私の読む「源氏物語」ー50-若菜 下ー1
若 菜 下
小侍従女房から柏木宛に届いた文の内容は、もっとものことだ、と柏木は思うのだが小侍従を憎たらしいよくこのようなことが言えたなあ、と恨むのであった。いやこのような通り一遍の内容のない文だけを気安めにして、この後自分はどう日を過ごせと言うのだ。三宮とこんな、小侍従を介しての伝言でなくて、直接に話が出来るときが来るのであろうか、柏木は思い悩むのであるが、柏木の今の心の中に、三宮を大事に思って慈しんでいる源氏に柏木はねたみの曲がった気持ちが湧いてきたのであろうか。
三月の末の日、晦、源氏の六条院に大勢の人が集まって競射の会が催された。柏木は六条院に住む先日垣間見た三宮に恋焦がれてしまっていたのであまり気が進まず、出席しようかそわそわと落着かないが、三宮の住まいする対の前面の花などを見ていれば気も晴れるであろうと、参加したのであった。
内裏で帝が御覧になる賭弓の会は例年二月に開かれているのであるが、開催されずに三月に入ると冷泉帝の母、薄雲女院(藤壺中宮)の御命日の月であるから派手なことは出来ない、そのようなときに六条院で競射があることを聞きつけて多くが集まったのである。
左の大将鬚黒、右の大将夕霧、鬚黒の嫁は玉鬘で源氏の娘として育つ、夕霧は承知の通り源氏の長男である。そのような間柄で、六条院に参上するから、両方の部下達である近衛の中将・少将たちも張り切って弓を射る。
小弓は、官人のうち武官の遊戯で、坐して左膝を立てて左の肱を持たせ、右手を右の頬の下で、ほぼ口の側にあてて射るのが普通の方法である。
源氏は小弓の会とは言ったが、歩きながら弓を射る「歩弓」の上手な者も集まった中にいるので、源氏は前に呼び出して弓を射させてみる。集まった殿上人達の中には射撃の上手な者もあり、みんなを「駒どり」という一方を一・三・五・七、他方を二・四・六・八というように一列に並んだ者を順に選んで、左方と右方とに分けて競射させ、日が暮れるまで楽しんだのである。明日からはいよいよ夏の季節である、春が今日で終りになる霞のたたずまいも今日限りと、消え去る前の忙しげな棚引き、吹き乱れている夕風に花も散ってしまうのかと名残惜しさに、花の許を去るのが出来ないでいるのか、花の下で競射に集まった人達は酒を飲み大いに酔って、
「風流な色々の賭の禄である褒美は、賞品を出された左右の婦人方の御趣向が、きっと見られるに違いないよ」
「柳の葉を、たしかに百発百中する事のできる、左右近衛の舎人どもが得意になって弓を射るのは、無風流で優雅というものがない」
「近衛の舎人などのような、ただ的に当てるだけでは弓を引くという味わいがない、身分の高い者達のゆったりと落ち着いた射撃ぶりの者達だけで競争したいものである」
と上達部達が言って庭に降り立つが、衛門の督である柏木は、集まった人達の中で特に目立って暗くじつと物思いに耽っているから、柏木が三宮に思い焦がれて悩んでいることを知っている事情を知っている夕霧の目には、柏木の様子を見つつ、やはり柏木は少し様子がおかしいと、柏木の周辺に面倒な事が起って来るような気がし、三宮と柏木との関係であろうかと、柏木よりも夕霧自身が胸が詰まるような気がしていた。
夕霧と柏木の仲はすこぶる良いのである、そのような親しい間柄というなかでも二人は、心かはして格別に親密であるから少しのことであっても夕霧は柏木が何かに悩み物思う状態で、その悩みに心を奪われてしまっているを、夕霧自然に柏木を心配してしまう。柏木は源氏を見ると、三宮は彼の正式の妻である、ということから自分の三宮に恋する心は恐ろしく、源氏をまともに見ることが出来ない。こんな三宮を思慕する心はあっていいものなのか、大した事ではなく普通のことででも、自分は良しとは出来ない他人から非難されるような行動はやるまいと、柏木は考えるのであるが、ふと、あの猫を自分の物にするのだ、猫では話が分かるものではないが、一人寝で添い寝のない肌寂しい慰めにも、あの唐猫を手なずけ抱いて寝たいものであると、柏木は思い、何とかして、あの三宮の愛玩している唐猫を盗み出したいものであると、それだけの考えで頭がいっぱいであった。とはいえ、三宮に逢う事は困難であるが唐猫をなんとかして盗んでやろうと思うが、それも今の状況の下では難しいことであった。
柏木は妹の冷泉帝の女御である弘徽殿女御の許を訪れて話などして気を紛らわしてみる。
弘徽殿女御は用心深く少し恥じらいがちに直接柏木と顔を合わすこともない。兄妹であってもこのように顔を見せることもないのに、三宮が偶然にも姿を見せたのは珍しいことであると思うのであるが、偶然とは思わない柏木の気持ちでは、三宮の不用意な行動を思わぬ事故とわざと思わないことにした。
柏木は春宮の許に参上して、春宮と三宮は兄妹なので似通ったところがあるであろう、と目をこらして春宮を見つめる。春宮はつやつやと輝くように美しい点などはない顔であるけれども、それはそれで又、春宮程の身分の様子は全く格別で、見るからに上品であり優美な姿である。内裏の猫の子をあちらこちらと、御方々の所に別れて養われているが、春宮にも飼われていて可愛らしい様子で歩くのを見て、柏木はすぐに三宮にかわれている唐猫を思い出す。
「三宮の所におります猫は、本当に他所では見られないような珍しい美しい顔をして、可愛らしゅうござりました。と私はちょっと見ましたがそう思いました」
と春宮に申すと、猫を特別に可愛がる春宮であるから、すぐに唐猫のことを詳しく質問してきた。
「その猫は日本のとはどうも違った姿をしておりました。猫という物はどれも同じように見えるのですが、この唐猫はどことなく人慣れして手放すのが惜しいように感じる可愛い物です」 春宮が自然に欲しくなるように話をもっていった。
柏木の話を聞き終えて、春宮は興味を覚えて、明石女御の方から三宮に聞いてもらうと女房がやってきて、
「本当に美しい猫でござりました」
と女房達が口々に騒ぐのを柏木は見て、春宮はきっと興味を抱いた、と確認して帰り何日かたってから再度春宮の前に伺候した。
柏木は童の頃より朱雀院が他の童よりも特に可愛がり色々と周りの用事をさせていたので、朱雀院が出家をして山籠もりする際には都に置いていかれ、その後は朱雀院の息子の春宮に仕えて親しくさせてもらっていた。今日は琴を春宮に教えるということで参上したついでに、
「猫が沢山集まっておりますねえ、さて六条院で見た猫はどこにいますやら」
と多くの猫の中から例の唐猫を見つけて、滝寄せて体を撫でて愛撫していた。春宮はその柏木を見て、
「本当にこの猫は変わった猫である。どうもまだ私に懐いてくれないのは、人見知りが激しいのであろうかな。ここにいる猫たちとあまり変わりがないようじゃな」
「この唐猫は人見知りするようなことは殆どありませんが、賢い猫は自然と分別心があるのでしょう。この唐猫より優れた者達がこちらに飼われているとなれば、暫く私がお預かりいたしましょう」
と柏木は春宮に言いながらも、自分の心の醜さにみっともないことと思った。
小侍従女房から柏木宛に届いた文の内容は、もっとものことだ、と柏木は思うのだが小侍従を憎たらしいよくこのようなことが言えたなあ、と恨むのであった。いやこのような通り一遍の内容のない文だけを気安めにして、この後自分はどう日を過ごせと言うのだ。三宮とこんな、小侍従を介しての伝言でなくて、直接に話が出来るときが来るのであろうか、柏木は思い悩むのであるが、柏木の今の心の中に、三宮を大事に思って慈しんでいる源氏に柏木はねたみの曲がった気持ちが湧いてきたのであろうか。
三月の末の日、晦、源氏の六条院に大勢の人が集まって競射の会が催された。柏木は六条院に住む先日垣間見た三宮に恋焦がれてしまっていたのであまり気が進まず、出席しようかそわそわと落着かないが、三宮の住まいする対の前面の花などを見ていれば気も晴れるであろうと、参加したのであった。
内裏で帝が御覧になる賭弓の会は例年二月に開かれているのであるが、開催されずに三月に入ると冷泉帝の母、薄雲女院(藤壺中宮)の御命日の月であるから派手なことは出来ない、そのようなときに六条院で競射があることを聞きつけて多くが集まったのである。
左の大将鬚黒、右の大将夕霧、鬚黒の嫁は玉鬘で源氏の娘として育つ、夕霧は承知の通り源氏の長男である。そのような間柄で、六条院に参上するから、両方の部下達である近衛の中将・少将たちも張り切って弓を射る。
小弓は、官人のうち武官の遊戯で、坐して左膝を立てて左の肱を持たせ、右手を右の頬の下で、ほぼ口の側にあてて射るのが普通の方法である。
源氏は小弓の会とは言ったが、歩きながら弓を射る「歩弓」の上手な者も集まった中にいるので、源氏は前に呼び出して弓を射させてみる。集まった殿上人達の中には射撃の上手な者もあり、みんなを「駒どり」という一方を一・三・五・七、他方を二・四・六・八というように一列に並んだ者を順に選んで、左方と右方とに分けて競射させ、日が暮れるまで楽しんだのである。明日からはいよいよ夏の季節である、春が今日で終りになる霞のたたずまいも今日限りと、消え去る前の忙しげな棚引き、吹き乱れている夕風に花も散ってしまうのかと名残惜しさに、花の許を去るのが出来ないでいるのか、花の下で競射に集まった人達は酒を飲み大いに酔って、
「風流な色々の賭の禄である褒美は、賞品を出された左右の婦人方の御趣向が、きっと見られるに違いないよ」
「柳の葉を、たしかに百発百中する事のできる、左右近衛の舎人どもが得意になって弓を射るのは、無風流で優雅というものがない」
「近衛の舎人などのような、ただ的に当てるだけでは弓を引くという味わいがない、身分の高い者達のゆったりと落ち着いた射撃ぶりの者達だけで競争したいものである」
と上達部達が言って庭に降り立つが、衛門の督である柏木は、集まった人達の中で特に目立って暗くじつと物思いに耽っているから、柏木が三宮に思い焦がれて悩んでいることを知っている事情を知っている夕霧の目には、柏木の様子を見つつ、やはり柏木は少し様子がおかしいと、柏木の周辺に面倒な事が起って来るような気がし、三宮と柏木との関係であろうかと、柏木よりも夕霧自身が胸が詰まるような気がしていた。
夕霧と柏木の仲はすこぶる良いのである、そのような親しい間柄というなかでも二人は、心かはして格別に親密であるから少しのことであっても夕霧は柏木が何かに悩み物思う状態で、その悩みに心を奪われてしまっているを、夕霧自然に柏木を心配してしまう。柏木は源氏を見ると、三宮は彼の正式の妻である、ということから自分の三宮に恋する心は恐ろしく、源氏をまともに見ることが出来ない。こんな三宮を思慕する心はあっていいものなのか、大した事ではなく普通のことででも、自分は良しとは出来ない他人から非難されるような行動はやるまいと、柏木は考えるのであるが、ふと、あの猫を自分の物にするのだ、猫では話が分かるものではないが、一人寝で添い寝のない肌寂しい慰めにも、あの唐猫を手なずけ抱いて寝たいものであると、柏木は思い、何とかして、あの三宮の愛玩している唐猫を盗み出したいものであると、それだけの考えで頭がいっぱいであった。とはいえ、三宮に逢う事は困難であるが唐猫をなんとかして盗んでやろうと思うが、それも今の状況の下では難しいことであった。
柏木は妹の冷泉帝の女御である弘徽殿女御の許を訪れて話などして気を紛らわしてみる。
弘徽殿女御は用心深く少し恥じらいがちに直接柏木と顔を合わすこともない。兄妹であってもこのように顔を見せることもないのに、三宮が偶然にも姿を見せたのは珍しいことであると思うのであるが、偶然とは思わない柏木の気持ちでは、三宮の不用意な行動を思わぬ事故とわざと思わないことにした。
柏木は春宮の許に参上して、春宮と三宮は兄妹なので似通ったところがあるであろう、と目をこらして春宮を見つめる。春宮はつやつやと輝くように美しい点などはない顔であるけれども、それはそれで又、春宮程の身分の様子は全く格別で、見るからに上品であり優美な姿である。内裏の猫の子をあちらこちらと、御方々の所に別れて養われているが、春宮にも飼われていて可愛らしい様子で歩くのを見て、柏木はすぐに三宮にかわれている唐猫を思い出す。
「三宮の所におります猫は、本当に他所では見られないような珍しい美しい顔をして、可愛らしゅうござりました。と私はちょっと見ましたがそう思いました」
と春宮に申すと、猫を特別に可愛がる春宮であるから、すぐに唐猫のことを詳しく質問してきた。
「その猫は日本のとはどうも違った姿をしておりました。猫という物はどれも同じように見えるのですが、この唐猫はどことなく人慣れして手放すのが惜しいように感じる可愛い物です」 春宮が自然に欲しくなるように話をもっていった。
柏木の話を聞き終えて、春宮は興味を覚えて、明石女御の方から三宮に聞いてもらうと女房がやってきて、
「本当に美しい猫でござりました」
と女房達が口々に騒ぐのを柏木は見て、春宮はきっと興味を抱いた、と確認して帰り何日かたってから再度春宮の前に伺候した。
柏木は童の頃より朱雀院が他の童よりも特に可愛がり色々と周りの用事をさせていたので、朱雀院が出家をして山籠もりする際には都に置いていかれ、その後は朱雀院の息子の春宮に仕えて親しくさせてもらっていた。今日は琴を春宮に教えるということで参上したついでに、
「猫が沢山集まっておりますねえ、さて六条院で見た猫はどこにいますやら」
と多くの猫の中から例の唐猫を見つけて、滝寄せて体を撫でて愛撫していた。春宮はその柏木を見て、
「本当にこの猫は変わった猫である。どうもまだ私に懐いてくれないのは、人見知りが激しいのであろうかな。ここにいる猫たちとあまり変わりがないようじゃな」
「この唐猫は人見知りするようなことは殆どありませんが、賢い猫は自然と分別心があるのでしょう。この唐猫より優れた者達がこちらに飼われているとなれば、暫く私がお預かりいたしましょう」
と柏木は春宮に言いながらも、自分の心の醜さにみっともないことと思った。
作品名:私の読む「源氏物語」ー50-若菜 下ー1 作家名:陽高慈雨