私の読む「源氏物語」ー42-真木柱
仕える女房達もいろいろと思い出があるので悲しく、常には何にも感じなかった庭の草木にさえ別れた後は恋しいであろうと、名残を惜しんで泣いていた。木工の女房は鬚黒付きであるのでこの屋敷に留まる。北の方付きの女房の中将は木工に、
浅けれど石間の水は澄み果てて
宿もる君やかけ離るべき
(あなた木工君は、鬚黒との縁は浅いけれども、この鬚黒の邸に何時までも居残り、この邸を守る北方は、鬚黒との縁が深いけれども、どうしてここを立去らなければならないのか)
このようなことは本当に思いもかけないことでした、私もまた北方の供をして貴女とお別れすることになりました」
木工は、
ともかくも岩間の水の結ぼほれ
かけとむべくも思ほえぬ世を
(北方も去りなさるから何にも言葉が出ない私の心は、悲しさに心はず、この邸に、身を永く居残る事ができるとも考えられない世である)
そう私も悲しいことです」
と言って泣き崩れる。
牛飼童が牛車を引き出してきくるが、北の方は屋敷を振り返ってみて、何時この屋敷に戻ってくるのだろうと、今までのことがあっけなくむなしい気持ちがする。車に乗り屋敷から遠ざかるのを、庭の木をじっと眺めて段々と小さくなりやがて隠れてしまうまで見つめていた。菅原道真が西へ流されるときに北の方へ贈った、「君が住む宿の梢の行く/\」
と隠るゝまでにかへりみしはや」の気持ちではないが夫の鬚黒への愛着ではなく、長年住み暮らした屋敷への哀惜の気持ちであった。
式部卿の宮は北の方の到着を待ちかねておられ、大変悲しんでいた。母親の北方は、紫上の継母であるが、娘のこの度鬚黒の屋敷から去ることに狂ったように嘆き、
「源氏様を「立派な縁者である」と、式部卿宮は思っておられるけれども、「前世にどれ程の仇敵であったのであろうか」と、私はこの度のことで思わずにはいられませぬ。此方の入内した娘、王女御に対しても、簡単に扱い、源氏の奨める秋好(梅壷)女御が中宮となり、私の娘女御(王女御)は、立后できなかったではないか。その理由は、「源氏が須磨に退去中、式部卿宮が、音信もせず冷淡であったことへの恨みで」思い知れということであろうか」 と、周りの者へ自分の思いを愚痴るのである。しかし当時世間の人もそんなことを言っていたけれども、そのようなことは源氏と親類になるこの家にはあることではないと言い返していた。さらに、
「源氏が北の方である紫の上を、大切になさるならば、それ故に、縁故の者までも御蔭を蒙る例は、きっとある」
と、ずっと思っていたのであるが、源氏が須磨に流されたとき、式部卿宮は音信を絶たれたことへの恨みから、源氏の仕打ちは、王女御の時は納得が行かなかったのに、その上に玉鬘なる女を自分の継子として育て、源氏がわが女としてさんざんにもてあそんだ使い古しの気の毒さに、真面目な人で、女遊びをするような人でないと思う人をと、鬚黒を選び玉鬘を与えた、それが私は辛いと言い続けて夫の式部卿宮に訴えるので、宮は、
「どうしてそのようなことを言うのかなあ。世間から少しも悪い批判を受けない源氏の君を、貴女の腹立たしさからの怒りでそのように悪く言うものではありません。高貴な賢いお方は、いろいろと考えての末に、このようないじめをしてやろうと、思うことはあるでしょう。そのように思われても我が身が不幸であるとは思わない。我が家は表面的には源氏様から冷たくあしらわれているが、何げない風をして、心のでは、かつて源氏様が須磨に退去して失意に沈んでおられた、その後都にお帰りになり今の地位にお着きになると、須磨の時代に自分のことを考えてくれた者は引立て、何も考えてくれなかった者は退け落しなさったと、公平な裁きであると、みな考えておりなさるようである。そのような中で私一人を紫の父であるから当然格別な縁者と考えられててこそ、先年も、私の五十賀で、世間の評判になるような、我が家としてはとても出来そうもない盛大な催しができた。そのことを我が家一生の名誉として、私達はたしかに満足すべきであるように思う」
と夫人である大北の方にたしなめるが、夫人は益々腹を立てて忌まわしい呪うような言葉を、源氏の上に言い散らすのである。この大北の方は、どうもひがみっぽい性格なのであろう。髪黒の北の方の母親であるから、大北の方と呼ばれていた。
鬚黒大将は本妻の北の方が我が里へ帰ってしまったことを聞いて
「何とも可笑しい仕草のことよ、さも若い人でもあるかのように嫉妬のあまり出て行くとは。本当の気持ちは離縁するなどという切羽詰まったようなことでもないのに、屋敷を出てしまうとは。父宮の軽率な行動でこうなったのであろう」
と思い、鬚黒は息子達もいることであるので、外聞もあるのであれこれと考えて、玉鬘に、
「妻が出ていてしまったという話があります。離縁となると私はかえって気楽に思うけれども、別に離縁をしなくても、そのままで、貴女の移る邸の片隅に隠れ忍んでも別に問題があるわけではないと、北方ののん気な性格に私は心配せず安心していましたのに、屋敷から去ってしまった。このことは急に父式部卿宮がなさったことであろう。このことは世間が私を薄情者と噂するから困ることである。それで私は、式部卿宮に拝顔して一言申してきましょう」 と言って玉鬘の前を離れた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー42-真木柱 作家名:陽高慈雨