私の読む「源氏物語」ー39ー野分
やがて明石姫君が台風の怖さから紫の許に避難していたのが、紫上の方から自分の部屋に帰るという知らせがあり、姫付きの女房達がざわざわと動いて、姫君の几帳を直したりなどをしだした。夕霧は、先刻見た美しい花のような紫上や玉鬘の顔などに明石姫を移して想像し、常には物を見たがらない性質であるのに、今日は見たくて、強いて妻戸の御簾をはねあげて引きかぶるようにして、中にはいり込んで几帳のほころびから覗き見ると、明石姫は、何か障子、襖か屏風などの側から、何という事もなく只静かに、目立たないようにして通り過ぎる姿が、少しだけ見ることが出来た。だが、女房達が頻繁に行ったり来たりするから、タ霧には、何の見分けもわからず姫君をよく見極められなかった程度なので、タ霧は全くもの足らずに苛々するだけであった。明石姫は薄紫色の御召物で、髪がまだ長くはなく身長に届かないで末がふさふさとし、扇を広げたような形であり、大層ほっそりとして小さい体つきは、可愛らしくいじらしい。夕霧はその姿を見て、
「一昨年頃は、時たまに、明石姫を見たけれども、今見ると、改めて、この上なく年と共に勝れて美しく成長するように思うなあ。」
と思うのであった。
夕霧は先刻、紫上と玉鬘とを見てしまった、紫上は「霞の間よりおもしろきかば桜」、玉鬘を「八重山吹の咲きみだれたるさかりに」と夕霧は感じたのであるが、明石姫は藤の花と言ってもよかろう。藤木が小高いところから咲き下って、
「風にゆらりゆらりと靡いているつやつやしい美しさは、明石姫の姿である」
と、夕霧は自然に思いくらべる。夕霧は紫の上、玉鬘、明石姫この美女三人を思いのまま自由に明け暮れ見続けたいものであるなあ。たしかに、朝晩、見ることは、親兄弟の関係なのであるからあり得るはずの身内の間柄でありながら、夕霧にとって紫上は継母、明石姫は異腹の妹、玉鬘も姉となっている。そのようなわけで、父源氏が、あちらへの隔て、こちらへの隔てと、隔て隔ての、夕霧に対して厳しい事が、いかにしてもつらく恨めし、夕霧はこの人達に逢いたくて我慢もできず、真面目な彼もいい加減に浮かれ出る気がする。
夕霧は又、三条宮に祖母大宮のもとに参上した所が、大宮は心静かに落着いて、仏道の修行をしておられた。大宮の許にも美しい若い女房など伺候しているけれども、彼女らの立ち居振る舞いや衣装などどれもが、今を盛りと栄えている六条院の御方々の女房には、比較にもならない、と彼は見ていた。むしろ、顔の美しい尼君がたが、墨染の衣で簡素な姿をしているのが、かえって女房姿などでいるよりも、仏道修行の大宮の許では、そう、世をそむいた簡素な姿という点で、風情があるものだなあ。と夕霧は大宮が尼であるから、召使う人々の中にも、若干は尼なのである故にそのように感じたのである。
内大臣も丁度、野分の翌日のタ方に、大宮方に見舞に参上された故に大きな灯台を持って来させて、大宮は内大臣と落ち着いて静かにお話をするのであった。
「雲井雁を長い間私は見ないことが、悲しいことであります」
と孫娘を思い出して涙を流す。内大臣は聞いて大宮を慰め、
「近いうちに雲井雁を伴って御機嫌伺いに参上いたします。雲井雁は、自ら求めて心配をする性分で、このごろは見ていても気の毒に思うほど衰弱した状態で居るようでござりまする」
と内大臣はタ霧との関係を匂わして言っている。「娘というものは、有体に言うならば、持ちたくありませんね。どのようなことがあったとしても、娘には、気ばかり揉まされて居るのでござりまするよ」 と内大臣は雲井雁も、タ霧に懸想せられて、私は心が乱れている、ということを仄めかすように母の大宮に言うのであった。
聞いていた大宮は、雲井雁と夕霧のことが辛くてたまらないのであるが、内大臣の言葉を聞いて無理に孫に会いたいとはさらに言わなかった。
内大臣は、
「私は大変不調法な、する事なす事の行届かぬ粗忽な娘を持ちまして、どうしようかと、もてあまして居るのでございます」
と大宮に泣言を申されて、困却しきっておりながらも、表面を繕って笑うのである。大宮は息子の言葉を聞いて、
「おやまあ、妙な事を言われる。内大臣の娘という名を持っていて、教養がないわけがありますか。何か理由があるのでは」
と驚いたように息子の内大臣に問いただす、
「いかにも、教養がない点があります。私には、それが見苦しく、どうも困ってます。その娘を母上にどうにかして御目にかけ申しましょう」
と母親の大宮に内大臣は答えていた。
野分終わり
作品名:私の読む「源氏物語」ー39ー野分 作家名:陽高慈雨