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私の読む「源氏物語」ー25-関屋

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関 屋

 先に空蝉の巻で紹介したように源氏がどうしても思いが遂げられなかった女で、源氏の部下の紀伊守の父である伊予介の後妻である空蝉のことを述べたのであるが、この伊予介
が源氏の父である桐壺院が亡くなられてしばらくして常陸の国の介となって都から任地に向かうことになった。当然のことに妻である空蝉は同行した。源氏は二九歳になっていたころで、二人は源氏が罪を得て須磨に流れたことを聞いていた。このことはとても気になっていたのであるがどう尋ねてよいのか分からないまま任地に向かって行った。
 任地の常陸の国では「甲斐が嶺を嶺越し山越し吹く風を人にもがもや言づてやらむ」(甲斐の山を嶺を越え山を越えて吹く風が人であって欲しいものだ。そうすれば便りを託して送ろうと思うから)と古今集東歌にある歌の甲斐の嶺を筑波の嶺に置き換えて筑波山から吹いてくる風も当てにならないと、源氏の噂もここまでは届かないで年月が重なっていった。何時までの任期であるという定めはなかったのであるが、幸いに任期を終えて京に帰れるようになって二人は常陸の国を離れた。それは前作の澪標の後半頃に当たる。

 常陸から帰る空蝉の一行が逢坂の関を越える頃、源氏は石山寺に参るためにこの関にさしかかっていた。京から空蝉一行を迎えに来ていた紀伊の守達が、源氏が石山寺に参るのでまもなく関にさしかかると聞いて明け方より空蝉達を急がせるのであるが、女車が多く、また道も狭いので急いだのではあるが日が高く昇ってしまった。
 打出浜に到着すると
「源氏様は栗田山を越えられました」
 との知らせが来た。まもなく源氏一行と鉢合わせになると紀伊の守達は関山で車や馬から下りてここ彼処の木の下に牛を車の轅、軛からはずして榻という台に乗せて車を平行にして止めて源氏一行の通り過ぎるのを見送ることにした。それでも車の数が多いのですべてを隠すことが出来ず、源氏の目にとまってしまった。
 源氏の目にとまってしまった車は十台ばかり、どの車からも派手な衣装の袖口が覗いているのを源氏は去る日斎宮の禊ぎ日を思いだしていた。常陸の介の一行も源氏の勢いのある行列を熱心に眺めて拝礼していた。  

 九月も終わりの日であるので山の紅葉は色々な色でそこら中を染めていた、草むらは枯れてしまって黄色くなっている。そんな中の関守の屋敷からさっと何人か出てきた旅姿の者達が着ている色鮮やかな似合った織物、絞り染めの色合いも相応なものと見うけられた。源氏は既にむこうの一行が空蝉たちであることは知っていた。車には御簾をおろし今は右衛門佐となっているかっての童小君を呼び寄せた。小君は空蝉の弟であった。
「京の関所での迎えは、お前の姉は私をかっての時のように無視することはあるまいな」と念を押す彼の心の内は、夜這いして忍び込んで見事に空蝉に逃げられた、あの夜のことを残念に思うのではあるが、通り一遍のことでは済ませることができない。空蝉も相手が源氏であることを知ると人に言えない昔のことがしのばれて取り返しが付かないながらも懐かしい。

 行くと来とせき止めがたき涙をや
     絶えぬ清水と人は見るらむ
(行く人と来る人の逢坂の関で、せきとめがたく流れるわたしの涙を、絶えず流れる関の清水と人は見るでしょう)
 あの方には分かって貰えまい」

 と淋しく詠うと、甲斐のないことだと思う。


 源氏が石山寺を参詣し終えて京に向かって出発しようとしているところへ、小君と言った右衛門佐が来て、源氏のお供もしないで姉の迎えに行ったことを詫びた。小君を昔は源氏が可愛がっていたのであって、元服するまで源氏の許に仕えていたのであった。源氏が色々と訳があって京を去ることになったときに、人から色々と言われて姉に従って常陸の国に下っていたのであった。源氏はそのことに少しは気に触れることがあったが顔には出さず、昔ほどではないがまだ自分の下仕として考えていた。 
 紀伊の守というのもかっては自分の家来であって、伊予の介から常陸の守となった今帰任する者の息子であった。空蝉は常陸の守の後妻である。右近将監という者は源氏が罪を得て須磨に下がるときに共に職を捨てて同行したため、現在は源氏の復帰と供に位を得て晴れ晴れしく仕えている、その兄に当たるのが紀伊の守現在は河内の守で、
「どうして世間の噂を気にして」源氏を裏切るような行動をしたのだろう」と自分の情けない行動を反省していた。

 昔の小君、右衛門佐を呼び寄せて空蝉に文を届けさせた。
「未だに源氏様は姉を慕っておられるのだ」 と右衛門佐は思った。
 源氏は、
「貴女と私は一日だけでも結ばれた仲であります。これも前世からの因縁と思われませんか、
 わくらばに行き逢ふ道を頼みしも
  なほかひなしや潮ならぬ海    
(偶然に逢坂の関でお逢いしたことに期待を寄せていましたが、それも効ありませんね、やはり潮海でない淡海だからでしょうか)
 貴女のお抱えの関守が羨ましくまた忠実なのには驚いています」
 右衛門佐に手紙をことづけ源氏は、
「お前の手引きで夜這いをした折から長い時間がたってるが、未だにお前の姉の空蝉を想う心は変わってはいないよ。こんなことを言うとまたお前の姉に憎まれそうだな」
 文を手渡した。右衛門佐はありがたく戴いて姉の許に持っていった。
「姉上、お読みになってお返事をしてくださいませ。源氏様には以前少し間を置いていましたが、そのようなことを気も留めずに依然と変わらず声を掛けてくださいました、有り難いことです。女をくどく手紙などを持っていくのは嫌なことでありますが、どうか素直なお気持ちで返事を書いてくださいませ。女という弱い身でありますから返事を差し上げても人は何とも言いませんでしょう。」
 弟の右衛門佐は姉の空蝉にくどくどという。空蝉は昔のことを思いだして恥ずかしい気持ちで一杯であるが、もう歳もとったことだし懐かしい気持ちもあって、

 逢坂の関やいかなる関なれば
    しげき嘆きの仲を分くらむ
(逢坂の関は、いったいどのような関なのでしょうか、こんなに深い嘆きを起こさせ、人の仲を分けるのでしょう)
 夢を見ているような気持ちで居ます」

 と返事を託した。
 せっかくの夜這いで上手く逃げられたりして源氏には悲しく辛い思い出の人であったのであるが、その後も忘れることなく時々文を送ったりなどした。

 常陸守一行が京に帰ってしばらくして、常陸守は老齢もあって病がちになった。気も弱くなって子供を側に呼んでは妻の空蝉のことをよろしくと、 
「全てのことはこの空蝉の思うようにしてあげなさい、私が生きていたときと同じように母を大切にして毎日を送るように」
 と子供にとっては継母である空蝉のことばかりを頼んでいた。空蝉は、
「この辛い世の中にあって夫に取り残されてしまい、どのような困難なことが先に待っているのであろうか」
 と夫に嘆くのを
「命というものは限りがあるものであるから、惜しんで止めることは出来るものではない。何とかして空蝉のために自分の魂だけでもこの世に置いておければいいのだが、子供達の気持ちは分からないことばかりであるし」