私の読む「源氏物語」ー39ー野分
野 分 のわき
源氏の六条院の未申の区画は秋好中宮の里屋敷に源氏は院の新築段階で計画していた。中宮の母親はかって源氏の恋人の一人で六条御息所、中宮は伊勢神宮の斎宮として母と共に伊勢に下向していたのであるが、源氏の父であった桐壺帝が亡くなって代替わりとなり母親の六条御息所とともに都に帰り、やがて母の死の際に源氏に託した遺言により源氏の庇護を受けて冷泉帝の女御に、同じ女御である内大臣の娘の弘徽殿女御と后の地位を争い中宮を勝ち取ったのである。
その中宮が暮らす屋敷の全面の庭に、秋の草花が植えられていて今年は例年よりも多く植えられていたのでいろいろな種類の花が見られた。その花々を生のまま皮を遺した木や、皮をむいた白木を短く切って花を区するために彼方此方に目の荒いませ垣を造って「植え立てて君がしめゆふ花なれば玉と見えてや露もおくらむ」という後選和歌集の歌にあるとおりにこの眺めは朝夕露に輝いて他所の国のようである。ずっと遠くまで作ってある、秋の野の趣深い景色を見てると、春もよいが差当っては春の庭の面白さも、人々は自然に忘れてしかも、秋好中宮の秋の庭は、紫の上の春の庭より涼しく風情があり心が体ら離れてうきうきするようである。
春と秋のどちらが好きかという争論に、昔から秋の方に心を寄せる人は数が多いのであるが、春の園と名の通った紫の上の花園に好感を寄せている人も、気持ちを飜して秋好中宮の秋の庭が素敵であると賞賛するのも、権力に偏るこの世の仕組みに似たようなものであった。中宮がこの庭を見慣れてしまい六条院に留まる間に彼女は何かの催しをしたいのであるけれども、八月は亡くなった父親、故前春宮の御祥月であるから派手なことをすることも出来ないで、気が重く過ごしているのであったが、庭の草花が日を経るにつれて色が鮮やかになり、また新たに咲き始めたりするのを見ては気分を休めていたのであるが、秋特有の強い風が、今年は暴風となって、空の色がどんよりと黒ずんで低くなり荒れ狂った風が吹いてきた。この暴風に草花が倒れて萎れてしまい、花にあまり興味のない女房も「花が倒れる、困ったことだ」とさわぐくらいの酷い模様に、花を心配する秋好中宮には、草むらの露が無差別に飛び散るのにつれて花たちがと、自分の体がもぎ取られるように心を痛めるのであった。中宮は、
大空におほふぱかりの袖もがな
春さく花を風にまかせじ
と後選和歌集に春の空を詠んでいるので、秋の空にも空を覆う袖が欲しいものである、と思うのである。
その日は日が暮れゆくにつれて前方が見えないほど暴風が吹き乱れて、本当に恐ろしいので、女房達が、外側に格子のついている蔀である格子などをおろしてしまったけれども、秋好中宮は、「夜の間に花が損傷しようか」と気がかりで、大変困った事であると気を揉んでいた。 紫の上の庭も、最近庭の繕いをしたばかりのことで、このような嵐が来ては株のまばらな小萩が、烈しい野分にとても耐えきれないであろう。繰返し繰返し少しも止みそうにもない、烈しく吹き散らす様子を、紫は蔀を少し開けて外の様子を見ていた。源氏は明石の許に出向いていて不在である。夕霧が紫の許へ見舞いにやってきて東の方の渡り廊下の小さい衝立越しに 両開きの妻戸の開いている隙から何となく見てみると、女房達が動いているのが見えたので、夕霧はそのまま立ち止まって、音のせぬようにそうっとその女房達を見ていた。屏風も風に倒されないようにと片隅に押しやられていて、部屋の中が見通しよくなっているので、廂の間に座っている女の人は、紛れもなく紫の上と見えた、上品に、清楚で心地よい香りが漂ってくる気持ちがして、夕霧には、春の朝霞の中から現れる何とも言えないかば桜と呼ばれている黄桜の満開した景色を夕霧は見ているような気がした。その美しさを見つめている夕霧自身の顔にも、彼女の匂が移ってくるように、紫上のにこやかで可愛らしいさは、顔一面にこぼれるように溢れているのであった。時たま御簾が風にあおられて吹き上げられるのを女房達が御簾の裾の方をおさえているが、しかもどうしたのであろうかまた吹き上げられてしまうのを紫の上は可笑しくて笑ってみているのその姿がとても美しい。庭の色々の花を紫上は心配して、庭を見つめたまま奥にはいることが出来ないでいる。
紫の側近くに勤める女房達も色々様々に、何という事なしに夕霧には美しげな姿に見えるのであるが、ずっと見渡すと、紫上以外には、女房などにタ霧の目が移るはずもない。夕霧は紫から目が離せなかった。父の源氏が自分を紫から遠ざけている意味が夕霧には分かった。夕霧が考えるように、紫上を見る人は、誰でもがそのまま気にも留めずにはいられないと思う程、愛敬があって美しい紫上であるから、男女の仲には鋭い父源氏の用心深さで、
「万が一、今の自分のように、紫上に心を動かす事でもあるかと、心配していたのだなあ」
と、察すると、自分がいるあたりの様子が恐ろしくなって。ここに居てはならぬと気が咎めるので立ち去ろうとするときに明石姫の部屋から襖を開けて源氏が出てきて紫の許に歩いていった。紫に、 「本当に、いやな酷い風のようですね。格子をおろしなさいよ。この嵐で男達も来ているであろうに、なぜにおろさないのですが。これではあけつばなしで外から人がきっと見ましょう」 紫上に注意するのであるが、タ霧はそのような源氏の声を聞きながらも、もう一度紫の近くに寄っていき紫を見ると、源氏は紫に声をかけながら笑って紫を見つめていた。夕霧の目に映った父親は年より若く清楚で、あでやかで、甚だ勝れた、御容貌の真っ盛りである。紫上も年を取るにつれて、女盛りに円熟し切っており、何一つ欠けた点のない二人の様子であるのを、夕霧が覗いて見ると身にしみて美しいなとと感心しているのであるが、紫の許へ行く渡り廊下の蔀も吹き飛ばされているので、タ霧の立っている所が丸見えであるから、夕霧は女房達に発見されるのが怖くて、この場を立ち退いたのである。そうして、今初めて来た事を合図する咳ばらいをして、濡緑である簀子の方に歩き出すと、その姿を源氏が見つけて、
「それ見たことか、すっかり見られているよ」
「あの妻戸が開けっ放しではないか」
と今になって妻戸が開いていることを指摘していた。
「このような不審なことは今まで無かったことであったのに、この風は巌のような厳しい警戒をも吹き飛ばしてしまった。そのついでに風は常日頃用心深い紫の心まで吹き飛ばしてくれたものである。なんと幸運なことであったこと」
と夕霧は内心紫の姿を見ることが出来て喜んでいた。
風が納まると見舞客が次々と参上してきた。
「実にものすごい風が吹きましたものです」
「丑寅(東北)の方向から吹いてきておりまするから、この南(紫上方)の御前の庭は、静かなのでしょう」
「馬場殿と南の釣殿など、花散里の御方は、丑寅の方向であるので、大変だったのでは」
と見舞客はそれぞれ、何やかやと風を防ぐ方法を言っては、わいわいと騒いでいる。源氏は夕霧に、「お前は何処からここへ入ってきたのだ」
源氏の六条院の未申の区画は秋好中宮の里屋敷に源氏は院の新築段階で計画していた。中宮の母親はかって源氏の恋人の一人で六条御息所、中宮は伊勢神宮の斎宮として母と共に伊勢に下向していたのであるが、源氏の父であった桐壺帝が亡くなって代替わりとなり母親の六条御息所とともに都に帰り、やがて母の死の際に源氏に託した遺言により源氏の庇護を受けて冷泉帝の女御に、同じ女御である内大臣の娘の弘徽殿女御と后の地位を争い中宮を勝ち取ったのである。
その中宮が暮らす屋敷の全面の庭に、秋の草花が植えられていて今年は例年よりも多く植えられていたのでいろいろな種類の花が見られた。その花々を生のまま皮を遺した木や、皮をむいた白木を短く切って花を区するために彼方此方に目の荒いませ垣を造って「植え立てて君がしめゆふ花なれば玉と見えてや露もおくらむ」という後選和歌集の歌にあるとおりにこの眺めは朝夕露に輝いて他所の国のようである。ずっと遠くまで作ってある、秋の野の趣深い景色を見てると、春もよいが差当っては春の庭の面白さも、人々は自然に忘れてしかも、秋好中宮の秋の庭は、紫の上の春の庭より涼しく風情があり心が体ら離れてうきうきするようである。
春と秋のどちらが好きかという争論に、昔から秋の方に心を寄せる人は数が多いのであるが、春の園と名の通った紫の上の花園に好感を寄せている人も、気持ちを飜して秋好中宮の秋の庭が素敵であると賞賛するのも、権力に偏るこの世の仕組みに似たようなものであった。中宮がこの庭を見慣れてしまい六条院に留まる間に彼女は何かの催しをしたいのであるけれども、八月は亡くなった父親、故前春宮の御祥月であるから派手なことをすることも出来ないで、気が重く過ごしているのであったが、庭の草花が日を経るにつれて色が鮮やかになり、また新たに咲き始めたりするのを見ては気分を休めていたのであるが、秋特有の強い風が、今年は暴風となって、空の色がどんよりと黒ずんで低くなり荒れ狂った風が吹いてきた。この暴風に草花が倒れて萎れてしまい、花にあまり興味のない女房も「花が倒れる、困ったことだ」とさわぐくらいの酷い模様に、花を心配する秋好中宮には、草むらの露が無差別に飛び散るのにつれて花たちがと、自分の体がもぎ取られるように心を痛めるのであった。中宮は、
大空におほふぱかりの袖もがな
春さく花を風にまかせじ
と後選和歌集に春の空を詠んでいるので、秋の空にも空を覆う袖が欲しいものである、と思うのである。
その日は日が暮れゆくにつれて前方が見えないほど暴風が吹き乱れて、本当に恐ろしいので、女房達が、外側に格子のついている蔀である格子などをおろしてしまったけれども、秋好中宮は、「夜の間に花が損傷しようか」と気がかりで、大変困った事であると気を揉んでいた。 紫の上の庭も、最近庭の繕いをしたばかりのことで、このような嵐が来ては株のまばらな小萩が、烈しい野分にとても耐えきれないであろう。繰返し繰返し少しも止みそうにもない、烈しく吹き散らす様子を、紫は蔀を少し開けて外の様子を見ていた。源氏は明石の許に出向いていて不在である。夕霧が紫の許へ見舞いにやってきて東の方の渡り廊下の小さい衝立越しに 両開きの妻戸の開いている隙から何となく見てみると、女房達が動いているのが見えたので、夕霧はそのまま立ち止まって、音のせぬようにそうっとその女房達を見ていた。屏風も風に倒されないようにと片隅に押しやられていて、部屋の中が見通しよくなっているので、廂の間に座っている女の人は、紛れもなく紫の上と見えた、上品に、清楚で心地よい香りが漂ってくる気持ちがして、夕霧には、春の朝霞の中から現れる何とも言えないかば桜と呼ばれている黄桜の満開した景色を夕霧は見ているような気がした。その美しさを見つめている夕霧自身の顔にも、彼女の匂が移ってくるように、紫上のにこやかで可愛らしいさは、顔一面にこぼれるように溢れているのであった。時たま御簾が風にあおられて吹き上げられるのを女房達が御簾の裾の方をおさえているが、しかもどうしたのであろうかまた吹き上げられてしまうのを紫の上は可笑しくて笑ってみているのその姿がとても美しい。庭の色々の花を紫上は心配して、庭を見つめたまま奥にはいることが出来ないでいる。
紫の側近くに勤める女房達も色々様々に、何という事なしに夕霧には美しげな姿に見えるのであるが、ずっと見渡すと、紫上以外には、女房などにタ霧の目が移るはずもない。夕霧は紫から目が離せなかった。父の源氏が自分を紫から遠ざけている意味が夕霧には分かった。夕霧が考えるように、紫上を見る人は、誰でもがそのまま気にも留めずにはいられないと思う程、愛敬があって美しい紫上であるから、男女の仲には鋭い父源氏の用心深さで、
「万が一、今の自分のように、紫上に心を動かす事でもあるかと、心配していたのだなあ」
と、察すると、自分がいるあたりの様子が恐ろしくなって。ここに居てはならぬと気が咎めるので立ち去ろうとするときに明石姫の部屋から襖を開けて源氏が出てきて紫の許に歩いていった。紫に、 「本当に、いやな酷い風のようですね。格子をおろしなさいよ。この嵐で男達も来ているであろうに、なぜにおろさないのですが。これではあけつばなしで外から人がきっと見ましょう」 紫上に注意するのであるが、タ霧はそのような源氏の声を聞きながらも、もう一度紫の近くに寄っていき紫を見ると、源氏は紫に声をかけながら笑って紫を見つめていた。夕霧の目に映った父親は年より若く清楚で、あでやかで、甚だ勝れた、御容貌の真っ盛りである。紫上も年を取るにつれて、女盛りに円熟し切っており、何一つ欠けた点のない二人の様子であるのを、夕霧が覗いて見ると身にしみて美しいなとと感心しているのであるが、紫の許へ行く渡り廊下の蔀も吹き飛ばされているので、タ霧の立っている所が丸見えであるから、夕霧は女房達に発見されるのが怖くて、この場を立ち退いたのである。そうして、今初めて来た事を合図する咳ばらいをして、濡緑である簀子の方に歩き出すと、その姿を源氏が見つけて、
「それ見たことか、すっかり見られているよ」
「あの妻戸が開けっ放しではないか」
と今になって妻戸が開いていることを指摘していた。
「このような不審なことは今まで無かったことであったのに、この風は巌のような厳しい警戒をも吹き飛ばしてしまった。そのついでに風は常日頃用心深い紫の心まで吹き飛ばしてくれたものである。なんと幸運なことであったこと」
と夕霧は内心紫の姿を見ることが出来て喜んでいた。
風が納まると見舞客が次々と参上してきた。
「実にものすごい風が吹きましたものです」
「丑寅(東北)の方向から吹いてきておりまするから、この南(紫上方)の御前の庭は、静かなのでしょう」
「馬場殿と南の釣殿など、花散里の御方は、丑寅の方向であるので、大変だったのでは」
と見舞客はそれぞれ、何やかやと風を防ぐ方法を言っては、わいわいと騒いでいる。源氏は夕霧に、「お前は何処からここへ入ってきたのだ」
作品名:私の読む「源氏物語」ー39ー野分 作家名:陽高慈雨