私の読む「源氏物語」ー50-若菜 下ー1
三宮も自分の所に各婦人達が揃われると聞いて女童達の衣装ばかりは調えた。それは、青丹色(緑青に黄味のある色)の上着に、柳襲(表は白、裏は青)の汗衫、葡萄染(赤紫色)の袙など特に趣向の凝らした珍しい衣装ではないけれども、姿全体を見ると重々しく威厳があり、ぞの上気品が高いところは全く他に並ぶ者はない。寝殿の廂の間は内部(母屋)との中へだての襖を取払って、紫上や明石女御のあちらとこちらとは几帳だけをけぢめとして置き、紫上と明石女御との中間の場所には、源氏が来ればと座席を用意した。源氏は今日の調子あわせの日には子供達を呼んでやろうと、鬚黒の子供の三郎、玉鬘と鬚黒の長男(鬚黒右大臣の三男)、鬚黒には先妻に長男・次男、玉鬘に三男・四男とある、その玉鬘の子供には笙の笛、夕霧の子供の太郎には横笛、簀子に待機させた。廂の内には敷物などを並べて三宮他の婦人達の前に琴(絃楽器)などを一同に渡した。それは源氏秘蔵の琴(絃楽器)などで、立派な紺色の生地の袋に納めてあるのを取りだして明石の上には琵琶、紫には和琴、明石女御には箏の琴、三宮には、このような秘蔵品はまだ弾くには至らないと、危ぶんでいつもの練習用の琴を源氏が調子を合わせて渡す。源氏は、
「箏の琴は絃が緩むといぅのではないけれども、やはりこのように、他の楽器と合秦する時の調子如何にょっては琴柱の立つ位置が、少し狂ぅものである。その注意をしながら琴柱をきちんと立てなければならないのであるが、女の力では絃をしっかりと張る事ができますまい、やっ
ぱり男でなければ、夕霧を呼んであるから彼に調子を合わすようにさせよう。これにいる横笛ではまだ幼いので調子を合わせる頼みにはなりますまい」
と婦人達に笑いながら言う、そうして、
「夕霧よこちらへ」
と息子の夕霧を呼び寄せる。婦人達は顔姿が夕霧の前に晒されるので恥ずかしく、緊張する。かつて明石入道に習った琴の名手である明石上を別にしては、婦人達総てが源氏の大切な御弟子さんたちであるから、夕霧には粗相がないようにと注意して、夕霧が婦人達の合奏を聴くのに支障がないようにした。
明石女御はいつも、夫の帝が演奏を聴くときも、始終何か外の楽器に合わせて箏の琴を弾いいていたので、そのことを知っている源氏は安心なのであるけれども、和琴は六弦でいくらでもない調子であるけれども、調子に、型が定まっているという事がないので女であればきっとまごつくに相違ない、もともと、そのような琴(絃楽器)の音は、揃ぅて合奏するものであるから和琴の調子の狂う事もあるかと、和琴を担当する紫上を何となく気遣う。夕霧は女達の前なのでことのほか緊張して、帝の前の仰々しく、儀式ばって、きちんとした御試楽のあるような場合よりも今日の方が緊張すると思うので、鮮やかな直衣に香を十分薫込めた下襲などを着て、袖にも十分に香を焚きしめて身だしなみを調えて参上した頃には日が暮れていた。しみじみとした黄昏時に梅の花が枝が撓んでしまうように満開である。その梅に静かに風が吹いて何とも言うに言われない香りが漂ってくるその香りに御簾の内の女達が衣にしみこませた薫りが重なって吹いて、「花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯さそふしるべにはやる」という古今集の紀友則の歌を思い浮かべるような六条院の寝殿の辺りであった。源氏が御簾の下から少しばかり琴の端を出して夕霧に、
「出抜けで悪いが、箏の琴の緒を締め調えて、調子をためしてくれるか、お前の他に人はいないから」
と言うと夕霧は源氏が頼りにしているのを感じて大切に琴を受け取り、壱越調の音に、第二弦の発の緒をきめて、調子を見るために弾くのであるがそれをしないで源氏の許に差し出したので、
「調子を見るために一曲弾いてみなさい」
と夕霧に言う
「今日のお遊びにお相手できるほどの腕ではございませんから」
と遠慮をする。
「そうではあるが、女達の合奏に逃げ出してしまった、と世間の評判になるぞ」
と言って源氏は笑う。夕霧は調子を見るために簡単にしかも巧みに曲を弾いて、源氏に渡した。夕霧と玉鬘の子供達が綺麗な直衣姿で合奏する笛の音はまだ幼稚ではあるが、将来の上達の望みもあって甚だ面白そうである。琴などの絃楽器の調整がすっかり終ったので、婦人方の合奏が始まり、どの方が優劣かどれという事のない楽器の中で明石の上の琵琶の音が特に響き古風な神々しい手法に音色は澄みきって興深く聞かれる。紫の和琴に源氏が耳を澄ますやさしく親しみがあり、愛敬のある琴の音にと爪返しの音が珍しく花やかで、殊更に手掛けている和琴の専門家達が、大袈裟に弾き鳴らしている調べや、音の調子に劣らず、賑やかであり、大和琴にもこのような演奏法があるのか、と源氏は驚いた。紫の練習成果がはっきりと現れているのに気持が落着いて良かったと胸を撫で下ろす。明石女御の箏の琴は他の楽器の音の間間から自身がないように漏れ聞こえてくるのは、その楽器の音の性質で、ただただ可愛らしげで優美に聞こえてくる。七弦の琴は三宮がまだ未熟であるけれども、稽古中であるが危げな所はなく、調子は、他の楽器に大層よく調和がとれて、上手になった三宮の琴の音であるなあ、と、夕霧は聞いていた。そうして夕霧は拍子を取り女達の合奏に合わせて唄を歌う。源氏も時々扇をたたいて拍子を取り時々は唄をも交えるその声は、若い頃よりも洗練され声はいくらか太くて、重々しいい感じが加わって聞かれた。夕霧は綺麗な声で歌うので夜が更けて静かになるに従って何とも言えない程親しみのある、夜の遊びになった。
月がややおそく出るころであったから、燈籠が庭のそこここにともされた。源氏が三宮の席を見ると、人よりも小柄な姿は衣服だけが美しく重なっているように見えた。はなやかな顔ではなくてただ貴族らしい美しさが備わり、二月二十日ごろの柳の枝がわずかな芽の緑を見せているようで、鶯の羽風にも乱れていくかと思われた。桜の色の細長を着ているのであるが、髪は右からも左からもこぼれかかってそれも柳の糸のようである。これこそ最上の女の姿というものであろうと源氏は見つめていたが、女御には同じような艶な姿に今一段光る美の添って見える所があって、身のとりなしに気品のあるのは、咲きこぼれた藤の花が春から夏に続いて咲いているころの、他に並ぶもののない優越した朝ぼらけの趣であると源氏は見ていた。女御は身ごもっていて、それがもうかなりに月が重なって悩ましいころであったから、済んだあとでは琴を前へ押しやって苦しそうに脇息へよりかかっているのであるが、背の高くない身体を少し伸ばすようにして、普通の大きさの脇息へ寄っているのが気の毒で、低いのを作り与えたいという気持ちがした。紅梅の上着の上にはらはらと髪のかかった灯かげの姿の美しい横に、紫が見えた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー50-若菜 下ー1 作家名:陽高慈雨