月九日に大君は院に参内する。右大臣の夕霧が車や供揃い、先駆けその他総てを用意した。母雲井雁も、蔵人少将の望をかなえられなかった事を、恨めしいと、思うのであるが、玉鬘とはあまり親しくはなかったのであるが、少将のことがあってからはさいさい連絡を取るようになっていたのが、これで又なくなることになるのは気がかりなことであるので、今日の日に色々と世話をする人に祝い物として送る品々を、特に女の装束を数多く玉鬘に贈った。それらに添えて、
「妙に、生きている人間ともおもえられない精神状態の、蔵人少将を看取っているときでもあり、今までは、そちらの御用を引き受けたことも御座いませんでした。色々とご用をおっしゃらないとは何となく私どもを疎遠に扱われているような気がいたしました」
 と書き記してあった。文面は温和なようで、蔵人少将に関する不平を、それとなく言っているのを、玉鬘は気の毒なことをしたと思う。夕霧からも文がある。
「私もお尋ねせねばならないと思っていましたが、物忌がありまして、参上致しかねます。それで、男の子供達を雑用に使って貰おうと差し向けました。遠慮無く用をお言いつけ下さいませ」
 と、雲井雁腹でない子供の、源少将と蔵人兵衛の佐玉鬘邸に送った。
 玉鬘は夕霧が親切な心の持ち主であるなあと、喜んだ。玉鬘とは腹違いの兄の按察大納言からも、参内に従う女房達の乗る車の提供があった。按察大納言の北の方は亡き夫鬚黒の前の北の方腹の真木柱であるから、自分の父・夫どちらにも縁ある方で、睦まじく文を交わすのが当然のことであるが、事実はさほどでもなかった。ところが、真木柱と同腹の弟である藤中納言は自身で玉鬘邸に来て、玉鬘と異腹であるが兄弟の左近中将や右中弁たちと、大君院参の準備を手伝ってくれた。鬚黒が生きているならば喜ぶことであろうと、色々と動いてくれる鬚黒ゆかりの者達を見ていて夫鬚黒が居ないのが残念に思うのであった。
 蔵人の少将は中将御許に切ない気持の悲しい言葉の有りつたけを出して、文を送ってきた。
「今はもうこれまでと、諦めてしまった命が、諦めたもののさすがに悲しいことですから。ですからせめて、大君から一言、あわれ、気の毒と思うと、声を掛けて貰えば、その一言で、私は命を繋ぎ止められます、私はもう少し生き長らえるでしょうか」
 などと書いてあるのを、中将御許は姫君達の部屋に持って来て見回すと、姫達二人が抱き合って悲しんでいた。姫二人は、夜も昼もお互い共に習い事をして、かわるがわるお互いの部屋を行き来していたのが、大君が院参したあとは別々になってしまうのを悲しんでのことであった。今日は晴れの日であるので大君の姫は新調の衣装を身に纏って本当に美しいのであった。鬚黒が、生前予定していたし、又口に出して言っていた、大君を入力させると、いうことが何とはなしに、しみじみと思い出すのであろうか、中将御許から渡された文を取って読んでみる。
 夕霧大臣・北の方雲井雁と両親が揃っているので、あれ程、将来の頼みになるような生活の境遇であるのに、蔵人少将はどうしてこのようなつまらない事を考えたり言ったりするのであろうかと、不思議に思いながら大君は「今は命もこれまで」と書いてあるのを、「本当であろうか」と思い、すぐそのまま、この蔵人少将の文の端に

あはれてふ常ならぬ世の一言も
     いかなる人にかくるものぞは
(この無常の世に、「あわれ」という一言は、それは誰にでも言う事ができますから、私は誰に言えば良いのでしょうか、特別な人、一人に言いかけるものとは知りませんでした)
 貴方が「命も今はこれまで」などと、語るも忌ま忌ましい事を言われるので、恋の点からではなく、「あわれ」という事を、私は今、それとなく思い知りました」「あはれと思ふとばかりだに云々」を受げて、このように大君は返歌をしたのである。
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「このように書いて、言うてやりなされ」
 と言って中将に渡された物を中将御許がそのまま直ぐ、別紙に清書もせずに、蔵人少将に渡した、大君の筆跡はこの上なく珍しいのに、その上、院参の折、これが最後であると、いう事を、大君が意識している事までが少将には悲しくて涙が止まらない。折り返し
「深養父の歌に
 恋ひ死なば誰が名は立たじ世の中の
      常なきものと言ひはなすとも
 世の中は無常で、死ぬけれども、私が貴女が原因で死ねば、貴女の浮名が世間に流れることになると思います」 
 と古い歌を引っ張り出してきて、歌を言いがかりのようにして、

生ける世の死には心にまかせねば
       聞かでややまむ君が一言
(私が死んだならば、貴女が、あわれと、のたまう事もあるやも知れない。けれども生きていた、この世での死は、勝手に心の思う通りにならない、何時死ぬかわからないから、長らえてでもおれば、私は、結局、聞かないで終ってしまうのであろうか、貴女の、あわれと、いう一言を)
 私の死後、私の思いに感じて、墓の上にでも「あわれ」と言いかけて下さる、私に対する貴女の御心であると、私がもし信じておりますならば、私は一途に、自然と、死が急がれるのでしょうに」
 と書かれてあるのを大君は読んで、
「迷惑な返事をしてくる物よ。其れも書き換えもしないで中将は少将に渡すなんて」
 大君は困ってしまい、誰にも物を言わずに黙ってしまった。付き添いの女房や女童は大君の気に入り者ばかりを付き添わせた。
 院参の儀式はたとい、内裏に入内の揚合の儀式と変る事はない。玉鬘は大君に附添うて、まず姉になる弘徽殿女御の許を尋ねて、話し合いをする。夜が更けてから冷泉院の許へ大君は出向くのである。秋好中宮・弘徽殿女御達は冷泉院の許に来てから年を経て、二人とも歳を取ってしまったから、年下の冷泉院から夜のお勤めは退散していた。院の若い頃は遙かに年上の秋好中宮は源氏の推薦で弘徽殿女御よりも後に入内し、弘徽殿と中宮の座を争ったのであるが、帝であった冷泉院は少し年上の弘徽殿女御よりも年の離れた姉さん女の秋好中宮の方が何となく肌が合った。それで源氏と弘徽殿の父親の頭中将との争いになった末に秋好中宮が后となった。二人の女のよるのいとなみはそれは見事な奉仕ぶりで、形や方法は違っていたけれども、男を毎回絶頂の域まで満足させていたのではあるが、秋好中宮は早々と歳を理由に床を離れて六条院に里帰りをして、弘徽殿も四十近くなって、昔のように院の相手は出来にくくなっていた。それでも秋好中宮が去った後の勢いは失いたくはなかった。そのような中で姪である大君の院参が決まったのであった。
 院参した大君は十八歳、夜更けての結婚の儀式であるので容姿ははっきりとはしないが、燈火の許で見る女は可愛らしく、若い盛りで、あることは分かり、焚きしめた香の薫りが冷泉院の男心をきつく刺戟する。冷泉院は四十歳半ばでそろそろ老境に入る歳になって、初めて年下の女と一つ床が出来ると期待が大きく、儀式なんかどうでも良いではないか、早く二人だけになりたいと焦るのであった。