私の読む「源氏物語」ー23-澪標
源氏はこの住吉の浜に明石の君が参拝に来ていたことは全然知らなかった。一晩中色々な催しを開いて、神への捧げ物を出し尽くした。年来の源氏の願掛けが無事に成就したお礼にと存分に社頭で踊り狂って一夜を明かした。
惟光などという源氏と辛苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光が詠う、
住吉の松こそものはかなしけれ
神代のことをかけて思へば
(住吉の松を見るにつけ感慨無量です、
昔のことがを忘れられずに思われますので)
聞いていて源氏はもっともなことだと思い、
荒かりし波のまよひに住吉の
神をばかけて忘れやはする
(あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に、念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ)
御利益がありました。
と応えること実におめでたいことであった。
源氏は供の者から、明石の君が住吉詣でで浜まで来たのだが、自分の一行の多さと騒がしさで上陸することをあきらめて、難波に去ってしまった。・ということを聞くと、
「知らなかったことよ」と明石の君が気の毒にさぞかし気分を害していることだろうと思う。住吉の神の霊験が豊かなことを考えてみても簡単に済ませるわけにはいくまいと、
「文でも送って彼女の気を穏やかに静めないと、色々と詮索することであろう」
源氏は参拝も終わり住吉社を帰途に向けて出発した。各地の名所をめぐって丁度七瀬の祓いの日に当たり、難波の浜でその日に因んでお祓いをする。七瀬の祓いとは宮中で毎月または臨時に、吉日を卜して行われた陰陽道の祓で、天皇の身の上を潔めるために、代りの人形を河合・一条・土御門・近衛・中御門・大炊御門・二条の七瀬(賀茂七瀬)に、七人の勅使が持って行って流した、行事のことである。門から悪霊が宮中に忍び込まないようにすることであった。
源氏は難波の港近くの堀江にさしかかった際に、明石の舟が難波の港に一泊したことを思い、
「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ」という後撰集の中の歌を一人つぶやいていた。それを側に供奉する惟光が聞いたのであろう、こんなこともあろうと懐にしていた矢立を取り出して、車を止めて港を眺めている源氏に、畳紙と共に差し出した。「良く気が付くことよ」と源氏は感心しながら、
みをつくし恋ふるしるしにここまでも
めぐり逢ひけるえには深しな
(身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここでめぐり逢えたとは、縁は深いのですね)
と認めると、明石の君を良く知る者を使いとして歌を届けさせた。お供の者と馬を並べて港から離れて行くに連れて、源氏は心は明石のことばかりで、たった一つの歌ばかりではと彼女が愛おしくて涙を流していた。
日暮れ方になって使いの者が帰ってきて明石の君の返歌を源氏に差し出した。
数ならで難波のこともかひなきに
などみをつくし思ひそめけむ
(とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに、どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう)
「難波潟潮満ちくればあま衣、田蓑の島にたづ立ちわたる」神楽歌。
「 雨により田蓑の島をけふ行けど名にはかくれぬものにぞありける」古今集 紀貫之
の歌で有名な田蓑の島で禊ぎをして、戴いたお札を添えてあった。
夕べの潮が満ちてきて神楽歌のようにたづ鳥が大声で泣きわめいているのを聞いていると源氏は無性に明石の君に会いたくなった。
露けさの昔に似たる旅衣
田蓑の島の名には隠れず
(涙に濡れる旅の衣は、昔、海浜を流浪した時と同じようだ
田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので)
道すがら名所を尋ねたり、奏楽を盛んに楽しんだりはするが、心の中は明石の君恋しで一杯であった。処の遊女達が薄着を纏って媚びをふりながら多数集まるが、公卿達は賑やかに迎えてこれ見よがしの男女の遊びに耽るのであるが、源氏はそんな若い者の騒ぎを見てはいなかった。
「恋というのは、風流なことも、しみじみとした情趣、どれも相手によることである。普通の恋でさえ少し浮ついたものは心にとまることがない」と思い、遊女達と男をあらわにして絡み合っているのが、何となく疎ましく思えるのであった。
明石の君は源氏がこの地を立ち去ったと聞いて翌日が吉日だったので住吉参りをする。身分相応の供え物を捧げて願ほどきを済ませた。これはこれでほっとしたのであるが、彼女は思いもかけない源氏の参詣に遭遇して自分の運命を知り、そのことで朝夕と今度は自分の身を嘆くのであった。
源氏がまだ京には到着しないだろうと思うような日に源氏の使いが尋ねてきた。使者の言うには源氏が最近の内に彼女を京へ迎えるとのことであった。明石の君は、
「大変ご立派な言葉で私を一人前に扱われると言われるが、明石を離れてまた中途半端な立場になるのではないだろうか」
と考え込んでしまった。
相談を受けた父親の入道も、さて娘を都に送り出そうか、娘をこのまま明石に留め置くのはどうも源氏に対してあとの事が気にかかる。このまま明石で埋もれた生活をするのもまた、気をもませられることである。あれこれ考えると決心が付きにくいと返事をした。
ところで、朱雀帝から冷泉帝に御代変わりをしたので当然伊勢の斎宮も交代になって、六年ぶりに六条御息所と娘の斎宮は京に戻っていた。源氏は昔に変わらずに御息所を訪問してはあれこれと援助をしていたのである。
御息所は源氏の心を有り難く思ってはいるのだが、「昔もつれないお方であった。この際にお逢いすることは、また昔の苦しみを味わうことになる」と考えて源氏が訪れても会おうとはしなかった。源氏もそんな彼女の心を察して六条を訪ねることはだんだんと少なくなり遂には止めてしまった。
あまり強引に御息所の気を変えようとしても、自分がこの先彼女に対する気持ちが変わるかもしれないと思うと煩わしくなり、進んで訪問することはなかった。しかし、娘の斎宮に源氏は「どんなに成人したか」と逢いたい気持ちが強かった。
御息所は娘と共に源氏がかっての旧宅を綺麗に修理してあげたので、優雅に暮らしていた。奥ゆかしい様は昔の通りで、昔からの良い音楽文学仲間、女房も多く集まってきて、淋しい暮らしのようであるが心を慰めることが出来て穏やかに過ごしていたのであるが、急に重い病にかかり気細くなって、彼女は自分が斎宮に付き添って伊勢神宮へ下り、仏道から離れた生活であった、その上源氏との愛情のもつれなどを考えると、罪深いと思い仏門に入り尼となった。
源氏は御息所が病のために仏門に入ったことを聞くと、今はもう男と女の関係ではなくなったが、やはり何かといえば恰好なお話相手になるお方と思っていたから、尼になられたことが非常に残念に思い急いで六条の屋敷へ見舞いに出向いていった。
御簾の中で脇息に寄りかかって彼の見舞いの言葉を聞いていたが、いかにも病に弱り果てている姿の御息所を見て、
「私の貴女への愛する心は昔とまったく変わっていない、ということを分かって貰えるだろうか」と、御息所の弱り果てた姿を見て源氏は泣き崩れるのであった。
作品名:私の読む「源氏物語」ー23-澪標 作家名:陽高慈雨