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私の読む「源氏物語」ー63-匂宮

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匂 宮  

 源氏が出家して山に籠もってからは、都の中から源氏の噂が次第に消えていき、やがて誰もが噂しない頃になると、源氏の息子の薫や源氏の娘である明石女御の二宮である匂宮の行動が都の噂となって、次第に広まりつつある頃、源氏死亡の噂が彼らのことと一緒に都に広まった。源氏亡き後、彼の容姿・才能・性格などを次ぐような人物は、彼の子孫達の中に取り立てて言える者はいなかった。退位の帝である冷泉院を、もしも源氏の後を継ぐ者としてここであげるとすると、例の源氏と藤壺との秘め事が公になるので、取り上げることはしない。
 であるから冷泉院を除いて今の帝の三宮である匂宮と匂宮と同じく六条院で育てられた源氏の正妻であり源氏の兄、朱雀院の姫宮である三宮との子供薫とこの二人が今は都の親王、貴族達では尤ももて囃されている若者であった。それぞれに、世に美しいという評判で、その評判の通り全く並々でない美しい姿、と気品のある性格であったが、光源氏と言われたような周囲に輝くような燦然とした照り輝きはなかった。匂宮と薫は普通の上臈で、気品が高く優雅であるのは生まれつきのもので、しかもそのような源氏の息子、孫であるという関係で、匂宮と薫の二人を、世間の人が尊敬をすることは、源氏の幼時、桐壷帝時代の源氏の評判よりは少し優れているかなというところである。一方匂宮と薫は、匂宮は亡き紫が我が子として迎えて愛育されたので、紫の旧屋敷である二乗院を住みかとしていた。帝と后の明石中宮は、一宮である春宮を先ず、別格の人物として特別扱いをして、その次に多くの宮があるのに三宮である匂宮を可愛がり、内裏の中で住む部屋も用意してあるのであるが、彼が幼少より生活していた気楽な二乗院紫亡き後も二条院で暮らしていた。
 匂宮は元服して兵部卿に任ぜられた野で、人々は匂兵部卿宮と呼んでいた。
 帝の一宮は姫宮で匂宮の姉に当たり二人はともに明石中宮の子供であるが、早くから紫の養女として育てられたので、この宮は六条院の東南の対、紫が住んでいたところを住いとしていた。彼女は紫を偲んで紫が生前の室内外の調度品他をそのままにして朝夕に紫を想い出していた。
 二宮も春宮の弟で、匂宮の兄であるがいずれも明石中宮腹の子供である。彼は一宮と同じに六条院の源氏の寝室を里下がりの休憩所として使い、普段は内裏の梅壺(凝華舎)に部屋を貰い、夕霧の中姫君を妻に迎えていた。二宮は春宮が即位して帝となったときに、次の春宮となる人物であるので、人柄が重々しく真面目な青年であった。
 夕霧には六人の娘がある。一番上の大姫は春宮の嫁となり、春宮には他に女がなく、一心に春宮の愛を得ていた。人々は夕霧の娘達は順番に帝の一宮、二宮、へ嫁いだので、今度は三宮へと思ってみていた。明石中宮も三宮である匂宮へ夕霧の娘を貰いなさいと進めるのであるが、彼は一向にその言葉には従おうとはしなかった。それどころか、自分が望みもしないような女なんかとは婚姻はしたくないという考えであった。夕霧は、三番目の姫を同じように帝の三男に嫁がせようと思うが、そう順番通りはいくまい、姫達を順番に宮へ嫁がせることもあるまいと、逸る心を静めていたが、一方では又、匂宮以外の宮達から、次々の姫君を貰いたいというようなことがあるようなので、それに応じないわけにはいかないので、承知するような態度を取っていた。中でも六姫は少し才能がありと言う評判があり親王達がわれこそと争っている気配があった。六姫は雲井雁の生まれでなく夕霧の女で惟光飲む住め、藤典侍の産んだ子どもであった。六姫は上達部達が気の揉める姫野一人であった。
 二乗院・六条院に源氏が囲っていた女達は、当然、永住のはずの住まいと考えていたのであるが、源氏の逝去後はそれぞれ他所へ移って、花散里は二条院の東院を形見分けとして貰い。北の方になった入道三宮は父親の朱雀院から受けとった三条院に住むことにした。現在の后である明石中宮は内裏に居住することにしたので先帝の后である秋好中宮には、六条院の末申(西南)の一郭に住むことになり、六条院は人が少なくなり寂しくなったのであるが、右大臣となった夕霧は、
「関係のない他人のこととして、唐国や日本の昔の例を見たり聞いたりすると、その人の存命中の世に入念に造営して住んでいた住居が、その人が死んだ後跡形無くうち捨てられるという世の無常を見るのは本当に情け無い思いがするものである。そのようなことから自分が生きている限りはこの六条院は保存して、この周りの大路から人が出入りするのを絶えないようにしたい」
02
 と世間に告げて、自分は六条院のもと花散里が住んでいた東北(丑寅)の一区割に、あの落葉宮を一條宮から呼び寄せて住まわせ、夕霧自身は三条殿に住む雲井雁の許に十五日、六条院の二宮の許へ十五日ときっちりと定めて通うことにして両方を住居とした。
 源氏が二条院として美しく建築し、また六条院春の御殿として世間に評判となったのも、只明石の上の子孫のためだけであったように、彼女は、多数の孫の宮(皇子・皇女)達の世話をしながら、管理していた。夕霧は明石中宮や明石上や花散里その他、どちらの源氏の囲い女に対して源氏が生前の意向の通りで変わることなく父源氏になり代って片寄らない心で面倒を見るのであるが、ただ紫がもしも生き残っておられたら、夕霧はもっと誠意を尽くして面倒を見たのにと、
自分の心を見せることなく紫が死んでしまったことが、常に思いだしては悔しがっていた。
 世の人は源氏を思い出しては良き人であったという人が多く、何かにつけても火が消えたように思って歎くのであったが、まして、二条院や六条院に住む人達は、源氏の囲い女(明石上や花散里など)や宮達(秋好中宮・明石中宮・二宮・匂宮・女一宮など)は悲嘆極まりない源氏逝去は当然の事として、源氏亡き後の世の中の火が消えてしまったような気がして、何をするにしてもこの女達は嘆き悲しむことをしないことはなかった。その上にかっての紫の行動を深く心に刻み込んで総ての事柄に紫のことを想い出さないことはなかった。「残りなく散るぞ目出たき桜花ありて世の中果ての憂ければ」(何も残すことなく散ってしまうのがすばらしいのだ、桜の花は。生きながらえたところで、世の中は最後はつらくていやなことばかりだから)
という古い歌のように花の盛りが、特別長くないにつけても、世間の人からの賞賛が、いかにも勝る紫上であった。
 二品の位を受けた源氏の正妻朱雀院の三宮、その子供である薫は父親の源氏がかつて、依頼なされた通りに冷泉院の帝に特別大事にされ、后の秋好中宮との間に子供がなかったので、