私の読む「源氏物語」ー60-夕霧ー3
「当分の間、暫くは、三条邸にそのままにしていて、タ霧の気持を御覧なさらなくて早まった事をし、軽はずみであったな。自然に夕霧も考えて行動をするであろうに。女がお前のように心が真っ直ぐで性急で立腹し易いのも、却って、人が見れば自然軽率に思われるものである。よかろう、このようにお前が言い出したという事ならば、何も折れてまで、惚けたようにして三条邸に帰ることはあるまい。自然、そのうちに、落葉宮に対する夕霧の態度や気持が見えてきて、きっとわかるであろう。落葉宮が、タ霧に靡くか、靡かないか、それによって、夕霧の態度も意向も、はっきりしよう」
と言って柏木の弟で蔵人少将を一條宮に使者として、文を持たせて差し向けた。
「前世の因縁があるせいであろうか、私は、落葉宮を、柏木の北の方として心から思っていますので、柏木若くして亡くなったのが、御気の毒と思う。また、婿のタ霧との噂が聞こえてきて、その事を、娘の雲井雁のために困ったことと聞いている。タ霧に靡き給うともやっぱり、宮は、柏木を、思い捨てなさる事は、できますまい。雲井雁のために御考慮あるべきであろう」
という文を持って少将は一條宮へ入っていった。母屋の南面の簀子に座を決めて藁を丸く編んだ敷物をさし出して応待はするものの、女房達は、タ霧の事があるので、物を申しあげにくい。女房達すら、そう思うから落葉宮はそれ以上に少将と応対するのが辛いと思う。蔵人少将は柏木の兄弟の中で特に容貌が立派で、態度なども見よい、円座に座し、落ちついて静かに辺りを見回して柏木生前のことを想い出しているようであった。
「此方へは度々参って馴れていますのに、初めて来訪したように、遠慮があることがないのに、どうしてそのように私を扱っていただけませんのですか。もっと親しい扱いにして欲しい」
と、遠回しに皮肉を言う。落葉宮は返事の言葉が書きにくくて
「お返事は書けません」
「そのお考えは子供みたいで」
「それはそれとして、代筆でもということも、いやそれは出来ない」
女房達が寄って来て返事を書くようにと強く勧めると、落葉宮は先ず涙を流して、故母上御息所が、もしも御存命であるならば私の行為を、「面白くない」と、どんなに御考えなされながらも、こんな場合うまく取りつくろって下されるであろうのになあと、母のことを思いだし、涙が、筆に先立つ気がして書こうとはしなかた。
何ゆゑか世に数ならぬ身ひとつを
憂しとも思ひかなしとも聞く
(どのような理由であるか、この世に物の数でもないつまらない身一つを、父君は、情なくつらいとも思い、悲しい気の毒に思うと、も聞くと仰せられるのは)
と心の中に思うことをそのまま書きまとめしないで、上包みの紙に包んで
女房に渡した。蔵人少将は女房達と話して、
「私が時々此方に参上しますが、それはそれとして、こんな端近な、御簾の外の簀子の席は、便りない者扱いで情け無い気がしますねえ。しかし、女房に知人もでき御縁がある気がするので、今後はこちらに始終参上致しましょう。
邸の奥向き表向きへの出入なども、きっと許されるに相違ない、柏木存命時代以来今までの長い年月の忠勤の効果が、今日現れた気が致します」
と落葉宮に気があるような思わせぶりを残して、帰っていった。
致仕大臣の文を見てから、ますます不機嫌な、心を閉じた様子の落葉宮のために、タ霧は心が落ちつかずに途方に暮れているのを雲井雁は見ていて、
日数が過ぎるに従って彼女の心配、嘆きが多くなった。夕霧が雲井雁とまだ結ばれる前に、雲井雁を思って苦悩している夕霧に同情して、添い寝をして慰めていた、源氏の乳兄弟である惟光の娘の藤典侍は、夕霧と落葉宮との、このような一件を聞くと、雲井雁は典侍に常々、自分が夕霧と一緒になる前のこととは言っても、典侍を嫉んで容赦しない恋敵として思っていたのであるが、今度は、そのままにして置けない落葉宮の一件が発生してしまったのであったよと、居間までも時々文を送っていたのであるが、このたびも大事なことが起こったと雲井雁に文を送ってきた。
数ならば身に知られまし世の憂さを
人のためにも濡らす袖かな
(もしも、私が、人並の者であるならば、自分の身にも知る事ができるであろうと思う、男女の間のつらさ情なさに対して、雲井雁のためにまあ、同情して濡らす袖であるなあ。(然し、私は、数ならぬ身故、タ霧に捨てられても、つらさがわからないけれども。)
雲井雁は藤典侍の文を受けとって、
すこし気にさわると典侍の文を見るが
何となしに悲しい時の所在なさに、」今までは恋敵と憎んでいた藤典侍も、内心は、さぞかし夕霧と落葉宮の関係を平気で考えている事はできまいと、同じ思いの女がもう一人いるのだと、少しの関心が雲井雁には出来た。雲井雁は、
人の世の憂きをあはれと見しかども
身にかへむとは思はざりしを
(私は、他人の、男女の夫婦仲のつらさ情なさに対して、昔は、可哀そうであると思ったけれども、他人のそのような憂さを、自分の身に起こるとは、かつては考えなかったのに。貴女はは、親切にも、よく同情して下されたよ)
とだけの雲井雁の文を見て藤典侍は、雲井雁の気持ちを哀れと思っていた。
以前、このタ霧と雲井雁の仲が無理に裂かれていた頃に、夕霧はこの典侍のみを人に知られない隠れた愛人として、思いをかけていたのであったが。雲井雁を北の方とすることが許されて、事情が変わった後は、藤典侍に本当に稀にしか逢わず、段々と冷淡になっていったのであるが、それはそれで相当に藤典侍との間に子供も多くあった。雲井の産んだ子どもは、太郎・三郎・四郎・六郎・大君・中の君・四の君・五の君とある。典侍には三の君・六の君・二郎・五郎といて、全部で夕霧に子どもは十二人で不出来な子供はなく、大層可愛らしげに、それぞれ生長していた。なかでも内侍典腹の子達は、特に顔が綺麗で、気質に才覚があってみな優れていた。三の君と二郎は花散里の許に特別に奉仕していた。花散里の養子となっている三の君と二郎君との二人を見馴れているので大変可愛がっている。
この、タ霧と雲井雁との間の事情は、どう言って良いのか方法もない程、むつかしいと言う事になってしまった。落葉宮の事から、雲井雁は里方に去り、前の太政大臣が間に入り、問題はより複雑になり、簡単に解決し難くなったのである。(夕霧終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」ー60-夕霧ー3 作家名:陽高慈雨