私の読む「源氏物語」ー20-
明 石
三月一日は巳の日であるからこの日に禊ぎをすると心労が休まる、という供の者の進言を源氏は受けて須磨の海岸に出て、陰陽師を呼んで祈祷の最中に大嵐がやってきた、その嵐は依然として治まらない、雷も鳴り続けている、そうしてそのまま数日がたった。源氏達一同は益々心細くなってきた。源氏は過去も未来も悲しい事の多い身の上であるので気強く考えることもできず、こんな嵐にあって「どうしよう。こんな嵐の吹く恐ろしいところだからといって、赦免もなしに都に帰るようなことをしては、長徳二年に藤原伊周が大宰帥に左遷されて途中播磨国に留まっていたが、淋しさに許可なく密かに上京したことが露顕して、遂に大宰府に流された、という例もあり、また一つ自分は物笑いの種を増やすことだけである。やはり、ここよりもう少し奥に入って深い山間を探して、姿をくらましてしまおうか」と一瞬思うが、「それでも波風に脅かされて逃げ出したなどと、この地の人や国司の人が言い伝えるようなことでもされたら、後世にまで自分は笑い者と軽率な浮名を流してしまうことになろう」といろいろと迷っていた。
嵐にあって慌てて逃げ帰った夜に寝付かれず朝になってとろとろとした時に見た夢に、まるで同じ恰好をした若者が現れては、「帝のお召しである」、と繰り返し夢の中で源氏を誘う。その夢が毎日源氏を悩ましていた。
晴れる日が無く日数が過ぎていくと、源氏はどうしても京の都のことが気がかりになって、「こうしたままこの世を去るのだろうか」と、心細く思うが、外の雨風は変わらず大荒れで頭をさし出すことさえもできない状態である、こんな時にこちらに尋ねてくる者もないと源氏をはじめとして屋敷の一同は思って恐ろしく曇った空を眺めていた。
そんな雨風の中二条院から、使いの者が無理をして濡れ鼠になってやってきたのだった。使いはこんな姿で道ですれ違っても、人間か獣か見分けがつかなくてすぐに追い払われてしまうほどみすぼらしい男であっても、源氏は京から来たというだけで懐かしくしみじみと感じる。そんな自分がこの須磨で暮らすうちに卑屈になってしまったと、貧しくなった自分の心の程を思わずにはいられない。紫からの手紙に、
「驚くほど止むことのない最近の天気に、ますます空までが塞がってしまうような気がいたします。貴方のこと天気のこと私の心の晴らしようがありませんので、
浦風やいかに吹くらむ思ひやる
袖うち濡らし波間なきころ
(須磨の浦ではどんなに激しく風が吹いていることでしょう、心配で袖を涙で濡らしている今日このごろです)」
しみじみとした紫の悲しい気持ちが文面一杯に書き連ねてある。読んでいる内に源氏は「君惜しむ涙落ち添ひこの川の汀まさりて流るべらなり」古今六帖の歌が浮かんできて止まることなく涙があふれ、気持ちはまっ暗になった。使いに来た者は、
「京でも、この雨風は、この先に起こる災難の天の啓示であると言って、-国家鎮護・七難即滅のために「仁王護国般若経」を宮中で唱名する臨時の仁王会を催す予定だと噂していました。宮中に参内なさる上達部なども、この嵐でまったく道路が塞がって、政道も途絶えております」
などと、ぼそぼそと、たどたどしく源氏の供の者と話しているのが聞こえて、京のことを話しているのだとおもうと知りたくて、源氏は自分の前に呼び寄せた。使いの者は恐縮して堅くなっていたがさらに源氏に、
「都は雨が小止みなく降って、風は時々大きく吹き出して、そんな日が数日になります。そのことがただ事でないと京の者は驚いているのです。本当に地の底に通り抜ける勢いで雹が降り、そこに雷の轟き静かになる気配がございませんでした」
などと、都の大変な様子を使者は自分もこの天災に驚き脅えて源氏の前で畏まっている顔がとてもつらそうに見えるにつけても、源氏の心の中は心細さがつのるのだった。
「このまま何もしないでいる内に世の中は滅亡してしまうのではなかろうか」と源氏は思わずにはいられない。すると、その翌日の明け方から、風が激しく吹き、大潮が高く満ちて、波の音が巌も山をも無くしてしまうほど激しくさらに言葉にしようがないほどの雷が鳴り響いた。源氏は雷が光ると「そら、落ちてきた」と思うが彼の周りには頼みになるようなしっかりした者はいない。源氏は恐ろしくて、
「自分はどれだけの罪を犯したのだろうこんなひどい悲しい目に遭うとは。父母に早くに死に別れ、いとしい妻や子どもにも会えずに、この世を去らねばならないとは」
と嘆く。源氏は、心を静めて、「どんな罪を着て私はこの須磨の浦で命を落とすというのか」と、気を強く持とうとするが、やはりこの天災にひどく脅え心が騒いでいるので、色々な幣帛を神に捧げて、
「住吉の神、この近辺一帯をご支配されている。神が仏のお使いであるならば助けてくれるはず」
と、源氏は数多くの大願を立てた。源氏と共に神に祈る供の者達は自分たちの命は、それはそれとして、源氏のような方がこのような災害に命を落としてしまいそうなことがひどく悲しいのである、彼らは心を奮い起こして、「わが身に代えてでも源氏様をお救い申し上げよう」と、大声を上げ声を合わせて神仏を祈のだった。
「宮中の深窓で育てられ、さまざまな享楽をほしいままにしておられたが、それでも深い仁徳がおありになり、それは日本中に広がっています。不幸な目にあった人々を数多く助けなされました。そのお方が今何の報いでこんなに非道な波風に溺れ死ななければならないのですか。天地の神々よ、よくお考えください。今あのお方は罪がないのにもかかわらず罪になり、官職、爵位を剥奪され、家を離れ、都を去って、日夜心の安まる時なく、悲嘆にくれていらっしゃいます、その上にこのような暴風雨の悲しい災難までに遭い、命を失ってしまいそうになるのは、前世からの報いですか、この世での犯した罪によるのですか、神、仏、確かにいらっしゃるならば、この災いを鎮めお救い下さい」
と、遙か遠くにある住吉社の方を向いて、さまざまな願を立てて供の者と声を合わせて源氏も祈った。
その上に海の中の龍王や八百万の神々に願をたてると、ますます雷が鳴り轟いて、住所の源氏の部屋に続いている廊下に雷が落ちてきた。炎が燃え上がって、廊下は焼けてしまった。それを目の当たりにして一同は生きた心地もせず、あわてふためく。後方にある大炊殿に源氏を移して、そこに身分の上下なく人々が入り込んで騒がしく泣き叫ぶ声は雷鳴にも負けないくらいであった。空は黒墨を擦ったようで、日も暮れてしまった。
さしもの嵐も次第に風が弱まり雨脚が衰え、星の光も見えてきたのでこのような炊事場に居られるのもどうかと、供の者達は源氏に住まいである寝殿に戻っていただこうとするが、
「廊下の焼け残ったのも気味が悪く、消火のために大勢の人々が踏み荒らした上に、御簾などもあの嵐にみな吹き飛んでしまった」
「夜が明けてからでも」
と供の者はあれこれ言っている内に、源氏はひとり経を唱えながら、いろいろと考えてみるがどうしても気持ちが落ち着かない。
三月一日は巳の日であるからこの日に禊ぎをすると心労が休まる、という供の者の進言を源氏は受けて須磨の海岸に出て、陰陽師を呼んで祈祷の最中に大嵐がやってきた、その嵐は依然として治まらない、雷も鳴り続けている、そうしてそのまま数日がたった。源氏達一同は益々心細くなってきた。源氏は過去も未来も悲しい事の多い身の上であるので気強く考えることもできず、こんな嵐にあって「どうしよう。こんな嵐の吹く恐ろしいところだからといって、赦免もなしに都に帰るようなことをしては、長徳二年に藤原伊周が大宰帥に左遷されて途中播磨国に留まっていたが、淋しさに許可なく密かに上京したことが露顕して、遂に大宰府に流された、という例もあり、また一つ自分は物笑いの種を増やすことだけである。やはり、ここよりもう少し奥に入って深い山間を探して、姿をくらましてしまおうか」と一瞬思うが、「それでも波風に脅かされて逃げ出したなどと、この地の人や国司の人が言い伝えるようなことでもされたら、後世にまで自分は笑い者と軽率な浮名を流してしまうことになろう」といろいろと迷っていた。
嵐にあって慌てて逃げ帰った夜に寝付かれず朝になってとろとろとした時に見た夢に、まるで同じ恰好をした若者が現れては、「帝のお召しである」、と繰り返し夢の中で源氏を誘う。その夢が毎日源氏を悩ましていた。
晴れる日が無く日数が過ぎていくと、源氏はどうしても京の都のことが気がかりになって、「こうしたままこの世を去るのだろうか」と、心細く思うが、外の雨風は変わらず大荒れで頭をさし出すことさえもできない状態である、こんな時にこちらに尋ねてくる者もないと源氏をはじめとして屋敷の一同は思って恐ろしく曇った空を眺めていた。
そんな雨風の中二条院から、使いの者が無理をして濡れ鼠になってやってきたのだった。使いはこんな姿で道ですれ違っても、人間か獣か見分けがつかなくてすぐに追い払われてしまうほどみすぼらしい男であっても、源氏は京から来たというだけで懐かしくしみじみと感じる。そんな自分がこの須磨で暮らすうちに卑屈になってしまったと、貧しくなった自分の心の程を思わずにはいられない。紫からの手紙に、
「驚くほど止むことのない最近の天気に、ますます空までが塞がってしまうような気がいたします。貴方のこと天気のこと私の心の晴らしようがありませんので、
浦風やいかに吹くらむ思ひやる
袖うち濡らし波間なきころ
(須磨の浦ではどんなに激しく風が吹いていることでしょう、心配で袖を涙で濡らしている今日このごろです)」
しみじみとした紫の悲しい気持ちが文面一杯に書き連ねてある。読んでいる内に源氏は「君惜しむ涙落ち添ひこの川の汀まさりて流るべらなり」古今六帖の歌が浮かんできて止まることなく涙があふれ、気持ちはまっ暗になった。使いに来た者は、
「京でも、この雨風は、この先に起こる災難の天の啓示であると言って、-国家鎮護・七難即滅のために「仁王護国般若経」を宮中で唱名する臨時の仁王会を催す予定だと噂していました。宮中に参内なさる上達部なども、この嵐でまったく道路が塞がって、政道も途絶えております」
などと、ぼそぼそと、たどたどしく源氏の供の者と話しているのが聞こえて、京のことを話しているのだとおもうと知りたくて、源氏は自分の前に呼び寄せた。使いの者は恐縮して堅くなっていたがさらに源氏に、
「都は雨が小止みなく降って、風は時々大きく吹き出して、そんな日が数日になります。そのことがただ事でないと京の者は驚いているのです。本当に地の底に通り抜ける勢いで雹が降り、そこに雷の轟き静かになる気配がございませんでした」
などと、都の大変な様子を使者は自分もこの天災に驚き脅えて源氏の前で畏まっている顔がとてもつらそうに見えるにつけても、源氏の心の中は心細さがつのるのだった。
「このまま何もしないでいる内に世の中は滅亡してしまうのではなかろうか」と源氏は思わずにはいられない。すると、その翌日の明け方から、風が激しく吹き、大潮が高く満ちて、波の音が巌も山をも無くしてしまうほど激しくさらに言葉にしようがないほどの雷が鳴り響いた。源氏は雷が光ると「そら、落ちてきた」と思うが彼の周りには頼みになるようなしっかりした者はいない。源氏は恐ろしくて、
「自分はどれだけの罪を犯したのだろうこんなひどい悲しい目に遭うとは。父母に早くに死に別れ、いとしい妻や子どもにも会えずに、この世を去らねばならないとは」
と嘆く。源氏は、心を静めて、「どんな罪を着て私はこの須磨の浦で命を落とすというのか」と、気を強く持とうとするが、やはりこの天災にひどく脅え心が騒いでいるので、色々な幣帛を神に捧げて、
「住吉の神、この近辺一帯をご支配されている。神が仏のお使いであるならば助けてくれるはず」
と、源氏は数多くの大願を立てた。源氏と共に神に祈る供の者達は自分たちの命は、それはそれとして、源氏のような方がこのような災害に命を落としてしまいそうなことがひどく悲しいのである、彼らは心を奮い起こして、「わが身に代えてでも源氏様をお救い申し上げよう」と、大声を上げ声を合わせて神仏を祈のだった。
「宮中の深窓で育てられ、さまざまな享楽をほしいままにしておられたが、それでも深い仁徳がおありになり、それは日本中に広がっています。不幸な目にあった人々を数多く助けなされました。そのお方が今何の報いでこんなに非道な波風に溺れ死ななければならないのですか。天地の神々よ、よくお考えください。今あのお方は罪がないのにもかかわらず罪になり、官職、爵位を剥奪され、家を離れ、都を去って、日夜心の安まる時なく、悲嘆にくれていらっしゃいます、その上にこのような暴風雨の悲しい災難までに遭い、命を失ってしまいそうになるのは、前世からの報いですか、この世での犯した罪によるのですか、神、仏、確かにいらっしゃるならば、この災いを鎮めお救い下さい」
と、遙か遠くにある住吉社の方を向いて、さまざまな願を立てて供の者と声を合わせて源氏も祈った。
その上に海の中の龍王や八百万の神々に願をたてると、ますます雷が鳴り轟いて、住所の源氏の部屋に続いている廊下に雷が落ちてきた。炎が燃え上がって、廊下は焼けてしまった。それを目の当たりにして一同は生きた心地もせず、あわてふためく。後方にある大炊殿に源氏を移して、そこに身分の上下なく人々が入り込んで騒がしく泣き叫ぶ声は雷鳴にも負けないくらいであった。空は黒墨を擦ったようで、日も暮れてしまった。
さしもの嵐も次第に風が弱まり雨脚が衰え、星の光も見えてきたのでこのような炊事場に居られるのもどうかと、供の者達は源氏に住まいである寝殿に戻っていただこうとするが、
「廊下の焼け残ったのも気味が悪く、消火のために大勢の人々が踏み荒らした上に、御簾などもあの嵐にみな吹き飛んでしまった」
「夜が明けてからでも」
と供の者はあれこれ言っている内に、源氏はひとり経を唱えながら、いろいろと考えてみるがどうしても気持ちが落ち着かない。
作品名:私の読む「源氏物語」ー20- 作家名:陽高慈雨