私の読む「源氏物語」ー29-薄雲
情けなく思っていた。几帳の中の紫は、正夫人として二条院の中に住むようになったはじめの頃は、こんな源氏の横になった姿を見ると、すぐに簾のところまでやってきて、だらしないお姿、体に触りますよ、と言って無理に源氏を中に引き入れようとしたのだったが、何年にもなる二人の生活の慣れと、源氏の女遊びに嫉妬してか源氏のことにあまり干渉しなくなっていた。源氏は誰にも邪魔されずにゆっくりと考えてた。
「こんなことをかんがえるなんて若い者であれば許されることであろうが、この歳なって人の妻に浮気なんてとても神仏の許されることではない。」と源氏は反省するのである。そして、 自分も恋の道は危険なものとすこしはわかってきたものだ、と苦笑した。
源氏は斎宮の母である亡き六条御息所のことを思い浮かべていた。
十七歳の源氏は五年になる葵との結婚生活に翳りがきていた。 妻の葵は四歳年上、母親は桐壺の帝の妹、父は権勢を欲しいままにしている左大臣、兄弟は大勢いるがただ一人の娘。と言うことでわがままいっぱいに育ったからか、気性が激しく源氏より年上ということが絶えず源氏と接するときに表面に現れていて、源氏は我慢が出来なかった。
結婚した当座二年近くはそれでも葵は優しかった。年上ということで源氏を弟のように優しく扱い、夜の床も自分が年上であるからと源氏を上手く導いて源氏の男性欲望をゆっくりと高揚させるのに気を配り、自分は一歩引いて男の後で達していた。それが次第に葵の心に不満になっていった。満足に満たされぬ自分の欲望と、女をいったん知った源氏の女遊びである。男は女の所に通い気持ちが合えば三日居続けると夫人となる、という風習は認めなければならないことであるが、それでも相手の女に嫉妬心が燃えてくる。葵の心には源氏の女に対する嫉妬心が芽生えてきて次第に源氏を疎んじるようになった。床を同じくする数も次第に減った、源氏が誘っても応じない夜が増えてきた。
そのころ若い殿上人たちの間で六条御息所に通うものが多くあった。彼女の和歌の知識と管絃を学ぼうとする目的よりも彼女の美しさに惹かれてであった。源氏もその中の一員で御簾の中から眺めていた御息所は源氏の秀でた美貌に惹かれていたし、源氏も亡き母の生き写しと言われる藤壺女御に母を慕う気持ちから恋心に変わりつつあったときで、同じ年代の御息所に強く惹かれるところがあった。雨の一夜御所で暇な若者が集まって色々と女の品定めをした頃に、源氏は御息所と文を交わす間柄になっていて、その文を頭中将が、女からの手紙を探す折に隠して見せなかったのであった。
寝殿の中で斎宮の女御は、源氏からの春秋問答に、知恵もないのに知ったかぶりに秋を好むと答えたことに、恥ずかしくまた源氏に心を見透かされた感じがして悔しくもあった。そんな気持ちを察することもなく源氏は、斎宮に親らしく振る舞うのがよそよそしく感じるのであった。
源氏は几帳の中の紫に
「斎宮の女御に春と秋のどちらをお好みかと問うたところ秋とお答えになった。紫が春を好むというのも私は知っているが、お二人とも正しい評価であると私は思っていますよ。
季節季節に咲く花や木々のにぎわい、それにかこつけて宴を考えているのですが、なかなか忙しい身で催しが出来ません、何とかして実現したい者と色々と計画をしていますので、今しばらく待っていてください。その間紫は手持ちぶさたで困ることと思っているのですが。」
と言いながら几帳の中に入っていった。紫は冷たい顔で源氏を迎えたのであるが、やがて二人は睦み合って横になった。紫にとっては久しぶりの源氏の温もりであり、源氏は変わらぬ紫のにおいに、先ほどまで斎宮のことを考えていたのが消し飛んでいた。
源氏はあの大堰の山里に一人住まう明石を時折考えていた。政務のことで身うごきができない身であるうえに、紫に遠慮もありなかなか大堰まで足を伸ばすことが出来ない。
「この前の時もそうであったが、明石は自分との夫婦生活がつまらないとこぼしていた。どうしてそんなことを言うのであろうか、京に移り住んで気楽な毎日を過ごしているにかかわらずもう少し上の生活をしたいと思うのは、自分がどのような出身であるのか考えてみればいい。」と明石のわがままな言葉に源氏は少し腹立たしく感じることもあるのだが、それでもあの山里に放っておいて悪いとも思い明石をかわいそうな境遇に置いていると、いつもの言い訳の念仏堂に出かけると紫に言って明石の許に出かけた。
明石は住み慣れてしまえば山里の寂しいところであるとはいえそれなりに趣もあり、雰囲気にとけ込んでいた。しかし源氏が来訪しいつもながらの端正な姿を見ると、つい、愚痴が先に出てしまう。源氏も山里に住まわせたまま娘を取り上げてしまい、彼女も寂しいことである、どういうふうにして彼女の心を慰めればいいかと明石を胸に抱きしめて考えていた。表を脱いで軽い姿になった二人は抱きしめ合って互いの温もりを身に受けながら次第に感情が高ぶっていった。
抱き合って見ている庭の木々の間から大堰川の鵜飼いの篝火がちらちらと見え、あたかも庭の遣り水に蛍が漂っているように見えた。源氏は、
「このような川辺の住まいになれていなければ、この光景は珍しいものと感じることであろう」と明石の耳元でささやくと、明石は、
漁りせし影忘られぬ篝火は
身の浮舟や慕ひ来にけむ
(篝火を見ながら、あの明石の浦の漁り火を思い出しているのは、私の憂さを慕って浮き船がやってきたのでしょうか)
私のつらい気持ちは少しもよくなっていません」
聞いて源氏は
浅からぬしたの思ひを知らねばや
なほ篝火の影は騒げる
(深く深く愛している私の気持ちを察してくれないから、あなたの心はあの篝火のようにゆらゆらと動いているのです)
私は世の中はつらいものと誰から教えて貰ったのでしょう」
自分の心を素直に明石に告げた。
秋の夜は静かに更けていく、単衣のままでは肌寒いのであるが、二人の燃える心は感じない。明石は久しぶりの床で燃えたぎった気持ちを源氏にぶっつけた。何回も何回も源氏を攻め立てて自分もその都度体を震わして絶頂に達した。
源氏は仏への感謝の祈りを続けたのでいつもよりも長く明石の許に滞在して、毎夜明石が満足いくまで慰めたので、明石の気持ちもやっと平静に戻ってきたようであった。
(薄雲終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」ー29-薄雲 作家名:陽高慈雨