私の読む「源氏物語」ー52-若菜 下ー3
と泣き叫ぶ女房達を静かにするように命じて、紫に向かって前よりも一層重々しい祈祷を常の祈願の上に加えるように僧に告げる。その上世に有名な修験者を沢山集めて加持祈祷を盛んにする、
「これまで、と北の方は限りのある命でこの世を終りなされたとしても、ほんのもう暫く御命を延ばしなされよ。
不動尊の御本の誓いがあります。せめてその日数だけでも、この世にお引き止め申して下さい」
と頭から不動尊のように黒い煙を上げて勇猛心を奮い起こして祈り倒した。不動尊の日数とは六ヶ月である。源氏も祈祷師に続いて、
「も一回だけ私と目を合わせてください、貴女の最期を私は見届けることが出来なかった、悔しくて悲しい」
と、途方にくれた思いで叫ぶのを、、傍から見ている人達も源氏がこのままでは紫上の後を追い死ぬのではないかと推量した。この源氏の悲痛な思いを仏が見てくださったのであろうか、数ヵ月このかた現れなかった物の怪が憑坐として連れてきた祈祷師の童に乗り移って、その童が大声で呼び叫んでわめく間に、紫上が息を吹き返したので、それを見た源氏は嬉しくもまた紫がすぐに死にはせぬかと恐しくも思い心が騒がずにはいられない、物の怪はひどく痛めつけられ調伏せられて、
「皆この場をはずしてくれ、源氏お一人の耳へ申したいことがある。このおれを、この月ごろ調伏し苦しめられるのが寂しくつらいから、その思いをお前にも与えてやろうと、思ったのであるが、お前が身を粉にして命を捨てようとまで、途方にくれるのを見て、今は物怪になってしまってはいるが、昔の恋心が残っているため貴方の悲しみは見過ごせないで姿を現わしました。私は姿など見せたくなかったのだけれど、かつて浮世にいた頃の愛憎の心が残っていて、貴方が恋しく、貴方の思い人紫上が憎くてこんな風になってしまったのであるが、貴方の気の毒さを私は見過す事ができなくてよりましの童に移り、結局、現れてしまった、決して自分が誰と知られたくないと、思っていた事なのに」
と憑坐の童が髪を乱して喚くその様子が、昔葵上の臨終の時に源氏が見た六条御息所の物怪の姿であると、彼は見て取った。叫び喚く「憑坐」とは、神霊を乗り移らすために修験者の連れてくる童であるが、その狂乱は猛まじく、源氏は葵の時に経験した「情なく恐しい」と、深く思いこんだ六条御息所の生霊の様子が、今も変らないにつけても気味が悪いから、源氏は狂乱の童の手を取り坐らせて童の狂乱を押さえ込んだ。
「本当にお前が六条御息所その人か、
悪ふざけをする狐などというものがいて狂っているもののように、亡き人を傷つけるためにでたらめを言ってくることがあるからと、いうこともあるからなあ。確かな名を名乗れ。私以外の人が知らない言われれば私がきっと胸に覚えがあると思うことを言ってみろ。そうすればお前の言うことを信じてもよい」
と物怪に向かって源氏が言うと、前に坐らせた落ち着いた憑坐の童が涙をぽろぽるとひどく泣いて、物怪の声で、「わが身は、いかにも今は生を隔てて
昔のままではない姿であるが、昔のままの姿で、昔の事を知らないように空とぼけている貴方は、昔のままの源氏君である。本当に恨めしいこと」
と、喚くのであるが、しかし、さすがに何となく物怪にしては少し控え目に見えるところは六条御息所に変らなく、六条御息所の生霊と知っては源氏としては、過去の御息所とのこともあり却ってひどく煩わしく情ないことなので、物怪にこれ以上ものを言わせまいと思うのであった。
「娘の秋好中宮のことについては、源氏の志を有り難く嬉しく、あの世から見ているのであるが、生と死を隔てて別の世界のものになってしまっていると、娘の事までも深く考えられないのであろうか。やはり、自分が生きていた頃、貴方が他の女と懇ろになるのを、恨めしいと、思いつめた執念がどうも私が去ったこの世にまだ残しているのであろう。その中でも私が生を受けていたときに他の女に走り私を軽く扱われ私を捨てなされた恨みよりも、愛情深く思い合う貴方と紫上の御二人が、夫人方皆さんとの女楽奏のあとでしみじみと語られた言葉の中に、私のことを、六条御息所という方は、なかなかの才女で何気ないようで優雅である女としては第一人者と言う思いはあるが、生前は私と関係を持ったのであるが、世話をするのが大層難しい方で、気苦労であったと、貴方と関係が出来ても好意を持たず憎かったこの私の心の内を、貴方が紫の上に語られたことが、私は本当に恨めしく思っている。今は私は死んだ者ということで許されて、せめて、他人が私のことを悪く言うことだけを、打消して隠して下さいと、私は思っています、このことを告げたいばかりに紫上に取りついた忌わしい悪霊の本体であります。だから紫の上から物怪が去らないのです。本当は紫の上を憎いとは思っていません、貴方は神仏の守りが強い人で守りが強く、貴方に近づくことが難しいのです、せめて貴方の声だけでも遠くからどうにか聞いております。私はどうなろうともかまいません、貴方は自分の罪を軽くする勧業を続けなさいませ。加持の読経のと騒ぐ事も、己の身にとっては、苦しい辛い火焔とばかり付き纏って有り難い経文は聞こえてきません、悲しいことです。娘にもこのことを伝えてください。決して、御宮仕の間に、帝寵を人と争い競うて妬む心を起しなさるな。齋宮であった頃の経・仏に遠ざかっていた罪を軽くする事のできるような功徳になる供養を、かならずなされよ。齋宮となったことは大変残念に思っています」
と物の怪は長々と語るのであるが、源氏は物の怪と話し合うのもおかしな事であるから、物怪に憑かれた憑坐の童を一室に封じ籠めて、紫をこっそりと別室に移してしまった。
紫が亡くなったということが世間に知れ渡り弔問をのべに来る来客があるのを、源氏は縁起の悪いことと思うのである。賀茂祭りの翌日である今日の上賀茂から神輿帰参の行列を、見物に出かけていた公卿達は、見物を終えて帰りの道で紫の上が他界されたということを聞き
「これは一大事である。幸せであった人がその光を失ってしめやかな雨が降ることよ」
と、つい思いつきを口にする者がある。
「紫の上のように何一つ不足なく幸いな人は長生きできないものだ」
「待てといふに散らでし留まるものならばなにを桜に思ひ増さまし(待てと言うと散らないですむものならば、桜なんかを歌にすることはないよ。散るからこそ花への愛着というものがあるんだ)という古い歌もあるしなあ」
「紫の上というような女の人が長生きをして、毎日を楽しく謳歌したならば見ている人はつらいことだ」
「紫の上が亡くなられた今は、三宮は源氏様からさぞかし愛されることであろうよ」
「そうだなあ、今までは紫の上に圧倒されておられたからなあ、気の毒であった」
と小声で噂し合っていた。柏木は昨日の本祭りにはいくきにはならなかったが、今日の祭り行列の帰りは見たくて、弟の左大辨、頭宰相を車の奥に乗せて見物していた。公卿達が紫の上の死に色々というのを聞いて胸がどきりとして、
「散ればこそいとゞ桜はめでたけれ憂き世に何か久しかるべき。何で、この辛い世に長らえている事があろうか。桜も散ればこそめでたいのである」
作品名:私の読む「源氏物語」ー52-若菜 下ー3 作家名:陽高慈雨