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私の読む「源氏物語」ー22-

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澪 標 みをつくし

 源氏が明石の館ではっきりと見た父院の夢の後は、父院のことが心の片隅に残っていて、夢のなかではっきりと言われた、「私は、帝に在位中、自分では過失はなかったと確信しているが、それでも私が感じない罪があったと思う」と嘆いておられたことを思いだして、このように自分は無事に京に帰れたからは急いで父の菩提を弔うことにした。その為神無月に法華経八巻を朝座・夕座に一巻ずつ四日間に八人の講師により読誦・供養する八講会を開くことにした。桐壺帝の頃と同じように大勢の人が集まってきて盛大だった。
 弘徽殿の大后は病気が重かったがそれでも、「とうとうこの源氏を消し去ることが出来なかった」と煮えくりかえる心の中であったが、思いを訴え出る子供である朱雀帝は、父院の遺言を固く守ろうと決めていた。もしかするとこの処置の報いで自分が困ることがあるかも知れないと思うのではあるが、源氏を失職前の位に復帰させたことで、気分が良くなりすがすがしい気持ちになった。時々激しい発作に犯されて悩んでいた眼病も何となく治ったようになって気分も爽やかなのであるが、「私はもう長くはあるまい、淋しいことよ」と、自分の命がそう長くないと思いながら源氏を呼び出し源氏はお召しがあればすぐさまに参上していた。朱雀帝は源氏に政治向きのことを隠すことなく全てを相談するのである、
それが本来あるべきさま二人の間柄であると、大方の人達はよそながら嬉しいことであると喜んでいた。

 朱雀帝が春宮に譲位しようと決心したことが確実になってくると、一番のお気に入りの女である朧月夜が譲位された後の身の上を悲しがるのを帝はとても不憫なと思わずにはいられなかった。 
 「右大臣は亡くなられ、弘徽殿大宮も病気が重いということで、私は自分の命も残り少ないと思っています。そうなると貴女は今までとは違った環境に置かれることになるでしょう。前々から貴女はわたしのことを源氏より軽るく感じていらっしゃるが、わたし自身の貴女に対する気持は一貫して誰にも劣るものではないのですから、貴女のことだけを一心に愛し続けてきたのです。この後貴女が源氏に望みをかけられても、彼の貴女への愛情は私ほどではないと思うと悔しくてならないのです。」
 と朱雀帝は朧月夜の前で泣き崩れるのであった。
 聞いていた朧月夜は顔を紅潮させ何とも言えない愛嬌のある顔で涙を流していた。それを見た帝はこの女がどんな罪を犯そうと許してしまうだろうと愛情深く可愛い女と見ていた。
 「どうして二人の間に子供が出来なかったのだろう。本当にそれが悔しい。前世からの契りが深いか浅いかによって子供が授かると言うが、貴女と縁が深いあの人の子供であれば子供が生まれたことであろう、それを思うと余計に悔しい。もしそうなればあの人は皇族を離れた普通の人であるからその子供も普通の身分で育てなさることになろうよ」
 と先々のことまで悔しそうに言われるので、聞いている朧月夜は恥ずかしくも悲しくもなる。彼女は心の中で、帝は容姿端麗であるし親しく身を任せて年月もたつ内に愛情も細やかになり、私を大切に扱っていただいている、源氏様は素晴らしい方であるが帝ほど私を愛してくださらなかった、そんなことが次第に分かってくると朧月夜は、「どうして未熟な時にあの方と関係してしまってしかもそれが大きな事件となり、私も源氏様も世間から非難を受けることになってしまった」と彼女は昔を思い出して辛い思いをしていた。

 あくる年、源氏二十九歳、春二月に春宮は元服した。
 春宮は十一歳になった。それでも年のわりに大柄で、大人びて美しく源氏大納言と生き写しのようによく似ていて、二人で眩いほど輝きあって世間はご立派なことでと言う評判であるが、母親の藤壺は源氏のこともあって、心を痛めていた。
 朱雀帝もこの春宮や補佐をする源氏を見て、これで大丈夫だと譲位のことを、優しく春宮に話された。
 同じ月の二十日過ぎに譲位のことを実行しようということになり、あまりの急なことで弘徽殿大后は驚いたが、
「これからは力のない立場になりますが、、気分を一新してこれからは母上と共に生きていこうと思いいます」
 と言って朱雀帝は母の弘徽殿を慰めた。

 東宮坊には承香殿の産んだ皇子が決まった。天皇が替わると世の中も変わり一変して華やかになった。源氏大納言は内大臣に昇進した。左右大臣は各一名づつなので左も右も塞がっていたので、大臣になる余裕がなかったので内大臣ということで大臣の席に連なるようにされたのであった。
 やがては太政大臣として天皇の摂政となり政治に携わることになるのであるが、「そのような激しい職にはとうてい絶えられません」と言って源氏は葵の父の左大臣がその職から退任しようとするのをそのまま続けられるように職務を譲ろうとしたが、退任希望の左大臣は、
「病気になって退職しようとしているこの老いぼれに、これからも続けよと言われてもとても職務が勤まりますまい」
 と言って承知をしない。
 唐の国でも異変が起きて国のなかが治まらないときには、山奥に隠棲した者であっても平和な世にするためには白髪を恥じずに政治に携わるという。そういう人を真の聖人と言って称えるのである。源氏のこともあり、しばらくの間引きも持っていて、今自由になった人が、病で退陣するというどうであろうか、戻って元の位に服して政務を執られても何の咎めがあるものか。というみなさんの意見が通って葵の父左大臣は退陣なさらずに太政大臣になった。歳は六十三歳の高齢である。
  
 世の中は朱雀帝の時代となり母親の弘徽殿大后が勢力を持ち、その父親の右大臣の世となって、亡き桐壺院の勢力が衰え、また源氏は帝の女であった朧月夜との密会がばれて須磨へ都落ちし、あれこれと左大臣の周りはすざましい変化であった。それで彼は引き籠もってしまい政治の表面から姿を消した。
 今回帝の交代、源氏が再び政界に復帰したことにより左大臣一派の勢いが昔のようになり、それまで沈んだようになっていた子供達も皆政界に浮かび上がることが出来た。なかでも息子の頭中将は権中納言に昇進した。弘徽殿大后の妹の四の君を北の方にしてその娘が十二歳になるのを大切に育てていずれは内裏にあげて天皇の側室になるようにと願っている。源氏が須磨に行く前に屋敷で開いた韻塞ぎ勝負の後での宴会で「高砂」を謡った同じ四の君腹の二郎君
も元服をすませて、思うままの生活を送っている。中将の夫人の方々の子供が多くて一家が賑やかなのを源氏は恨めしく眺めていた。