私の読む「源氏物語」ー38-かがりび
かがり火
この頃宮中や貴人の家での噂話は専ら、
「内大臣の近江姫」
である。ことある事にこの噂を人々がするので、源氏の耳にもやがて聞こえてきた。
「事情はどうであれ、他人が、見るはずはあるまいと思って、どこか人目に立たぬ所に、隠れ籠もっていた近江姫を、本気でなく単に内大臣の夢占いから発展して「われなむかこつべき事ある(私がお捜しの娘で御座います)」と申し出てきた女を、引取って、邸内に他人の目が届かないように置かず、弘徽殿女御の女房にして預けようとする、そうすればいろいろな人の目に触れるではないか、このような噂になるほど人目にさらす内大臣の気持ちは私には理解できない。内大臣は度を越しているほど生真面目な方であるので、自分の子供であると確信したならば、近江君の気持ちも確かめないで、そのまま近江君を連れ出して女房勤めをっしてみると、自分の思うような女ではなかった、と言うことでこのような情のない扱いをなさったのであろう。どのようなことでもも扱い方で、穏便に済むものであるように思う」
と源氏は近江君を可愛そうに思うのであった。
近江の今の様子聞き知って玉鬘は、
「父内大臣が、近江君を人の噂になる程、女房として人にも見せ、雑な彼女の行動をもてあまして冷淡にしているということを聞くと、、私はなんと幸運にも父内大臣に引取られなかってよかった。
父上であると聞いてはいたが、筑紫に流れて長い年月の間父上のご性質を知ることなくて、父内大臣の許に引取られ、父親と娘との間がしっくりといくようになり、その時に近江君などのように扱われていたら、恥じるような事があただろうなあ」 と、花散里の西の対に住んでいる玉鬘は、源氏に引取られた現在の幸運をかみしめ、女房の右近も、源氏の有難い好意をよくよく玉鬘に話聞かすのであった。
玉鬘が嫌がるほど源氏が彼女の体を求めてくるのも、実の父親でないので問題はないのであるが、
そのような気持ちが源氏にあるといっても、今は冗談事に紛らし、それ以上の男の色欲を表面に出して、源氏は無理強引な行動するなどしなくなった。玉鬘に対して優しい愛情でのみ接するようになったのを玉鬘も分かるようになって、源氏に対して心を開いて打ち解けた態度で交際されるようになった。
七月、秋になった。秋初めての風が、涼しく吹いてきて古今和歌集の歌「わが背子が衣の裾を吹き返し うらめづらしき秋の初風」
(私の夫の衣の据をひるがえして吹き、衣更えしたばかりの目新しい衣の裏を見せる、新鮮な秋の初風よ)
の歌ではないが、源氏はうら淋しい心が湧いてきて玉鬘恋しさを我慢できない。源氏は間断なく玉鬘の部屋に行き、行けば終日そこで過ごす、和琴などを取り上げて玉鬘に教えるのであった。
五、六日頃のタ方の月は、すぐに西山に隠れてしまい、空もいくらか曇っている模様も、庭の萩の葉ずれの音も、秋が深まるにつれて、次第に秋らしい季節になってしまいもうすっかり情趣の深い秋である。涼しいさわやかな秋の風に吹かれながら、源氏と玉鬘は源氏が和琴を枕にして横になると玉鬘もまねて横になり、二人一緒に相添うて臥した。源氏は玉鬘の衣の袖口からそっと手を差し入れて柔らかい彼女の胸に手を置くのであるが、玉鬘は以前のように逆らうこともなく源氏の次の行動を待っているようであった。けれども、「添臥だけで済ますこんな例は男女の仲であるであろうか」と、源氏は嘆きながらそれ以上の男と女の交わりをすることもなく夜が更けていくまで二人はそのまま添い臥していた。なにをなさっておられるのであろうと、女房が見に来ることもあろうかと、源氏は不安になり立ち上がって自分の部屋に帰ることにした。
庭を見ると玉鬘の部屋の前の篝火が消えかけているので、供人である右近大夫を呼び篝火に薪を入れるように指示した。
量を運ぶように清らかな水が流れる遣り水のほとりに姿や風情が格別であり、枝は広がって幹が這うように横に伸びる檀の木の下に、松の割木を暑苦しく見えない程度に積んで置いて、玉鬘の居間から遠のいて、水の上に台を突き出すようにして火をつけてあるから。玉鬘の,居間の庭の方は、篝火から離れているので熱気が届かないから大層涼しくて風情のあるほのかな光に、玉鬘が映し出されると、源氏が見る玉鬘の姿は美しくて思わず手が伸びて彼女の髪をさわっていた。彼女の髪はひやりと冷たく上品であった。玉鬘の何となく堅苦しい感じ、なにかと人に接するときに恥ずかしいという感じ、そういうところが何となく奥ゆかしいく見えるのである。そんな玉鬘の美しい姿を見て帰りかけた源氏はぐずぐずしてなかなか帰ろうとしない。源氏は、
「いつも必ず篝火の担当者は側にいて火を燃やし続けること。夏の月がない夜は、庭に光が無いのは、暗くて、何だか気味が悪く、たよりなく不安な気分がするものである」
と右近大夫達付き人に言う。源氏は玉鬘に向かって、
篝火にたちそふ恋の煙こそ
世には絶えせぬ炎なりけれ
(篝火の燃える煙に添うて一緒に燃えて立ちのぽる私の恋の煙こそは、(篝火はたとい消えても)この世に消える事をしない、炎なのであった)
何時まで私に恋心を押さえていよと言うのであるかなあ。蚊遣火のように、目の前でくすぶっている状態でなくても、私は今、苦しい恋のくすぶりで心の中は悶えているのですよ」
と玉鬘に訴える。玉鬘は「世間では親子と思われているのに、恋を語るなんて、変わった親子である」と思うので、
行方なき空に消ちてよ篝火の
たよりにたぐふ煙とならば
(行く方向もわからない広い大空に消してほしい、篝火の煙の立ちのぽるついでに、つれ立って一緒に立ちのぼる恋の煙であるという事であるならば)
人が、親子の間なのに「変である」と思うかも知れませぬから」
と迷惑そうに詠うので、源氏は、
「帰るとしよう」
と踵を返したときに、花散る里の東の対より、楽しそうな合奏の音が聞こえてきた。すてきな笛の音に笙の音がうまく和しているのである。夕霧がいつもの仲間と遊んでいるのであった。源氏は、
「柏木頭中将の笛の音だな。なかなかいい音色だ」 と帰る足を止めてしまった。
源氏は使いの者を花散里のもとに送った。
「玉鬘のもとに涼しい篝火を焚いてわたしはこの場を離れられません。こちらに来ませんか」と夕霧に告げると、夕霧、柏木、弁と三人がいっしよにそれぞれ楽器を手にして源氏のもとに現れた。
「風が秋を奏でている、そちらの合奏を聴いていると、聞いているだけでは我慢が出来ず共に合奏したくなってこちらに呼んだんだよ」
と言って和琴を引き寄せて惚れ惚れする音色で演奏を始めた。源氏の息子の夕霧は平調で笛を綺麗な音色で吹き始めた。柏木頭中将は御簾の奥に玉鬘が演奏を聴いているので、玉鬘に恋している柏木は緊張して歌をなかなか謡われない。
「早く謡えよ」
この頃宮中や貴人の家での噂話は専ら、
「内大臣の近江姫」
である。ことある事にこの噂を人々がするので、源氏の耳にもやがて聞こえてきた。
「事情はどうであれ、他人が、見るはずはあるまいと思って、どこか人目に立たぬ所に、隠れ籠もっていた近江姫を、本気でなく単に内大臣の夢占いから発展して「われなむかこつべき事ある(私がお捜しの娘で御座います)」と申し出てきた女を、引取って、邸内に他人の目が届かないように置かず、弘徽殿女御の女房にして預けようとする、そうすればいろいろな人の目に触れるではないか、このような噂になるほど人目にさらす内大臣の気持ちは私には理解できない。内大臣は度を越しているほど生真面目な方であるので、自分の子供であると確信したならば、近江君の気持ちも確かめないで、そのまま近江君を連れ出して女房勤めをっしてみると、自分の思うような女ではなかった、と言うことでこのような情のない扱いをなさったのであろう。どのようなことでもも扱い方で、穏便に済むものであるように思う」
と源氏は近江君を可愛そうに思うのであった。
近江の今の様子聞き知って玉鬘は、
「父内大臣が、近江君を人の噂になる程、女房として人にも見せ、雑な彼女の行動をもてあまして冷淡にしているということを聞くと、、私はなんと幸運にも父内大臣に引取られなかってよかった。
父上であると聞いてはいたが、筑紫に流れて長い年月の間父上のご性質を知ることなくて、父内大臣の許に引取られ、父親と娘との間がしっくりといくようになり、その時に近江君などのように扱われていたら、恥じるような事があただろうなあ」 と、花散里の西の対に住んでいる玉鬘は、源氏に引取られた現在の幸運をかみしめ、女房の右近も、源氏の有難い好意をよくよく玉鬘に話聞かすのであった。
玉鬘が嫌がるほど源氏が彼女の体を求めてくるのも、実の父親でないので問題はないのであるが、
そのような気持ちが源氏にあるといっても、今は冗談事に紛らし、それ以上の男の色欲を表面に出して、源氏は無理強引な行動するなどしなくなった。玉鬘に対して優しい愛情でのみ接するようになったのを玉鬘も分かるようになって、源氏に対して心を開いて打ち解けた態度で交際されるようになった。
七月、秋になった。秋初めての風が、涼しく吹いてきて古今和歌集の歌「わが背子が衣の裾を吹き返し うらめづらしき秋の初風」
(私の夫の衣の据をひるがえして吹き、衣更えしたばかりの目新しい衣の裏を見せる、新鮮な秋の初風よ)
の歌ではないが、源氏はうら淋しい心が湧いてきて玉鬘恋しさを我慢できない。源氏は間断なく玉鬘の部屋に行き、行けば終日そこで過ごす、和琴などを取り上げて玉鬘に教えるのであった。
五、六日頃のタ方の月は、すぐに西山に隠れてしまい、空もいくらか曇っている模様も、庭の萩の葉ずれの音も、秋が深まるにつれて、次第に秋らしい季節になってしまいもうすっかり情趣の深い秋である。涼しいさわやかな秋の風に吹かれながら、源氏と玉鬘は源氏が和琴を枕にして横になると玉鬘もまねて横になり、二人一緒に相添うて臥した。源氏は玉鬘の衣の袖口からそっと手を差し入れて柔らかい彼女の胸に手を置くのであるが、玉鬘は以前のように逆らうこともなく源氏の次の行動を待っているようであった。けれども、「添臥だけで済ますこんな例は男女の仲であるであろうか」と、源氏は嘆きながらそれ以上の男と女の交わりをすることもなく夜が更けていくまで二人はそのまま添い臥していた。なにをなさっておられるのであろうと、女房が見に来ることもあろうかと、源氏は不安になり立ち上がって自分の部屋に帰ることにした。
庭を見ると玉鬘の部屋の前の篝火が消えかけているので、供人である右近大夫を呼び篝火に薪を入れるように指示した。
量を運ぶように清らかな水が流れる遣り水のほとりに姿や風情が格別であり、枝は広がって幹が這うように横に伸びる檀の木の下に、松の割木を暑苦しく見えない程度に積んで置いて、玉鬘の居間から遠のいて、水の上に台を突き出すようにして火をつけてあるから。玉鬘の,居間の庭の方は、篝火から離れているので熱気が届かないから大層涼しくて風情のあるほのかな光に、玉鬘が映し出されると、源氏が見る玉鬘の姿は美しくて思わず手が伸びて彼女の髪をさわっていた。彼女の髪はひやりと冷たく上品であった。玉鬘の何となく堅苦しい感じ、なにかと人に接するときに恥ずかしいという感じ、そういうところが何となく奥ゆかしいく見えるのである。そんな玉鬘の美しい姿を見て帰りかけた源氏はぐずぐずしてなかなか帰ろうとしない。源氏は、
「いつも必ず篝火の担当者は側にいて火を燃やし続けること。夏の月がない夜は、庭に光が無いのは、暗くて、何だか気味が悪く、たよりなく不安な気分がするものである」
と右近大夫達付き人に言う。源氏は玉鬘に向かって、
篝火にたちそふ恋の煙こそ
世には絶えせぬ炎なりけれ
(篝火の燃える煙に添うて一緒に燃えて立ちのぽる私の恋の煙こそは、(篝火はたとい消えても)この世に消える事をしない、炎なのであった)
何時まで私に恋心を押さえていよと言うのであるかなあ。蚊遣火のように、目の前でくすぶっている状態でなくても、私は今、苦しい恋のくすぶりで心の中は悶えているのですよ」
と玉鬘に訴える。玉鬘は「世間では親子と思われているのに、恋を語るなんて、変わった親子である」と思うので、
行方なき空に消ちてよ篝火の
たよりにたぐふ煙とならば
(行く方向もわからない広い大空に消してほしい、篝火の煙の立ちのぽるついでに、つれ立って一緒に立ちのぼる恋の煙であるという事であるならば)
人が、親子の間なのに「変である」と思うかも知れませぬから」
と迷惑そうに詠うので、源氏は、
「帰るとしよう」
と踵を返したときに、花散る里の東の対より、楽しそうな合奏の音が聞こえてきた。すてきな笛の音に笙の音がうまく和しているのである。夕霧がいつもの仲間と遊んでいるのであった。源氏は、
「柏木頭中将の笛の音だな。なかなかいい音色だ」 と帰る足を止めてしまった。
源氏は使いの者を花散里のもとに送った。
「玉鬘のもとに涼しい篝火を焚いてわたしはこの場を離れられません。こちらに来ませんか」と夕霧に告げると、夕霧、柏木、弁と三人がいっしよにそれぞれ楽器を手にして源氏のもとに現れた。
「風が秋を奏でている、そちらの合奏を聴いていると、聞いているだけでは我慢が出来ず共に合奏したくなってこちらに呼んだんだよ」
と言って和琴を引き寄せて惚れ惚れする音色で演奏を始めた。源氏の息子の夕霧は平調で笛を綺麗な音色で吹き始めた。柏木頭中将は御簾の奥に玉鬘が演奏を聴いているので、玉鬘に恋している柏木は緊張して歌をなかなか謡われない。
「早く謡えよ」
作品名:私の読む「源氏物語」ー38-かがりび 作家名:陽高慈雨