私の読む「源氏物語」ー35-胡蝶
胡 蝶
三月の二十日過ぎのころになると、源氏と紫が住む六条院の南東の区画は庭先の景色が美しく、春の季節が好きである源氏や紫にとっては季節の中で一番好きな頃であった。
ところが今年は例年になく春の盛りが長く続き、陽の光に照り輝く花の色、そして集まってくる鳥の声は、この院の他の区画に住む夫人たちそして女房達が、源氏様のお庭はまだ盛りを過ぎないのかしらと、不思議がっているのであった。
源氏が精魂込めて造らせたこの庭は、築山の木立、中島の辺り、日がたつに従って色を増していく苔の様子などを、源氏や紫そして明石の姫などの側で働く女房達以外は、見えるのは僅かな隙間からしか見られないので一度は見てみたいと気をもんでいるのを、源氏の耳に入ったのか、ちょうど彼は船大工に頼んで唐風に仕立てた竜頭鷁首舟を造らせていたのであったが、急いで完成させて、初めて池に浮かべる進水式の日には、雅楽寮の楽人を招集して、舟楽をすることにした。その席には親王方、上達部など、大勢が招待されて六条院に集まった。
冷泉帝の后である秋好中宮は、この六条院の南西の区画にある自分の屋敷に里下りしていた。紫は去年の秋に中宮から送られたあの「心から春まつ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ(お好みで春をお待ちのお庭では、せめてわたしの方の紅葉を風のたよりにでも御覧あそばせ)」という歌の答えをこの機会にしなければと思い、源氏も、あのときに紫に、すぐに秋を誹謗するようなことをすると、竜田の神に叱られますよ、春になってから正式なお返事をしなさい、と言ったこともあり、是非この春の盛りの庭を見においでなさいませと、誘うのであった。しかし中宮という身分もあるので、それではと簡単に源氏と紫のもとに出かけて、花を鑑賞することは出来ないことは源氏も承知しているので、考えて、中宮に勤めている若い女房たちを集めて、その中から中宮が好むような女房を数人選んで、舟に乗せて、六条院を建築の時に、南西の中宮の庭の池と、南東の源氏の方の池とが、小さい築山を境界線として水面は一体にしてあるので、舟は女房達を乗せてその築山の崎から回って、東の源氏の池を漕いで釣殿の下まで来てもらった。こちら方の若い女房たちも集めて合流させた。
龍頭鷁首を、舟首に唐風に派手な装飾で仰々しく飾って、船頭として櫂こぎや棹を差す童まで唐風に、わざわざ頭髪を角髪に結って唐人風にして、広大な池の中に漕ぎ出たので、若い女房達は見知らぬ外国に来たような気分がして、素晴らしく、かって経験もしたことがないことを源氏にさせてもらったと女房達は大はしゃぎしていた。
池の中央にある大きな岩山のあたりに舟がさしかかると、川の峡谷の間を抜けるような感じで、ちょっとした立石が眼前に迫ってきて、まるで山水画の中を漕ぎ進んでいるように感じた。広い池のあちらこちらの木々の梢には霞がたちこめて、霞の中から見える木々の花が錦を張りめぐらしたようで、紫の住む屋敷の前方の池は遙か遠くに見え、色濃くなった柳が、枝を垂れている、前栽の花は何ともいえない素晴らしい匂いを漂わせていた。他所の桜はもう終わってしまったというのにここの桜は、今を盛りに咲き誇り、各建物をつなぐ渡廊に添う藤の花が紫濃く咲き初めているのであった。その美しさに負けずに池の水に姿を写している山吹は茎を伸ばして岸から落ちそうに咲いている。水鳥たちが、夫婦仲良くつがいで離れずに遊びながら、細い枝をくわえて巣ずくりに励んで、鴛鴦が池の小波の中に模様を造るようにここ彼処に点在していた。敷物か、裳の裾の模様に写し取りたいくらいで、ほんとうに斧の柄も朽ちるという昔話のように船遊びに夢中になってあっという間に一日を過ごしてしまった。女房の一人は
風吹けば波の花さへ色見えて
こや名に立てる山吹の崎
(風が吹くと波の花までが色を映して見えますが、
これが有名な近江の名所、山吹の崎でしょうか)
春の池や井手の川瀬にかよふらむ
岸の山吹そこも匂へり
(春の御殿の池は山吹の名所という山城の井出の河瀬まで通じているのでしょうか、岸の山吹が水底にまで咲いて見えますこと)
亀の上の山も尋ねじ舟のうちに
老いせぬ名をばここに残さむ
(不老不死の仙境である亀の背上にある蓬莱山まで訪ねて行く必要もありません、何時までも、この舟中に楽しんでいて、不老の評判を舟中に留めようと思う)
春の日のうららにさしてゆく舟は
棹のしづくも花ぞ散りける
(春の日のうららかな中を漕いで行く舟は、棹のしずくも花となって散ります)
などとつまらない下手くそな歌を女房達は、思い思いに詠み交わしながら、何処に行くのか何処に帰るのかも忘れてしまって、若い女房たちは心をなくしてしまう程に美しい池の景色であった。
日が暮れるころ女房達は、祝賀の開宴を告げる楽である「皇麞」の曲が流れる中を、残念ながら、舟は釣殿に漕ぎ寄せられて舟遊びは終わりになり下船しなければならなかった。女房達が降りたところの釣殿は、座敷が池の中に張り出していて、内部の拵えは見事なもので、その優雅な室内に舟から降りた中宮と紫付きの女房達がお互い負けるものかと競って華麗な衣装を纏っているから、並んで座ったその光景は絢爛と咲誇る庭の花の錦に劣るものではなかった。源氏が呼び寄せた雅楽寮の演奏家たちはまだ世間では知られていない珍しい曲を釣殿の前に臨時に設けられた平張という幕を張って拵えた臨時の演奏席で管弦を奏している。また、舞いを舞うおどりこ達は源氏が真剣に人選したもの達ばかりであるので紫が好みの踊りを心ゆくばかりに踊り舞った。
宴はそのまま夜に入ったが集まった招待客達はここで終宴にすることに満足しないので、さらに宴を続けようと、源氏は紫の御殿の前に篝火を数多く集めて焚いてその場を明るくして楽人達を集め、宴に参加した上達部や親王たちも、それぞれ得意の楽器を手にして集まり、楽人の優れたものが雙調を吹きそれに合わせて琴も加わって催馬楽の安名尊を演奏し「あなたふと 今日の尊さ や 古へも はれ 古へも かくやありけん や 今日の尊さ あはれ そこよしや 今日の尊さ」()ああ尊い 今日の尊さといったら 昔日の晴れの日も 昔日も こんな風だったのだろうか 今日の尊さ ああ 何とすばらしい 今日の尊さ)を参会した者全員が歌った。それを聞いた六条院の門の前に集まっていた客人の馬や車の世話をする下役達、それに音楽に誘われて集まった一般の人たちは笑顔で聞きほれていた。春の空に和して音は伸び伸びと響き渡り秋のそれとは格段の違いがあることをみんなが思い知ったことであらう。宴会は夜を徹して行われた。調子が替わって喜春楽になると源氏の弟の蛍兵部卿が催馬楽の青柳を折り返しておもしろおかしく歌う、源氏もそれに和して歌うのであった。
「青柳を 片糸によりて や おけや 鶯の おけや 鶯の 縫うという笠は おけや 梅の花笠や」
三月の二十日過ぎのころになると、源氏と紫が住む六条院の南東の区画は庭先の景色が美しく、春の季節が好きである源氏や紫にとっては季節の中で一番好きな頃であった。
ところが今年は例年になく春の盛りが長く続き、陽の光に照り輝く花の色、そして集まってくる鳥の声は、この院の他の区画に住む夫人たちそして女房達が、源氏様のお庭はまだ盛りを過ぎないのかしらと、不思議がっているのであった。
源氏が精魂込めて造らせたこの庭は、築山の木立、中島の辺り、日がたつに従って色を増していく苔の様子などを、源氏や紫そして明石の姫などの側で働く女房達以外は、見えるのは僅かな隙間からしか見られないので一度は見てみたいと気をもんでいるのを、源氏の耳に入ったのか、ちょうど彼は船大工に頼んで唐風に仕立てた竜頭鷁首舟を造らせていたのであったが、急いで完成させて、初めて池に浮かべる進水式の日には、雅楽寮の楽人を招集して、舟楽をすることにした。その席には親王方、上達部など、大勢が招待されて六条院に集まった。
冷泉帝の后である秋好中宮は、この六条院の南西の区画にある自分の屋敷に里下りしていた。紫は去年の秋に中宮から送られたあの「心から春まつ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ(お好みで春をお待ちのお庭では、せめてわたしの方の紅葉を風のたよりにでも御覧あそばせ)」という歌の答えをこの機会にしなければと思い、源氏も、あのときに紫に、すぐに秋を誹謗するようなことをすると、竜田の神に叱られますよ、春になってから正式なお返事をしなさい、と言ったこともあり、是非この春の盛りの庭を見においでなさいませと、誘うのであった。しかし中宮という身分もあるので、それではと簡単に源氏と紫のもとに出かけて、花を鑑賞することは出来ないことは源氏も承知しているので、考えて、中宮に勤めている若い女房たちを集めて、その中から中宮が好むような女房を数人選んで、舟に乗せて、六条院を建築の時に、南西の中宮の庭の池と、南東の源氏の方の池とが、小さい築山を境界線として水面は一体にしてあるので、舟は女房達を乗せてその築山の崎から回って、東の源氏の池を漕いで釣殿の下まで来てもらった。こちら方の若い女房たちも集めて合流させた。
龍頭鷁首を、舟首に唐風に派手な装飾で仰々しく飾って、船頭として櫂こぎや棹を差す童まで唐風に、わざわざ頭髪を角髪に結って唐人風にして、広大な池の中に漕ぎ出たので、若い女房達は見知らぬ外国に来たような気分がして、素晴らしく、かって経験もしたことがないことを源氏にさせてもらったと女房達は大はしゃぎしていた。
池の中央にある大きな岩山のあたりに舟がさしかかると、川の峡谷の間を抜けるような感じで、ちょっとした立石が眼前に迫ってきて、まるで山水画の中を漕ぎ進んでいるように感じた。広い池のあちらこちらの木々の梢には霞がたちこめて、霞の中から見える木々の花が錦を張りめぐらしたようで、紫の住む屋敷の前方の池は遙か遠くに見え、色濃くなった柳が、枝を垂れている、前栽の花は何ともいえない素晴らしい匂いを漂わせていた。他所の桜はもう終わってしまったというのにここの桜は、今を盛りに咲き誇り、各建物をつなぐ渡廊に添う藤の花が紫濃く咲き初めているのであった。その美しさに負けずに池の水に姿を写している山吹は茎を伸ばして岸から落ちそうに咲いている。水鳥たちが、夫婦仲良くつがいで離れずに遊びながら、細い枝をくわえて巣ずくりに励んで、鴛鴦が池の小波の中に模様を造るようにここ彼処に点在していた。敷物か、裳の裾の模様に写し取りたいくらいで、ほんとうに斧の柄も朽ちるという昔話のように船遊びに夢中になってあっという間に一日を過ごしてしまった。女房の一人は
風吹けば波の花さへ色見えて
こや名に立てる山吹の崎
(風が吹くと波の花までが色を映して見えますが、
これが有名な近江の名所、山吹の崎でしょうか)
春の池や井手の川瀬にかよふらむ
岸の山吹そこも匂へり
(春の御殿の池は山吹の名所という山城の井出の河瀬まで通じているのでしょうか、岸の山吹が水底にまで咲いて見えますこと)
亀の上の山も尋ねじ舟のうちに
老いせぬ名をばここに残さむ
(不老不死の仙境である亀の背上にある蓬莱山まで訪ねて行く必要もありません、何時までも、この舟中に楽しんでいて、不老の評判を舟中に留めようと思う)
春の日のうららにさしてゆく舟は
棹のしづくも花ぞ散りける
(春の日のうららかな中を漕いで行く舟は、棹のしずくも花となって散ります)
などとつまらない下手くそな歌を女房達は、思い思いに詠み交わしながら、何処に行くのか何処に帰るのかも忘れてしまって、若い女房たちは心をなくしてしまう程に美しい池の景色であった。
日が暮れるころ女房達は、祝賀の開宴を告げる楽である「皇麞」の曲が流れる中を、残念ながら、舟は釣殿に漕ぎ寄せられて舟遊びは終わりになり下船しなければならなかった。女房達が降りたところの釣殿は、座敷が池の中に張り出していて、内部の拵えは見事なもので、その優雅な室内に舟から降りた中宮と紫付きの女房達がお互い負けるものかと競って華麗な衣装を纏っているから、並んで座ったその光景は絢爛と咲誇る庭の花の錦に劣るものではなかった。源氏が呼び寄せた雅楽寮の演奏家たちはまだ世間では知られていない珍しい曲を釣殿の前に臨時に設けられた平張という幕を張って拵えた臨時の演奏席で管弦を奏している。また、舞いを舞うおどりこ達は源氏が真剣に人選したもの達ばかりであるので紫が好みの踊りを心ゆくばかりに踊り舞った。
宴はそのまま夜に入ったが集まった招待客達はここで終宴にすることに満足しないので、さらに宴を続けようと、源氏は紫の御殿の前に篝火を数多く集めて焚いてその場を明るくして楽人達を集め、宴に参加した上達部や親王たちも、それぞれ得意の楽器を手にして集まり、楽人の優れたものが雙調を吹きそれに合わせて琴も加わって催馬楽の安名尊を演奏し「あなたふと 今日の尊さ や 古へも はれ 古へも かくやありけん や 今日の尊さ あはれ そこよしや 今日の尊さ」()ああ尊い 今日の尊さといったら 昔日の晴れの日も 昔日も こんな風だったのだろうか 今日の尊さ ああ 何とすばらしい 今日の尊さ)を参会した者全員が歌った。それを聞いた六条院の門の前に集まっていた客人の馬や車の世話をする下役達、それに音楽に誘われて集まった一般の人たちは笑顔で聞きほれていた。春の空に和して音は伸び伸びと響き渡り秋のそれとは格段の違いがあることをみんなが思い知ったことであらう。宴会は夜を徹して行われた。調子が替わって喜春楽になると源氏の弟の蛍兵部卿が催馬楽の青柳を折り返しておもしろおかしく歌う、源氏もそれに和して歌うのであった。
「青柳を 片糸によりて や おけや 鶯の おけや 鶯の 縫うという笠は おけや 梅の花笠や」
作品名:私の読む「源氏物語」ー35-胡蝶 作家名:陽高慈雨