私の読む「源氏物語」ー28-朝顔
朝 顔
朝顔というのは後ほど源氏が名付けたのである。亡くなった源氏の父親の桐壺院の弟で桃園式部卿の娘であり、朱雀帝に交代したときに加茂の斎宮に選ばれて斎宮となった。源氏とさほど歳の違いがなかったので、源氏は例によって彼の女好きで、この娘にもたびたび文を送って何とかしようとしていた。斎宮になっても彼女が神に仕える身であると知りながらも、たびたび恋文を送っていた。源氏は秘密のうちに文を送っていたと思っているが、文を運ぶ小者、受け取る女房世間には簡単に漏れるもので、当時はもう嘗ての勢いを失っていた源氏には、神につかえる斎宮に、なんて不謹慎な行動をするものだと、非難する声や源氏を排斥しようとする宮中の動きもそろそろ起こり始め、源氏が須磨へ流浪する原因の一つにもなったのである。
そんなことを何とも考えない源氏の女に対する執着心から、、斎宮の父桃園式部卿が亡くなられ、斎宮職を退き、桐壺院の妹である五の宮が一人住まいをしている屋敷に下がり、住んでいた朝顔の許に源氏はしきりに文を送った。斎宮はそれがたまらなく面倒であったので、ろくろく返事もしなかった。源氏はそんな斎宮の源氏に対する態度がたまらなく悔しく思っていた。
九月になって、源氏は斎宮が源氏の叔母である五の宮の住まいである桃園の宮に移られたことを知り、叔母をだしにして桃園宮を訪問して斎宮に会おうと考えた。女のことに関してはまめな性格ですぐさま五の宮訪問に出かけた。亡き源氏の父桐壺院が生前この五の宮を可愛がっておられたので、源氏たち兄弟も大変親しく交際していたし、院には内親王が少ないので五の宮と斎宮は大変親しかった。そのようなことから斎宮は一人住まいを嫌って五の宮の桃園の宮へと移ったのであった。二人はそれぞれ寝殿の東西に別れて暮らすことにした。かってのここの主である桃園式部卿が亡くなられて、屋敷は何となく荒れたような感じであった。訪れた源氏はそんな屋敷の雰囲気に寂しさを感じた。
源氏は早く斎宮に会いたいという心を抑えて、まず、五の宮のご機嫌伺いに宮の前に伺候した。
五の宮と御簾を隔てて久しぶりに対面する。話は亡き桐壺院のことが主に語られた。源氏は五の宮がお歳をとられたなと彼女のかすれるような声や、時々老人特有の咳き込みで感じた。源氏の亡き妻葵の母は今目の前に座り話している宮の姉に当たる三の宮であるが、歳をとってもこのように元気でありたいと羨望するほど元気であるに比べ、歳下の五の宮は同じ姉妹であるのにどうしてと思うほど声が太く、風流でなく、気安く物が言えるような感じではあるが、宮としてそれなりの気品があった。
五の宮は源氏に
「桐壺院の兄が亡くなられ世の中が悲しくなり涙を流す日を送って参りましたところ、追い打ちをかけるようにこの屋敷の式部卿が亡くなられて私を捨ててあの世に行かれてしまわれました。本当に私はこのままでは生きていく望みを亡くしてしまっておりましたところへ、あなた様の訪れを戴き生きる力が湧いて参りました。この世のつらいことを忘れてしまうことが出来ました。本当にありがとう」
源氏は言葉を改めて五の宮に語りかけた、
「桐壺院がお亡くなりになり、世の中が変わりまして、何かと私につらい日が訪れ、その結果思わぬ罪に陥れられて須磨明石に流浪する日が続きました。このまま我が命果てるかと思っておりましたところ、神の加護か偶然にも都に呼び戻され、再び朝廷に上がることが許されました。それとともにもとの官位を戴き、自由になる暇がなく忙しく政務に明け暮れ、こちらへのご挨拶が遅れました。」
「院が亡くなられてからは世の中が急に変わってしまって、どう過ごして良いか心が定まらずに今日まで過ごしました、生きながらえているのが自分ながら恨めしく思っています。そのような中に貴方が無事に都に戻られて、あのまま貴方が都を去ってしまたままで私が果ててしまったら本当に悔しく思えたことでしょう」
と五の宮は声を出して泣きわななく。しばらく顔を押さえていたが、
「それにしても貴方は、少しも衰えることなく美しくお歳をおとりになりましたね。まだ童であった頃初めてお会いして、世の中にこのように輝く美しい子供がいたのか、大変驚かされました。それから後時々お会いするたびにますます美しく成長される姿を神からの授かりものではないかと思っておりました。冷泉帝と貴方と本当によく似ているとよく知る方々が言ってますが、それでも貴方の方が勝ると私は思っております。」
女の方にとっては少し長い言葉であるのを、聞いていた源氏は、
「こんなに面と向かって褒めちぎられてはたまらない」
と心がかゆくなった。
「須磨・明石と流離っておりまして、あれこれと心を痛めた後のことであります、大変疲れ果てております。帝のお顔立ちはとうてい世の人と並ぶことが出来ないほど優れておられます。私ごとき者と比べることなどなさらないでくださいませ。」
「こうして時々お会いすることが出来れば、頼りない命も長らえることが出来ますでしょう。今日は貴方にお会いできて、老いを忘れ、世の中の苦しみも何処かへ行ってしまいました」
五の宮はまた涙を流す。そして、
「姉様、三の宮がとても羨ましく思っています。お孫さんである貴方のお子を毎日お育てになっておられ、それで貴方とも時々お会いすることが出来る、私は羨ましくてしょうがありません。亡くなった式部の宮も、せめて娘を同じように貴方に沿わせておれば、孫も出来たことであろうと、悔やんでおられました。」
最後の一言が源氏の胸を打った。
「そのように仰せでしたならば、今少し親しくさせていただきたかったものです。今からではもう遅うございます」
源氏は少し恨みがましく答えた。
源氏は寝殿前の庭に生い茂る草花が、少し枯れ始めているのを、それでもこれも一つの眺めであると見ていた。好む右傾をあちらにいる斎宮がどのように見ているか、と想像すると会いたい気持ちがいよいよ高くなってきた。我慢が出来なくなって、
「こちらへご挨拶に上がって、斎宮の宮にご挨拶をしないと言うことは、何となく不作法にも思われますので、これから少しあちらの方へご機嫌伺いに参上いたします。」
と言って五の宮の前を去り簀の子を渡って寝殿の西方へ向かった。
外は暗くなってきたが、まだ喪が明けないので濃い鼠色の御簾を下げ、黒い几帳を巡らした中に斎宮の宮はおられ微かに見えるその姿が哀れなところに庭からの風が何となくなまめかしく吹き込んでいる。
簀の子の上では失礼であると、源氏を廂の間に招じ入れて几帳御簾越しに斎宮は源氏と対面した。
斎宮付きの女房宣旨が源氏の前に座り、源氏の言葉を伝える役になった。その応対の仕方を見て源氏は、
「なんと若い者とお会いになるようなことをなさいますね。このように御簾を隔てて、しかも即答ではなく女房を中にして。貴方とはもう何年も前からの文を交えてのおつきあいです、そんな私に御簾越しとはいかがなものでしょうか。」
とやんわりと不満の気持ちを言う。斎宮は宣旨の女房を通じて、
朝顔というのは後ほど源氏が名付けたのである。亡くなった源氏の父親の桐壺院の弟で桃園式部卿の娘であり、朱雀帝に交代したときに加茂の斎宮に選ばれて斎宮となった。源氏とさほど歳の違いがなかったので、源氏は例によって彼の女好きで、この娘にもたびたび文を送って何とかしようとしていた。斎宮になっても彼女が神に仕える身であると知りながらも、たびたび恋文を送っていた。源氏は秘密のうちに文を送っていたと思っているが、文を運ぶ小者、受け取る女房世間には簡単に漏れるもので、当時はもう嘗ての勢いを失っていた源氏には、神につかえる斎宮に、なんて不謹慎な行動をするものだと、非難する声や源氏を排斥しようとする宮中の動きもそろそろ起こり始め、源氏が須磨へ流浪する原因の一つにもなったのである。
そんなことを何とも考えない源氏の女に対する執着心から、、斎宮の父桃園式部卿が亡くなられ、斎宮職を退き、桐壺院の妹である五の宮が一人住まいをしている屋敷に下がり、住んでいた朝顔の許に源氏はしきりに文を送った。斎宮はそれがたまらなく面倒であったので、ろくろく返事もしなかった。源氏はそんな斎宮の源氏に対する態度がたまらなく悔しく思っていた。
九月になって、源氏は斎宮が源氏の叔母である五の宮の住まいである桃園の宮に移られたことを知り、叔母をだしにして桃園宮を訪問して斎宮に会おうと考えた。女のことに関してはまめな性格ですぐさま五の宮訪問に出かけた。亡き源氏の父桐壺院が生前この五の宮を可愛がっておられたので、源氏たち兄弟も大変親しく交際していたし、院には内親王が少ないので五の宮と斎宮は大変親しかった。そのようなことから斎宮は一人住まいを嫌って五の宮の桃園の宮へと移ったのであった。二人はそれぞれ寝殿の東西に別れて暮らすことにした。かってのここの主である桃園式部卿が亡くなられて、屋敷は何となく荒れたような感じであった。訪れた源氏はそんな屋敷の雰囲気に寂しさを感じた。
源氏は早く斎宮に会いたいという心を抑えて、まず、五の宮のご機嫌伺いに宮の前に伺候した。
五の宮と御簾を隔てて久しぶりに対面する。話は亡き桐壺院のことが主に語られた。源氏は五の宮がお歳をとられたなと彼女のかすれるような声や、時々老人特有の咳き込みで感じた。源氏の亡き妻葵の母は今目の前に座り話している宮の姉に当たる三の宮であるが、歳をとってもこのように元気でありたいと羨望するほど元気であるに比べ、歳下の五の宮は同じ姉妹であるのにどうしてと思うほど声が太く、風流でなく、気安く物が言えるような感じではあるが、宮としてそれなりの気品があった。
五の宮は源氏に
「桐壺院の兄が亡くなられ世の中が悲しくなり涙を流す日を送って参りましたところ、追い打ちをかけるようにこの屋敷の式部卿が亡くなられて私を捨ててあの世に行かれてしまわれました。本当に私はこのままでは生きていく望みを亡くしてしまっておりましたところへ、あなた様の訪れを戴き生きる力が湧いて参りました。この世のつらいことを忘れてしまうことが出来ました。本当にありがとう」
源氏は言葉を改めて五の宮に語りかけた、
「桐壺院がお亡くなりになり、世の中が変わりまして、何かと私につらい日が訪れ、その結果思わぬ罪に陥れられて須磨明石に流浪する日が続きました。このまま我が命果てるかと思っておりましたところ、神の加護か偶然にも都に呼び戻され、再び朝廷に上がることが許されました。それとともにもとの官位を戴き、自由になる暇がなく忙しく政務に明け暮れ、こちらへのご挨拶が遅れました。」
「院が亡くなられてからは世の中が急に変わってしまって、どう過ごして良いか心が定まらずに今日まで過ごしました、生きながらえているのが自分ながら恨めしく思っています。そのような中に貴方が無事に都に戻られて、あのまま貴方が都を去ってしまたままで私が果ててしまったら本当に悔しく思えたことでしょう」
と五の宮は声を出して泣きわななく。しばらく顔を押さえていたが、
「それにしても貴方は、少しも衰えることなく美しくお歳をおとりになりましたね。まだ童であった頃初めてお会いして、世の中にこのように輝く美しい子供がいたのか、大変驚かされました。それから後時々お会いするたびにますます美しく成長される姿を神からの授かりものではないかと思っておりました。冷泉帝と貴方と本当によく似ているとよく知る方々が言ってますが、それでも貴方の方が勝ると私は思っております。」
女の方にとっては少し長い言葉であるのを、聞いていた源氏は、
「こんなに面と向かって褒めちぎられてはたまらない」
と心がかゆくなった。
「須磨・明石と流離っておりまして、あれこれと心を痛めた後のことであります、大変疲れ果てております。帝のお顔立ちはとうてい世の人と並ぶことが出来ないほど優れておられます。私ごとき者と比べることなどなさらないでくださいませ。」
「こうして時々お会いすることが出来れば、頼りない命も長らえることが出来ますでしょう。今日は貴方にお会いできて、老いを忘れ、世の中の苦しみも何処かへ行ってしまいました」
五の宮はまた涙を流す。そして、
「姉様、三の宮がとても羨ましく思っています。お孫さんである貴方のお子を毎日お育てになっておられ、それで貴方とも時々お会いすることが出来る、私は羨ましくてしょうがありません。亡くなった式部の宮も、せめて娘を同じように貴方に沿わせておれば、孫も出来たことであろうと、悔やんでおられました。」
最後の一言が源氏の胸を打った。
「そのように仰せでしたならば、今少し親しくさせていただきたかったものです。今からではもう遅うございます」
源氏は少し恨みがましく答えた。
源氏は寝殿前の庭に生い茂る草花が、少し枯れ始めているのを、それでもこれも一つの眺めであると見ていた。好む右傾をあちらにいる斎宮がどのように見ているか、と想像すると会いたい気持ちがいよいよ高くなってきた。我慢が出来なくなって、
「こちらへご挨拶に上がって、斎宮の宮にご挨拶をしないと言うことは、何となく不作法にも思われますので、これから少しあちらの方へご機嫌伺いに参上いたします。」
と言って五の宮の前を去り簀の子を渡って寝殿の西方へ向かった。
外は暗くなってきたが、まだ喪が明けないので濃い鼠色の御簾を下げ、黒い几帳を巡らした中に斎宮の宮はおられ微かに見えるその姿が哀れなところに庭からの風が何となくなまめかしく吹き込んでいる。
簀の子の上では失礼であると、源氏を廂の間に招じ入れて几帳御簾越しに斎宮は源氏と対面した。
斎宮付きの女房宣旨が源氏の前に座り、源氏の言葉を伝える役になった。その応対の仕方を見て源氏は、
「なんと若い者とお会いになるようなことをなさいますね。このように御簾を隔てて、しかも即答ではなく女房を中にして。貴方とはもう何年も前からの文を交えてのおつきあいです、そんな私に御簾越しとはいかがなものでしょうか。」
とやんわりと不満の気持ちを言う。斎宮は宣旨の女房を通じて、
作品名:私の読む「源氏物語」ー28-朝顔 作家名:陽高慈雨