走れ! 第一部
その女性は、おれが開いたページを興味深そうにのぞき込んだ。
「これは何て読むんだ……?」
「イカリガセキです」
おれがそう言うと、その女性はガイドブックを手に取り、開いてあったページを眺め始めた。こんなやり取りをしているおれ達を、周りはどういう目で見ていたんだろうな。
「関所があったんだね……」
本当に興味深そうに碇ヶ関のページを見ているその女性だけれど、次の瞬間、ガイドブックを閉じると、信じられないことを言うんだ。
「行きたい!連れてって!」
本当にそんなことを言ったんだぜ?信じられるか?下心なんて全然なかったけれど、おれの好きな青森にあんなに興味を示してくれたんだ。それに、あんなに輝いた目で見られちゃ、首を縦に振る以外、なかったよね。あっさり了承してしまったよ。
「ありがとう!いろいろお話したのに、まだ名前言ってなかったね!私は岩本涼子。涼しいって字を書いて涼子。お兄さんは?」
「上本純です」
「そうか!ジュン君か!」
そう言うその女性、涼子さんは、本当に明るい人だった。盛岡へ向かうあの列車に、家出をして乗っていることをすっかり忘れていたよ。家出と言うよりも、気がつけば完全に旅行になっていたよな。すごく楽しい旅になりそうな予感がした。
いろいろと話をしているうちに、列車は随分と進んで福島も過ぎていた。確か、おれ達が乗っていたその列車は、大宮を出ると仙台まで止まらないのに、仙台からは各駅停車という変わった列車だったんだ。まあ、いろいろと話しているうちにあっと言う間に時間も過ぎていたから、停車駅なんてあんまり関係なかったけどな。
「私、青森も初めてだけど、東北に行くのも初めてなんだ!今は船橋に住んでるけど、山口の生まれでね」
「そうなんですか。青森はいい所ですよ!」
おれがそう言うと、涼子さんは嬉しそうに微笑んだ。
いろいろ話していると、涼子さんは足元のカバンをまさぐり、中からお菓子を出しておれにくれた。クッキーだったかな?いずれにしても、甘いものだったんだよ。今じゃ甘いものが苦手なおれだけど、当時は当たり前のように食えてな。お菓子をつまみながら青森の話をすると、涼子さんは本当に喜んでくれたんだ。
さっきまで山の中を走っていた列車は、いつの間にか街の中を走っていた。広瀬川を渡り、もうすぐ仙台に着く。ずっと話していたから短く感じたけれど、大宮を出てから、まだ1時間ぐらいしか経ってなかったよ。
「そう言えば、どうして青森に行こうと思ったんですか?」
仙台を出た辺りで、ふとそう思ったので、訊いてみた。
「青森も私が生まれた山口も本州の端っこでしょう。だから、もう片方の本州の端っこに行ってみたくてね」
「なるほど……」
これは埼玉生まれのおれにはない発想だったよな。何だかうらやましかったよ。この時からかな。埼玉生まれというのが嫌になったのは。
列車はくりこま高原とか、一ノ関とか、あまり列車が止まらない駅に止まって行く。車中では涼子さんといろいろ話したけれど、なぜかお互いに自分のことは話さず、青森の話とか、世間話で盛り上がっていた。おれは中学生の時に流行を追うのをやめてしまったけれど、涼子さんも流行を追わないらしく、二人して、当時流行していた芸能人の名前を一人も言えなかったのには大笑いだったよな。そんな風に車中で過ごしているうちに、列車は盛岡に着いた。今なら速いはやぶさ号で東京駅から2時間もあれば行けてしまうのだろうけれど、当時のやまびこ号では3時間近くはかかったかな。
「いやー、やっと盛岡に着いたね!」
涼子さんが伸びをしながら言う。涼子さんは大きな荷物を持ち、おれはリュックサックの一つだけ。おれなんて、何も考えずに家を出て来たからな。対照的なおれ達は、足取りも軽やかにプラットホームへ出て行った