私の読む「源氏物語」ー63-匂宮
右大臣の夕霧は多くの娘を抱えて居るので、その中から一人は薫へ、もう一人は匂宮へ嫁がせようと考えていたが、そのことをなかなか言い出せなかった。夕霧の心中には、薫も匂宮も、薫は異母弟、匂宮は甥という関係は知れ渡っているので、自分とは心がひかれるようなことのない間柄であるから、嫁がせようか、嫁がせまいか、どうしようかと、思い悩むのであるが、さすがにこの二人をおいては他に婿として候補となる事のできる人を求めることは出来そうもない、と夕霧は悩むのであった。夕霧の正妻である雲井雁腹の子供より、夕霧の女である惟光の娘藤内侍典の腹の六の君が容姿も良く性格も優れているのであるが、世問からの思われが、藤典侍腹であるために当然、軽く見られている
ことが、容姿も気立ても勝れて惜しい娘であると夕霧はいつも気にしていた。そこで夕霧は自分の女となった落葉宮に子供がなく、孤独であるというので、六君を藤典侍の許から、落葉宮の養女にすることにした。
夕霧は、正式ではなく薫や匂宮にこの六君を紹介すれば必ず六君に恋することは間違いない。女をよく知っていればいるほど、彼女の良いところが分かるはずである、と信じて、六君を奥深く箱入り娘のようにはしないである程度自由にして、薫や匂宮に見せようと、花々しく、風流に、琴や歌などの上手く練習をさせて、薫や匂宮の心が六君に向くようにしむけた。
正月十八日、左右の、近衛・兵衛の舎人の競射が弓場殿で行われて、帝も臨席する。その競射の賭弓に勝った方の大将が自邸で行う饗宴の準備は、勝方は舞楽を奏し、負方は、罰酒を出すが列席せずに、弓場殿から早退するのが例である。この年、薫は右大将で、負方であった。夕霧はこの宴会を六条院で心遣いを充分にして準備をし、親王をも出席してもらうように聯絡を取っていた。タ霧の心には、親王の一人匂宮をも出席させようという考えであった。
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この日帝の親王達の中で大人の方は皆内裏に集まっていた。后である明石中宮の子供達は皆清らかで上品であるが、その中でも匂宮は世間の人が評判するとおりに更に優れて上品で清楚であった。また四親王と言われる常陸宮は、更衣腹の方で、何となく見た目に后腹の子より劣って見えた。
いつものように左近衛が勝利した。いつもより競技が早く終わったので夕霧は内裏を退出した。匂宮、常陸宮、明石中宮腹の五の宮中務宮達を夕霧が一つ車に招き乗せて内裏を後にした。薫中将は負け方で夕霧に挨拶もなく退出していくのを見つけて、
「親王達はみな我が家に来られますから、そなたもお出でなさい」
と、退出する薫を止めて、夕霧の子供の衛門督、権中納言、右大辨や、更に他の上達部が多くあれこれの車に乗り込んでいるのに引っぱり込んで六条院へやってきた。内裏からの途中で雪が降り出し言いようのない黄昏時になったので笛を取りだして吹き始める者がありやがて調子を合わせて合奏する者もあって賑やかに六条院へ入っていった。実際に、笛と言い、雪と言い、六条院の庭と言いなる程、六条院を除いて、どのような仏の御国に似通った六条院のような気晴らし所があるであろうか、と人々は見ていた。
寝殿の南廂に平常通り。宴会は左中,少将を主とするから奥に着座させる。又、北向きで、中・少将の向うに、垣下といわれる 饗宴の時、主人を助けてとりもちする相伴役の親王達や上達部の座が準備されていた。酒宴が始まって、次第に坐が活気づいてきたときに、風俗歌の求子を舞って、翻る袖などの、打ち返す度の袖の風に、寝殿近くの咲き誇っている梅の香りがさっと匂い渡っていくのに薫中将の体臭が大変引き立てられて流れていくのを、薫の姿がなんと言うこともなく艶めかしくて、物陰から宴席を見ていた女房達が、
「夕闇のために薫の御姿は見たくても見えなくて、気がいらいらするけれども」
「彼のお体の匂いは闇であっても匂うから、本当に特別な香りがします」
「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは かくるゝ」「降る雪に色はまがひぬ梅の花香にこそ似たる物なかりけれ」
女房達はこの古歌を思ってか薫を褒めあげるのである。夕霧大臣も薫の姿を「何と優美であろう」と見ていた。薫は今日は形も崩さずに礼儀に添って行動しているのを見て、
「薫は謡いなされよ。今宵は、客人らしくしてはいけませぬよ」
と夕霧が注意すると、薫は失礼でない程度に八乙女の二段の一句である
「神のます 高天原に 立つや八乙女 立つや八乙女」
と歌い始めた。 (匂宮終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」ー63-匂宮 作家名:陽高慈雨