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私の読む「源氏物語」ー47-若菜 上ー2

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 と周りの者に言って笛をとり今夜のために十分に練習を積んだ優れた曲を奏ではじめた。参列者の誰それとなく楽器を取り出して演奏が大きくなった、その中に太政大臣が秘蔵している和琴があった。太政大臣が和琴に優れていることは前にも述べたが、心を込めて演奏する曲の音は誰もがその演奏に和することができかねているのを源氏は、太政大臣の息子の柏木にお前が父親と合奏せよとしきりに責め立てたので、柏木も琴を取り出して演奏を始めた、源氏が盛んに進めるだけのことはあって柏木の演奏も見事なものである、
「名人の後継者とはいいながら、こんなにうまいとは、何事も親の跡を継ぐということは難しいことであるのに」
 羨ましそうに親子の合奏を聴いていた。調子調子に従って奏法のきまりのある秘曲などや、一定の奏法が譜に移してある唐土からの伝授の曲などは、箏や琵琶などは奏法が研究し尽くされているので、弾き易いけれども、和琴の演奏は一定の決まりというものがないので自分の思うままにほかの楽器に合わせて演奏し、柏木は菅掻きの演奏を繰り返してほかの楽器の調子を整え導いていくのはとても巧みで合奏が一段と優美になった。そこで、父の太政大臣は琴の弦を緩めて調子を下げ合奏の音階にあわせてさらに演奏した。この合奏は大変快活陽気で柏木が高音で優しく可愛らしさのある調子を、同じ調子を父親が低い音階で、父子で高音低音をうまく合わせているのである、
「二人とも名手であるとは聞いていたが、柏木がここまでの弾き手とは驚いたものよ」
 と参列者の中の親王達は驚いていた。七絃琴は、源氏の弟螢兵部卿宮が演奏していた、この七絃琴は代々の御物(ごもつ)を納めてある宜陽殿の御物で、御歴代に第一の名器であった絃楽器であるのを、故桐壺院の晩年に 弘徽殿大后腹の女一宮で朱雀院と同腹の一品宮が七弦琴を好んで弾いていたので桐壺帝が下げ渡した物であるのを、今日の源氏の祝賀に花を添えようと太政大臣が一宮にお願いして借りてきた物であった。源氏は昔を思い出して感慨がひとしおであった。演奏者の源氏の弟蛍宮も昔を思い出し、演奏が続けられなくなり琴を源氏の前に差し出し演奏を源氏に譲ってしまわれた。源氏もこの場の空気から返すわけにもいかず、源氏はあまり世に知られていない曲を一曲弾くのであった。今回の源氏四十の賀は表だった大袈裟な儀式ばったものではなくごく内輪の催しであったのであるが、申し分のない夜の遊宴であった。源氏は殿上人が勤める楽器に和して謡う人達を南(正面)の階段の所に呼び寄せて唱わせた。彼らはありったけの声を出してまず呂調(長)で謡い、更に律調(短調)の返り声に変調して同じ歌を返した。夜が更けるとともに楽器の音色も親しみ易く律に変じて、唱歌の殿上人が催馬楽の青柳を謡う  
 青柳を 片糸によりて や おけや
 鴬の おけや 鴬の縫ふといふ笠は
 おけや 梅の花笠や

 歌にあるように塒の鴬までもきっと目をさますに相違ないほど大変に楽しく盛り上がった催しになった。元々は玉鬘が個人的に計画した祝賀会であったが、源氏は参会者への土産として立派なものを用意した。 
 玉鬘は夜が明ける前のあかつきに源氏の元を去った。女性は祝宴には出席できないので御簾越しに宴を見ていたのであるが、源氏は帰って行く玉鬘に十分な礼の品を贈った。
 源氏は玉鬘に別れの言葉とともに。、
「私は世捨て人のようにして毎日を送っているので歳のことなどをすっかり忘れておりましたが、お前がこのように四十の賀を祝ってくれて、ああ私も四十の老いぼれになったのかと思い知らされました、全く心細くなりましたよ。時々は老人はどうしているのかなと、私の顔を見に来てくださいよ。こんなに歳をとってしまって思うように玉鬘に会えないとは私は情けなく思っていますから」
 玉鬘に源氏は言葉をかけて、かって玉鬘を我が娘として預かり養育したときのことを思い出していた。
 滅多に顔を見ることができない二人であるが、今日のように訪ねてきてくれても急いで帰ってしまう彼女を、人妻なれば引き留めることもできないで悔しく見送っていた。玉鬘も太政大臣という実の父親があり大変大事に思っているのであるが、源氏と暮らした年月に源氏から受けた細やかな愛情が、結婚して鬚黒の妻となった年月が重なるほど懐かしくなり四十の賀という口実をいい機会と会いたかった源氏の許を尋ねたのであった。

 いろいろと源氏の周りで事があったが、二月の十日頃に、かねてから話があった朱雀院の三女、三宮が源氏の許に降嫁してきた。源氏の屋敷である六条院でも三宮の受け入れ準備は世間一般の方法を飛び抜けて物々しいものであった。正月子の日に玉鬘が計画した四十の賀の式場である源氏が若菜を食した寝殿の西側の放出に三宮の御帳台を置いて、寝殿の東の対と西の対とを結ぶ渡廊、三宮に付き添って六条院に来る女房達に割り振った部屋まで詳細に磨き上げ、繕い直して皇女の降嫁する屋敷として見劣りしないように設備を整えた。
 源氏の身分が太上天皇に準じた親王であるので、三宮は内裏に入内する帝の女御に準じた儀式、作法に従って三宮の調度品が運ばれてきた。三宮自身が六条院へ移る儀式は見事なきらびやかで壮大なもので、多くの上達部が集まって宮の輿入れに従った。その中に三宮に懸想して家司になりたいと朱雀に懇願した藤大納言も未練心を引いたまま輿入れの行列に従っていた。六条院に行列が到着したときに源氏自身が迎えにでて、車寄せに止まった三宮の車から抱きかかえるようにして三宮をおろす、太上天皇としては例のない行動であった。
 源氏は臣下であるから、儀式も、すべての事に限度があるので女御の参内というわけにもいかず、また世間なみの「婿」と言うにも、身分は準太上天皇であり、また準太上天皇とすれば今回の扱いは臣下の婿である、この婚儀は常の場合と違って珍しい夫婦関係といえる。