私の読む「源氏物語」ー42-真木柱
眞木柱
鬚黒大将が玉鬘を女房の弁の手引きで夜這いに成功した。月のない夜に鬚黒は弁の手引きで玉鬘の几帳台に忍び込み、驚く玉鬘の口をふさぎ無理に関係した、玉鬘の抵抗は激しかったが鬚黒の力には抗しきれず気力をなくして体を開いてしまったのであった。愛情もない只の交わりであったが、弁がそのことを漏らさなかったので源氏も、父親の内大臣も知らなかった。鬚黒はそれ以後たびたび玉鬘の許を訪れている内に源氏が知り、内大臣にも分かることになった。
源氏は、
「冷泉帝が、玉鬘が尚侍に出仕以前、鬚黒大将と体の関係が出来てしまったことを、もし耳にはいるようなことになれば、何か処分をするようなことになろう。しばらくの間はこのことを伏せておこう、決して人に漏らさないように」
と関係の者に漏らさないようにするのであるが、そのような源氏の言葉に従うようなこともなく、関係が出来てとうとう自分の欲望を達した嬉しさに鬚黒は心が浮き浮きして隠すことは出来ずにいた。
鬚黒が玉鬘の許へ通い始めて日にちが大分たつのであるが、鬚黒は四歳年上の本妻に較べて遙かに若い玉鬘の体の瑞々しさに全く溺れこんでしまい、何年かに渡って妻との交渉がなかった欲望の不満を取り返すかのように、毎夜訪れては玉鬘の体を愛撫し責め続けた。玉鬘は怒濤のように押し寄せる鬚黒の欲望を堪え忍んで受け入れ、間をおいてまた押し寄せる男の欲望を、男とはこのような者かと認識しながらどう防ぎようもなく受け入れ、一夜の内に数回そのような欲望の波を過ごすと彼は帰っていく、
「これが私の男と過ごす宿命なのであろう」
と疲れ切った体を休める頃に鬚黒から後朝の文が届く。読む気もしない弁女房が読むのをうとうとと聞きながら寝入ってしまう。鬚黒を愛する気持ちもなく日々を過ごす、玉鬘は源氏が恋しくなった。源氏とはもう少しで体を許すとこまで進んだのであるが、自分の潔癖性から反抗してしまったことが今になって悔やまれるのであった。
鬚黒はそのような玉鬘の自分への思いを分かっているのであるが、いい加減な気持ちで玉鬘を我がものにしたのではない、という気持ちが嬉しく、もしもこの女が尚侍として帝の思い者になったり、蛍兵部卿の宮の女になったりしたならば、自分は悔しい思いで一生見ていなければならなかったであろう、と考えると胸がいっぱいになり、玉鬘に逢う事を得たのは、石山寺の観音の御利益であり、弁御許の骨折でもあったから、観音をも弁御許をも両方を一緒に並べて有難いと感謝したく思うけれどもそのひまもないので感謝もせず、玉鬘が鬚黒を、深く、嫌らしいと、疎々しく思ってしまったから、鬚黒は玉鬘の心何とかして自分の方に向けようと、朝廷に出仕もしないし、世間との交際も打ち切って玉鬘の機嫌を取ることに熱中した。
鬚黒大将が宮中に参内もせずに籠もってしまっているのも尤もで、玉鬘に熱心に言い寄って来て玉鬘に振り払われた気の毒な人達が沢山あったが結局は、玉鬘の気に染まない人であった鬚黒に体を許してしまい、このことはどうも観音の験が意外なところに現れたものであった。
源氏も玉鬘が鬚黒大将に奪われたことを残念に思うが事実が明らかになれば仕方なく諦め、源氏も玉鬘の父親内大臣も二人の仲を認めることになったので、源氏は今に及んで、又反対して玉鬘を許さないと鬚黒に言っても、鬚黒に気の毒であるし、あまり感じのいいものではない、と考え直して、鬚黒が自由に玉鬘の許へ来られるようにと結婚の儀式をまたとなく立派に催した。黒鬚は早く玉鬘を我が屋敷に引き取りたいと源氏に願うのであるが、源氏は簡単に玉鬘を彼の屋敷に移らせて、あの屋敷に夫婦仲が悪い鬚黒の北の方がいるので、それでは玉鬘が可愛そうであると、自分がまだ玉鬘に心が引かれているのを鬚黒の夫婦仲が悪いことに紛れて、鬚黒に、
「そなたが急いでもやっぱりあわてずに、ここに落着いて穏かな状態で、世間の噂なども騒がしくなくなり、二人の非難や恨みが当然ないように、身を取り繕いなさい」
と玉鬘に注意するし、内大臣は、
「宮仕えするよりも鬚黒の妻となった方が世間体がいいのではないか。特に宮仕えは行届いた世話をする母親など親身な人のいない者が、物ずきで宮仕をして、あわよくば帝の龍を得ようと考えている。なぞと朋輩から謗られるのは心苦しいであろうと、この話があったときから気がかりであった。勿諭私は玉鬘も娘であるから愛情もあり大切に思っているよ、ただ貴女の姉の弘徽殿女御が、あのように帝の寵を得ているのを、それを差置いて、玉鬘を世話することは父親としてどのようにすればいいのか方法がないであろう」
とこっそりと話すのである。
なる程、いくら帝といえども玉鬘を自分の女として優遇しようとして一旦はお互い体を触れ合わさっても、帝が女御・更衣よりも、彼女を劣る女と帝が見てしまったならば、
稀々にしか帝に愛されることとなれば彼女の取った行動は軽薄な女として見られてしまう。
され、二人が正式に認められ婚姻しての第三日目、夜の披露宴のための三日夜餅を含めた祝儀の事を相談する文を源氏は玉鬘や鬚黒と交わした。それが大変丁重な文面であったことを内大臣は伝え聞いて、源氏が玉鬘を思う心をしみじみと感じて、勿体なく有難い、と思うのであった。
鬚黒と玉鬘の間は、鬚黒の北の方、紫の上の姉、との問題があるので、このように人目につかぬよう秘密な間柄の事であるけれども、自然と世間の人が興味ある話題として話の種になり、それからそれへと話は広がっていくもので、結局、内大臣は、源氏が実父でもない玉鬘を我が娘のように扱っているのをそのまま見過し、又源氏は、玉鬘を自分の女ともしないで無関係のまま鬚黒に譲ったというあり得ないこの世界のことを珍しいことだと、世間の人々はひそひそと評判し噂しているのであった。このことは当然内裏にも聞こえ、冷泉帝は、
「残念にも、自分とは、前世から縁の無いのであった玉鬘なのであるけれども、尚侍として出仕しようとかつては考えたこともあるから、尚侍として宮仕なさるがよい。しかし女御や更衣などのように私の女となる期待をもっているならば、人妻となった玉鬘故に宮仕は、断念するがよい」
などと諦めて言うのであった。玉鬘はそのことを承知の上尚侍に任官した。
十一月 になった。内裏では神事などが次々と催され内侍所にも神事進行の多くの事務がある。
ちなみに十一月の神事は左の如くである。
一日 忌火(いむび)の御飯を供す。「いむぴ」は、 今日では「いみび」と言わ れている。六月・十 一月・十二月の一日に、忌火で炊いた御飯を、内 膳司から天皇に奉る。天皇は大床予の御座で召し 上る。そのために忌(斎)火の竈の神の神事があ る。
十日 神祇官が御撫物(なでもの)を供す。内侍が 撫物を奉ると、それを上臈が伝え、天皇はそれで 御身を御撫でなさる。撫物は紙製の人形で、それ に身を撫でて罪穢れを祓い移す。その祓の神事が ある。
上の卯の日 相嘗(あいなめ)の祭がある。相嘗は、 「あひむべ」とも言い、その 年の新穀を諸神に 供せられ、又、かねて定めてある社に、朝廷から 幣帛を奉られる神事と、その他の神事とがある。
上の巳の日 山科祭
鬚黒大将が玉鬘を女房の弁の手引きで夜這いに成功した。月のない夜に鬚黒は弁の手引きで玉鬘の几帳台に忍び込み、驚く玉鬘の口をふさぎ無理に関係した、玉鬘の抵抗は激しかったが鬚黒の力には抗しきれず気力をなくして体を開いてしまったのであった。愛情もない只の交わりであったが、弁がそのことを漏らさなかったので源氏も、父親の内大臣も知らなかった。鬚黒はそれ以後たびたび玉鬘の許を訪れている内に源氏が知り、内大臣にも分かることになった。
源氏は、
「冷泉帝が、玉鬘が尚侍に出仕以前、鬚黒大将と体の関係が出来てしまったことを、もし耳にはいるようなことになれば、何か処分をするようなことになろう。しばらくの間はこのことを伏せておこう、決して人に漏らさないように」
と関係の者に漏らさないようにするのであるが、そのような源氏の言葉に従うようなこともなく、関係が出来てとうとう自分の欲望を達した嬉しさに鬚黒は心が浮き浮きして隠すことは出来ずにいた。
鬚黒が玉鬘の許へ通い始めて日にちが大分たつのであるが、鬚黒は四歳年上の本妻に較べて遙かに若い玉鬘の体の瑞々しさに全く溺れこんでしまい、何年かに渡って妻との交渉がなかった欲望の不満を取り返すかのように、毎夜訪れては玉鬘の体を愛撫し責め続けた。玉鬘は怒濤のように押し寄せる鬚黒の欲望を堪え忍んで受け入れ、間をおいてまた押し寄せる男の欲望を、男とはこのような者かと認識しながらどう防ぎようもなく受け入れ、一夜の内に数回そのような欲望の波を過ごすと彼は帰っていく、
「これが私の男と過ごす宿命なのであろう」
と疲れ切った体を休める頃に鬚黒から後朝の文が届く。読む気もしない弁女房が読むのをうとうとと聞きながら寝入ってしまう。鬚黒を愛する気持ちもなく日々を過ごす、玉鬘は源氏が恋しくなった。源氏とはもう少しで体を許すとこまで進んだのであるが、自分の潔癖性から反抗してしまったことが今になって悔やまれるのであった。
鬚黒はそのような玉鬘の自分への思いを分かっているのであるが、いい加減な気持ちで玉鬘を我がものにしたのではない、という気持ちが嬉しく、もしもこの女が尚侍として帝の思い者になったり、蛍兵部卿の宮の女になったりしたならば、自分は悔しい思いで一生見ていなければならなかったであろう、と考えると胸がいっぱいになり、玉鬘に逢う事を得たのは、石山寺の観音の御利益であり、弁御許の骨折でもあったから、観音をも弁御許をも両方を一緒に並べて有難いと感謝したく思うけれどもそのひまもないので感謝もせず、玉鬘が鬚黒を、深く、嫌らしいと、疎々しく思ってしまったから、鬚黒は玉鬘の心何とかして自分の方に向けようと、朝廷に出仕もしないし、世間との交際も打ち切って玉鬘の機嫌を取ることに熱中した。
鬚黒大将が宮中に参内もせずに籠もってしまっているのも尤もで、玉鬘に熱心に言い寄って来て玉鬘に振り払われた気の毒な人達が沢山あったが結局は、玉鬘の気に染まない人であった鬚黒に体を許してしまい、このことはどうも観音の験が意外なところに現れたものであった。
源氏も玉鬘が鬚黒大将に奪われたことを残念に思うが事実が明らかになれば仕方なく諦め、源氏も玉鬘の父親内大臣も二人の仲を認めることになったので、源氏は今に及んで、又反対して玉鬘を許さないと鬚黒に言っても、鬚黒に気の毒であるし、あまり感じのいいものではない、と考え直して、鬚黒が自由に玉鬘の許へ来られるようにと結婚の儀式をまたとなく立派に催した。黒鬚は早く玉鬘を我が屋敷に引き取りたいと源氏に願うのであるが、源氏は簡単に玉鬘を彼の屋敷に移らせて、あの屋敷に夫婦仲が悪い鬚黒の北の方がいるので、それでは玉鬘が可愛そうであると、自分がまだ玉鬘に心が引かれているのを鬚黒の夫婦仲が悪いことに紛れて、鬚黒に、
「そなたが急いでもやっぱりあわてずに、ここに落着いて穏かな状態で、世間の噂なども騒がしくなくなり、二人の非難や恨みが当然ないように、身を取り繕いなさい」
と玉鬘に注意するし、内大臣は、
「宮仕えするよりも鬚黒の妻となった方が世間体がいいのではないか。特に宮仕えは行届いた世話をする母親など親身な人のいない者が、物ずきで宮仕をして、あわよくば帝の龍を得ようと考えている。なぞと朋輩から謗られるのは心苦しいであろうと、この話があったときから気がかりであった。勿諭私は玉鬘も娘であるから愛情もあり大切に思っているよ、ただ貴女の姉の弘徽殿女御が、あのように帝の寵を得ているのを、それを差置いて、玉鬘を世話することは父親としてどのようにすればいいのか方法がないであろう」
とこっそりと話すのである。
なる程、いくら帝といえども玉鬘を自分の女として優遇しようとして一旦はお互い体を触れ合わさっても、帝が女御・更衣よりも、彼女を劣る女と帝が見てしまったならば、
稀々にしか帝に愛されることとなれば彼女の取った行動は軽薄な女として見られてしまう。
され、二人が正式に認められ婚姻しての第三日目、夜の披露宴のための三日夜餅を含めた祝儀の事を相談する文を源氏は玉鬘や鬚黒と交わした。それが大変丁重な文面であったことを内大臣は伝え聞いて、源氏が玉鬘を思う心をしみじみと感じて、勿体なく有難い、と思うのであった。
鬚黒と玉鬘の間は、鬚黒の北の方、紫の上の姉、との問題があるので、このように人目につかぬよう秘密な間柄の事であるけれども、自然と世間の人が興味ある話題として話の種になり、それからそれへと話は広がっていくもので、結局、内大臣は、源氏が実父でもない玉鬘を我が娘のように扱っているのをそのまま見過し、又源氏は、玉鬘を自分の女ともしないで無関係のまま鬚黒に譲ったというあり得ないこの世界のことを珍しいことだと、世間の人々はひそひそと評判し噂しているのであった。このことは当然内裏にも聞こえ、冷泉帝は、
「残念にも、自分とは、前世から縁の無いのであった玉鬘なのであるけれども、尚侍として出仕しようとかつては考えたこともあるから、尚侍として宮仕なさるがよい。しかし女御や更衣などのように私の女となる期待をもっているならば、人妻となった玉鬘故に宮仕は、断念するがよい」
などと諦めて言うのであった。玉鬘はそのことを承知の上尚侍に任官した。
十一月 になった。内裏では神事などが次々と催され内侍所にも神事進行の多くの事務がある。
ちなみに十一月の神事は左の如くである。
一日 忌火(いむび)の御飯を供す。「いむぴ」は、 今日では「いみび」と言わ れている。六月・十 一月・十二月の一日に、忌火で炊いた御飯を、内 膳司から天皇に奉る。天皇は大床予の御座で召し 上る。そのために忌(斎)火の竈の神の神事があ る。
十日 神祇官が御撫物(なでもの)を供す。内侍が 撫物を奉ると、それを上臈が伝え、天皇はそれで 御身を御撫でなさる。撫物は紙製の人形で、それ に身を撫でて罪穢れを祓い移す。その祓の神事が ある。
上の卯の日 相嘗(あいなめ)の祭がある。相嘗は、 「あひむべ」とも言い、その 年の新穀を諸神に 供せられ、又、かねて定めてある社に、朝廷から 幣帛を奉られる神事と、その他の神事とがある。
上の巳の日 山科祭
作品名:私の読む「源氏物語」ー42-真木柱 作家名:陽高慈雨