私の読む「源氏物語」ー54-柏木ー1
柏 木
衛門督の君柏木は病が癒えないまま新年を迎えた。彼の父は前の太政大臣、母は亡き弘徽殿女御の妹で、弘徽殿は亡き桐壺帝の女御であった。その父母が息子の桂木の病がなかなか好転しないのを心配していた。息子が源氏の正妻である朱雀の娘三宮に懸想して夜這いをかけて関係し、その結果三宮が身籠もったというのが息子の病の原因であることを知るわけがない。柏木はそんな父母の悲しむ姿を見ると、このまま周囲に気兼ねして生きることもないが、親に先立つ不孝を思うと、という自分の気持ちは気持ちとして、この世に生きることには執着してはいない。
桂木はかつて幼少であった時から、理想は人に勝って高く、何事でも人並み以上でなければならないと、公私にかかわらず手を出し、普通の人以上に理想を高くしていたけれども、達し得なかったと、三宮との密通のこと、またもう二、三挫折したことを思いだし、自分を無カな者と悟った。そしてすべてのこの世に生きていくことを面白くなく考え、後生安楽のために出家しようという希望が沸々と湧いてきた。そう考えると出家修行の一つの行である荒れた野を駆け回る勧業を見て、出家をした息子を嘆く父母の姿が浮かんできて出家の妨げとなる、といろいろ考えて出家もしないでその気持ちをほかのことで紛らして来たのである。
しかしそんな自分もついに世間にはばかることを引き起した。女三宮への恋から夜這いをし、源氏正妻の三宮と長年の望みを果たすことができたのであるが、その結果三宮が妊娠したそのことが、源氏に露見し太上天皇という高い位の方までにも自分の不始末が影響をして、誰が一番ということもなく周囲の者が苦しむことになったこの責任は、自分であるということは、授かった前世からの宿命であろう。千年も枯れずに生きている松でない人間は命に限りがあるので、早かれ遅かれこの世から消え去るものである、世間の人にも柏木は、源氏の夫人三宮に恋い焦がれて死んだと世間の記憶に残っている間に死に、そして少しでも私が死んだことに同情を三宮がかけて下さるのであれば、私の向う見ずな一途の恋の思いの火にしよう。この上世に長く生きたならば柏木は、とんでもない噂の中で暮らし自分も三宮も破滅であると考え、自分が死んでしまえば、無礼な奴めと、柏木を憎んでいるであろう源氏も、しょうがない奴だったと自分に気を置くこともなく、臨終に際しては善も悪も消えてしまうものである。柏木はこんなことも考えた。今回源氏との間で気まずくなったのは、三宮の体を奪ったからで、そのほか源氏とは何一つ隔てなく交際していたのでる、自分が死んだら源氏にも私を哀れむ気持ちが湧いてくることだろう。
いろいろと病床にあって柏木は考えるのであるが、くだらないことばかりで自分の言い訳にしかすぎないのである、どうして、自分はこんなに肩身を狭くして暮らさなくてはならない身であるのかと、考えると心が闇になって枕も浮くほど涙を流して泣くのである、それを見て少し病状がいいと、見舞いに来た親兄弟は柏木の元から去った隙に、彼は筆を執り三宮に文を書いた。
「私の命も間もなくこの世を去るということを貴女はお聞きになったことでしょう。病はいかがでしょうかと、お尋ねもないのはあたりまえのことと思っていても音沙汰ないのは寂しいものです」と書くが病のために手が震え、書きたく思う事もみな柏木は書き残して、手を止めて
今はとて燃えん煙も結ぼほれ
絶えぬ思ひのなほや残らん
(今は最後であると世を去り、その火葬の煙がこんぐらかって解けないように、貴女への諦めきれない私の思慕の情は、やっぱり消えずに残る事であろう)
せめて、可哀そうであると、言ってくれるだけでも、その一言を心を静めて冥土の闇を照らす明かりにしましょうに」
と三宮宛に書き記して、さらに、三宮への夜這いの手引きをした小侍従女房にもまた、懲りもしないで哀れなことを書き、
「お前と直接会ってもう一言言い置きたいことがる」
と最後に書きおいたので、読んだ小侍従も、子供の時から、母の姉が柏木の乳母であった関係から母が姉を訪ねるときはついて行き子供の柏木と会うことが多かったので、柏木の三宮に対する身分下相応な大それた懸想の心だけは、非常に不快と思ったが、柏木の病状を噂に聞くと大変悪いようである、柏木は死ぬ前最後に会いたいと言っているのであろうと、悲しくなり涙を流して柏木の文を三宮に見せ、
「この御返事は、まことに御書きなさいませ。これが本当のところ御返事の最後になることと思いますので」
「私自身もこのお腹のことで命は今日か明日に絶える思いがして心細い気持ちであるので、柏木様のお気持ちは良く分かるのであるが、彼の文が源氏様に見つかって、二人の悲しみが始まったことが忘れられないので、文を書くのがどうも気乗りがしない」
と、三宮は文を書こうとしない。もともと彼女は意志や性質がそんなに強いことはないので簡単に筆を執るのであるが、今は世間に気兼ねをしている様子で源氏が、折に触れて柏木の事をそれとなしに彼女に言うのが、三宮には恐ろしく感じるので筆を執らないのである。そんなことはお構いなしに小侍従が硯を用意して墨をすり筆を三宮の持たせ、さあ書きなさいと三宮を責め立てるので彼女は渋々筆を執って柏木への返事を書き始めた。その文を小侍従は持って夜になってこっそりと柏木の許を尋ねた。
柏木の父の先の太政大臣は、人が、「霊験の勝れている修験者達を」というので。
霊験の勝れている修験者達を呼びなさればと言うので、役行者が籠もり住んで修験場を開き、祈りでもって病気退散の術を習得したと言われる葛城山の修験道場から、招請して下山させた者達の到着を待ている、到着次第、柏木の病快癒の加持祈祷をさせようと考えていた。
その祈祷師達が到着して休む間もなく祈祷が始まり、邸内は修法の唱名や読経の声で喧噪、祈祷師の踊り狂い騒ぎで沸き返っていた。また、外の人の勧めを聞いて、効験のある聖者と言われるような修験者などであまり有名でなくとも山に籠もっている修行者を柏木の弟たちを使者にして祈祷を頼み歩かせたので、役に立たない奥山に起き臥しして修行する僧である修験者でない山伏どもまでも招いてしまっていた。柏木は病が何という病名かはっきりしないでただ声を出して泣くばかりであるので、病床に立ち会う内裏から招聘された陰陽師達の殆どは、柏木の病の基は「女人の怨霊」であるとだけ占うので、父の前の大臣も、そうであろうと了解した。怨霊には、生きている人の生霊と、死んだ人の死霊とがあるが、誰も知らない柏木と三宮の間に三宮の生霊が柏木に取り憑き災いしているのである。父の前大臣は祈祷を尽くしても物怪が現れてこないので思案にあまって途方にくれて、少しでも効験のある験者をと思いこんな葛城山などの奥の奥までも探し求めて招いたのであった。葛城から来た聖と言われる験者も、山伏達と同じように身長が高々として、目つきが気味悪げで恐しくて、荒っぽく大声で、冷酷で荒々しい。彼らは柏木の周りを大声で梵音読誦の呪である陀羅尼経を読誦する、柏木はそれを見、読経を聞き、
「もう沢山である。私は罪深い男である。陀羅尼の声が大きいので恐ろしくいよいよ死ぬのであるなあ」
衛門督の君柏木は病が癒えないまま新年を迎えた。彼の父は前の太政大臣、母は亡き弘徽殿女御の妹で、弘徽殿は亡き桐壺帝の女御であった。その父母が息子の桂木の病がなかなか好転しないのを心配していた。息子が源氏の正妻である朱雀の娘三宮に懸想して夜這いをかけて関係し、その結果三宮が身籠もったというのが息子の病の原因であることを知るわけがない。柏木はそんな父母の悲しむ姿を見ると、このまま周囲に気兼ねして生きることもないが、親に先立つ不孝を思うと、という自分の気持ちは気持ちとして、この世に生きることには執着してはいない。
桂木はかつて幼少であった時から、理想は人に勝って高く、何事でも人並み以上でなければならないと、公私にかかわらず手を出し、普通の人以上に理想を高くしていたけれども、達し得なかったと、三宮との密通のこと、またもう二、三挫折したことを思いだし、自分を無カな者と悟った。そしてすべてのこの世に生きていくことを面白くなく考え、後生安楽のために出家しようという希望が沸々と湧いてきた。そう考えると出家修行の一つの行である荒れた野を駆け回る勧業を見て、出家をした息子を嘆く父母の姿が浮かんできて出家の妨げとなる、といろいろ考えて出家もしないでその気持ちをほかのことで紛らして来たのである。
しかしそんな自分もついに世間にはばかることを引き起した。女三宮への恋から夜這いをし、源氏正妻の三宮と長年の望みを果たすことができたのであるが、その結果三宮が妊娠したそのことが、源氏に露見し太上天皇という高い位の方までにも自分の不始末が影響をして、誰が一番ということもなく周囲の者が苦しむことになったこの責任は、自分であるということは、授かった前世からの宿命であろう。千年も枯れずに生きている松でない人間は命に限りがあるので、早かれ遅かれこの世から消え去るものである、世間の人にも柏木は、源氏の夫人三宮に恋い焦がれて死んだと世間の記憶に残っている間に死に、そして少しでも私が死んだことに同情を三宮がかけて下さるのであれば、私の向う見ずな一途の恋の思いの火にしよう。この上世に長く生きたならば柏木は、とんでもない噂の中で暮らし自分も三宮も破滅であると考え、自分が死んでしまえば、無礼な奴めと、柏木を憎んでいるであろう源氏も、しょうがない奴だったと自分に気を置くこともなく、臨終に際しては善も悪も消えてしまうものである。柏木はこんなことも考えた。今回源氏との間で気まずくなったのは、三宮の体を奪ったからで、そのほか源氏とは何一つ隔てなく交際していたのでる、自分が死んだら源氏にも私を哀れむ気持ちが湧いてくることだろう。
いろいろと病床にあって柏木は考えるのであるが、くだらないことばかりで自分の言い訳にしかすぎないのである、どうして、自分はこんなに肩身を狭くして暮らさなくてはならない身であるのかと、考えると心が闇になって枕も浮くほど涙を流して泣くのである、それを見て少し病状がいいと、見舞いに来た親兄弟は柏木の元から去った隙に、彼は筆を執り三宮に文を書いた。
「私の命も間もなくこの世を去るということを貴女はお聞きになったことでしょう。病はいかがでしょうかと、お尋ねもないのはあたりまえのことと思っていても音沙汰ないのは寂しいものです」と書くが病のために手が震え、書きたく思う事もみな柏木は書き残して、手を止めて
今はとて燃えん煙も結ぼほれ
絶えぬ思ひのなほや残らん
(今は最後であると世を去り、その火葬の煙がこんぐらかって解けないように、貴女への諦めきれない私の思慕の情は、やっぱり消えずに残る事であろう)
せめて、可哀そうであると、言ってくれるだけでも、その一言を心を静めて冥土の闇を照らす明かりにしましょうに」
と三宮宛に書き記して、さらに、三宮への夜這いの手引きをした小侍従女房にもまた、懲りもしないで哀れなことを書き、
「お前と直接会ってもう一言言い置きたいことがる」
と最後に書きおいたので、読んだ小侍従も、子供の時から、母の姉が柏木の乳母であった関係から母が姉を訪ねるときはついて行き子供の柏木と会うことが多かったので、柏木の三宮に対する身分下相応な大それた懸想の心だけは、非常に不快と思ったが、柏木の病状を噂に聞くと大変悪いようである、柏木は死ぬ前最後に会いたいと言っているのであろうと、悲しくなり涙を流して柏木の文を三宮に見せ、
「この御返事は、まことに御書きなさいませ。これが本当のところ御返事の最後になることと思いますので」
「私自身もこのお腹のことで命は今日か明日に絶える思いがして心細い気持ちであるので、柏木様のお気持ちは良く分かるのであるが、彼の文が源氏様に見つかって、二人の悲しみが始まったことが忘れられないので、文を書くのがどうも気乗りがしない」
と、三宮は文を書こうとしない。もともと彼女は意志や性質がそんなに強いことはないので簡単に筆を執るのであるが、今は世間に気兼ねをしている様子で源氏が、折に触れて柏木の事をそれとなしに彼女に言うのが、三宮には恐ろしく感じるので筆を執らないのである。そんなことはお構いなしに小侍従が硯を用意して墨をすり筆を三宮の持たせ、さあ書きなさいと三宮を責め立てるので彼女は渋々筆を執って柏木への返事を書き始めた。その文を小侍従は持って夜になってこっそりと柏木の許を尋ねた。
柏木の父の先の太政大臣は、人が、「霊験の勝れている修験者達を」というので。
霊験の勝れている修験者達を呼びなさればと言うので、役行者が籠もり住んで修験場を開き、祈りでもって病気退散の術を習得したと言われる葛城山の修験道場から、招請して下山させた者達の到着を待ている、到着次第、柏木の病快癒の加持祈祷をさせようと考えていた。
その祈祷師達が到着して休む間もなく祈祷が始まり、邸内は修法の唱名や読経の声で喧噪、祈祷師の踊り狂い騒ぎで沸き返っていた。また、外の人の勧めを聞いて、効験のある聖者と言われるような修験者などであまり有名でなくとも山に籠もっている修行者を柏木の弟たちを使者にして祈祷を頼み歩かせたので、役に立たない奥山に起き臥しして修行する僧である修験者でない山伏どもまでも招いてしまっていた。柏木は病が何という病名かはっきりしないでただ声を出して泣くばかりであるので、病床に立ち会う内裏から招聘された陰陽師達の殆どは、柏木の病の基は「女人の怨霊」であるとだけ占うので、父の前の大臣も、そうであろうと了解した。怨霊には、生きている人の生霊と、死んだ人の死霊とがあるが、誰も知らない柏木と三宮の間に三宮の生霊が柏木に取り憑き災いしているのである。父の前大臣は祈祷を尽くしても物怪が現れてこないので思案にあまって途方にくれて、少しでも効験のある験者をと思いこんな葛城山などの奥の奥までも探し求めて招いたのであった。葛城から来た聖と言われる験者も、山伏達と同じように身長が高々として、目つきが気味悪げで恐しくて、荒っぽく大声で、冷酷で荒々しい。彼らは柏木の周りを大声で梵音読誦の呪である陀羅尼経を読誦する、柏木はそれを見、読経を聞き、
「もう沢山である。私は罪深い男である。陀羅尼の声が大きいので恐ろしくいよいよ死ぬのであるなあ」
作品名:私の読む「源氏物語」ー54-柏木ー1 作家名:陽高慈雨