銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第四部
第九章 犬吠埼へ
「犬吠~!犬吠~!」
車掌さんの声が辺りに響く。みんなここで列車を降りる。晴れ渡る青空の下、小さな駅が賑わう。
改札口に立つ駅員さんに〝弧廻手形〟を見せ、駅舎に入る。この駅は、関東でも最初に初日の出が見られる犬吠埼への観光拠点。なので、駅舎の中には土産物がたくさん並んでいる。その他、廃線の危機に瀕していた銚子電鉄を救い、一躍有名にした〝ぬれ煎餅〟の販売もされている。それだけではなく、製造の実演も行われている。乗り降り自由以外にも、いろいろと特典いっぱいついている〝弧廻手形〟には、その〝ぬれ煎餅〟の一枚と交換できる引換券までついている。引き換え場所はここの土産物売り場。早速、売り場で一枚受け取って食べる。しっとりとした食感がうまい。これから犬吠埼へ行き、また戻って来たら、ここで土産物を買うつもり。もちろん、〝ぬれ煎餅〟も買う。
駅舎の外へ出る。犬吠駅の白い駅舎は、ポルトガルの宮殿をイメージしたもの。初めてここへ来た時は、駅前広場に廃車になった電車の車体を利用したレストランがあった。そんな風景を見て、どこか遠くのパラダイスを訪れたような錯覚に陥ったものだった。しかし、そのレストランも、車体の老朽化と塩害でボロボロに。2011年に営業を終え、翌年には車体も解体されてしまった。それによって、何だか駅前も寂しくなってしまった。それでも、駅舎とか、駅前にある電車の車輪を使ったオブジェには、ほとんど変わりがない。まだまだ遠くのパラダイスに来たような気分になる。
駅舎の前には、観光協会によるレンタサイクルのコーナーがあった。この先の移動が徒歩ではなく自転車だったら、時間も短縮できる。犬吠先へ行った後、あちらこちらを経由して、外川に行くつもりなのは先に述べた通り。係の人に、借りた自転車を外川でも返却できるか訊いてみた。残念ながら、外川の周辺には自転車の返却場所がないようだった。予定通り、今日は徒歩での移動。
さて、犬吠埼へ向かう。駅前には、何やら面白い看板があった。犬吠駅の土産物屋とか、駅舎の中で行われている企画展の宣伝が書いてあるもの。その宣伝文句は、
「もしかしてだけど~ 寄ろうと思ってたんじゃないの~」
という、最近になって流行り出したお笑いコンビがネタで歌っている歌のフレーズだった。
駅前からの道を歩いていると、大きな交差点に突き当たった。そこにあった道しるべには、〝君ヶ浜〟の文字が。もしかしたら、ここから君ヶ浜も、そんなに離れていないのかも知れない。それを先に知っていれば、また行程も変わっていた。何だか惜しい。
その交差点の脇には、何やら仕舞屋があった。元は食堂だったようだ。表のガラス戸などは、全てベニヤ板でふさがれている。〝売物件〟と書かれた看板も前に置かれていたけれど、もはや廃墟と化していた。晩には化け物でも出そうなそれは、銚子という場所の衰退を物語っているような気がした。
辺りにある他の建物も古びており、何だかここは、〝時代に取り残された観光地〟という感じがする。その中を通るこの道は、2年前に前出の〝彼〟と歩いた道だ。残念なことに、今朝、銚子駅に着いてからここまで、まだ〝彼〟には会っていない。
〈元気にしているだろうか?〉
そう考えながら歩いているうちに、すぐ近くに海が見える場所まで来ていた。見ているだけで恐ろしくなるようなほどの荒波が岩場に打ちつけている。東映が製作した映画のオープニングで流れる〝荒磯に波〟と呼ばれる映像は、この辺りで撮影されたものらしい。
以前、〝彼〟と歩いた時に、イルカショーが丸見えと教えてもらった例の水族館の前を行くと、もう犬吠埼。その手前には、ボロボロのバラック小屋のようなものがある。まさに廃墟という佇まいのそれは、海産物の串焼きを売っている店だった。店先のスピーカーからは、曲名もよく分からない古い演歌が流れている。それが何だか、この辺りの寂れ具合を増しているような気がした。
その店先に並んでいるのは、サザエやホタテなど。注文を受けてから焼くようだ。横目で並んでいるそれらを見て、後から買おうかどうしようか悩みながら、灯台の方へ進んで行く。土産物屋とかレストランなどが建ち並んでいる。これはいかにも〝観光地〟という風景だ。しかし、その中にはシャッターの下りた仕舞屋もあった。
海の写真を撮りながらフラフラと歩く。とりあえず、昼飯が食いたい。レストランの店先に貼ってあるメニュー表を見る。場所柄、海産物が多い。若干、値も張っている。普段ならば絶対に食わないような値段の料理ばかり。しかし、そこは久しぶりの旅。少し贅沢をしようと思っている。何にしようか迷うところだ。
悩みつつ、海の写真を撮る。ここ灯台は200円払えば上ることも可能。しかし、角度が急な狭い階段を上る。何となくそれが億劫なので、今日は表から見るだけ。どうやらこの灯台は、1847年に初めて光が点灯されてから、11月で140周年を迎えたそうだ。灯台を囲む塀には、それを祝う横断幕が設置されていた。
今日は休みの日とあって、車も多い。それだけではなく、ツーリングを楽しんでいる人も多い。そんな中で、僕は相変わらずどこで何を食おうか迷っている。〝彼〟と飯を食って、今年の四月にも寄ったレストランの横には、何やらテントが設置されていた。行ってみると、ボランティアガイドによる観光案内のようだった。
「よかったらどうですか?」
テントの前でうろついていると、ガイドさんの一人が僕に声を掛けた。時間潰しにはちょうどいいかも知れない。お願いすることにした。名簿に名前と連絡先を書く。
「埼玉から来たんですか!」
名簿に書いた僕の住所を見て、ガイドさんの一人が言った。他に書いてある住所は、銚子近隣のものばかりだった。埼玉から来た客は、珍しいのかも知れない。
ガイドのおじさんに案内してもらう。そのガイドさんが言うには、犬吠埼の他に、市内の屏風ヶ浦などでも無料ガイドをやっているそうだ。今日は、たまたまここに来ていたのだという。
いろいろな所を歩いて回るのかと思えば、海の見える場所で井戸端会議でもしているかのような感じで説明を受ける。まずは、元はこの辺りが海底だったなど、地形とか地質の話から始まった。
〈これがどんな話につながるのだろう?〉
あまり観光とは遠いその話を聞いていて、そう思ってしまった。だが、そこから興味深い話が展開される。何億年も前、海底が少しずつ隆起してこの辺りの地形が成立したそうだ。その際、表面が荒波に削られて平らになったことで、この辺りのみならず、銚子市周辺や成田市周辺などの北総地域は、平坦な地形が多いのだという。その北総地域で一番高い山が、このすぐ目の前にある愛宕山という山らしく、標高も700メートルほどなのだとか。
まだ井戸端会議的なガイドは続く。銚子市は利根川沿いにあることから、物流の要衝だったのだという。そのため、江戸時代は現在で言う関東でも、3番目に人口の多い場所だったそうだ。千葉県では千葉市に次いで2番目に市制が施行されたというのも驚きだ。
「犬吠~!犬吠~!」
車掌さんの声が辺りに響く。みんなここで列車を降りる。晴れ渡る青空の下、小さな駅が賑わう。
改札口に立つ駅員さんに〝弧廻手形〟を見せ、駅舎に入る。この駅は、関東でも最初に初日の出が見られる犬吠埼への観光拠点。なので、駅舎の中には土産物がたくさん並んでいる。その他、廃線の危機に瀕していた銚子電鉄を救い、一躍有名にした〝ぬれ煎餅〟の販売もされている。それだけではなく、製造の実演も行われている。乗り降り自由以外にも、いろいろと特典いっぱいついている〝弧廻手形〟には、その〝ぬれ煎餅〟の一枚と交換できる引換券までついている。引き換え場所はここの土産物売り場。早速、売り場で一枚受け取って食べる。しっとりとした食感がうまい。これから犬吠埼へ行き、また戻って来たら、ここで土産物を買うつもり。もちろん、〝ぬれ煎餅〟も買う。
駅舎の外へ出る。犬吠駅の白い駅舎は、ポルトガルの宮殿をイメージしたもの。初めてここへ来た時は、駅前広場に廃車になった電車の車体を利用したレストランがあった。そんな風景を見て、どこか遠くのパラダイスを訪れたような錯覚に陥ったものだった。しかし、そのレストランも、車体の老朽化と塩害でボロボロに。2011年に営業を終え、翌年には車体も解体されてしまった。それによって、何だか駅前も寂しくなってしまった。それでも、駅舎とか、駅前にある電車の車輪を使ったオブジェには、ほとんど変わりがない。まだまだ遠くのパラダイスに来たような気分になる。
駅舎の前には、観光協会によるレンタサイクルのコーナーがあった。この先の移動が徒歩ではなく自転車だったら、時間も短縮できる。犬吠先へ行った後、あちらこちらを経由して、外川に行くつもりなのは先に述べた通り。係の人に、借りた自転車を外川でも返却できるか訊いてみた。残念ながら、外川の周辺には自転車の返却場所がないようだった。予定通り、今日は徒歩での移動。
さて、犬吠埼へ向かう。駅前には、何やら面白い看板があった。犬吠駅の土産物屋とか、駅舎の中で行われている企画展の宣伝が書いてあるもの。その宣伝文句は、
「もしかしてだけど~ 寄ろうと思ってたんじゃないの~」
という、最近になって流行り出したお笑いコンビがネタで歌っている歌のフレーズだった。
駅前からの道を歩いていると、大きな交差点に突き当たった。そこにあった道しるべには、〝君ヶ浜〟の文字が。もしかしたら、ここから君ヶ浜も、そんなに離れていないのかも知れない。それを先に知っていれば、また行程も変わっていた。何だか惜しい。
その交差点の脇には、何やら仕舞屋があった。元は食堂だったようだ。表のガラス戸などは、全てベニヤ板でふさがれている。〝売物件〟と書かれた看板も前に置かれていたけれど、もはや廃墟と化していた。晩には化け物でも出そうなそれは、銚子という場所の衰退を物語っているような気がした。
辺りにある他の建物も古びており、何だかここは、〝時代に取り残された観光地〟という感じがする。その中を通るこの道は、2年前に前出の〝彼〟と歩いた道だ。残念なことに、今朝、銚子駅に着いてからここまで、まだ〝彼〟には会っていない。
〈元気にしているだろうか?〉
そう考えながら歩いているうちに、すぐ近くに海が見える場所まで来ていた。見ているだけで恐ろしくなるようなほどの荒波が岩場に打ちつけている。東映が製作した映画のオープニングで流れる〝荒磯に波〟と呼ばれる映像は、この辺りで撮影されたものらしい。
以前、〝彼〟と歩いた時に、イルカショーが丸見えと教えてもらった例の水族館の前を行くと、もう犬吠埼。その手前には、ボロボロのバラック小屋のようなものがある。まさに廃墟という佇まいのそれは、海産物の串焼きを売っている店だった。店先のスピーカーからは、曲名もよく分からない古い演歌が流れている。それが何だか、この辺りの寂れ具合を増しているような気がした。
その店先に並んでいるのは、サザエやホタテなど。注文を受けてから焼くようだ。横目で並んでいるそれらを見て、後から買おうかどうしようか悩みながら、灯台の方へ進んで行く。土産物屋とかレストランなどが建ち並んでいる。これはいかにも〝観光地〟という風景だ。しかし、その中にはシャッターの下りた仕舞屋もあった。
海の写真を撮りながらフラフラと歩く。とりあえず、昼飯が食いたい。レストランの店先に貼ってあるメニュー表を見る。場所柄、海産物が多い。若干、値も張っている。普段ならば絶対に食わないような値段の料理ばかり。しかし、そこは久しぶりの旅。少し贅沢をしようと思っている。何にしようか迷うところだ。
悩みつつ、海の写真を撮る。ここ灯台は200円払えば上ることも可能。しかし、角度が急な狭い階段を上る。何となくそれが億劫なので、今日は表から見るだけ。どうやらこの灯台は、1847年に初めて光が点灯されてから、11月で140周年を迎えたそうだ。灯台を囲む塀には、それを祝う横断幕が設置されていた。
今日は休みの日とあって、車も多い。それだけではなく、ツーリングを楽しんでいる人も多い。そんな中で、僕は相変わらずどこで何を食おうか迷っている。〝彼〟と飯を食って、今年の四月にも寄ったレストランの横には、何やらテントが設置されていた。行ってみると、ボランティアガイドによる観光案内のようだった。
「よかったらどうですか?」
テントの前でうろついていると、ガイドさんの一人が僕に声を掛けた。時間潰しにはちょうどいいかも知れない。お願いすることにした。名簿に名前と連絡先を書く。
「埼玉から来たんですか!」
名簿に書いた僕の住所を見て、ガイドさんの一人が言った。他に書いてある住所は、銚子近隣のものばかりだった。埼玉から来た客は、珍しいのかも知れない。
ガイドのおじさんに案内してもらう。そのガイドさんが言うには、犬吠埼の他に、市内の屏風ヶ浦などでも無料ガイドをやっているそうだ。今日は、たまたまここに来ていたのだという。
いろいろな所を歩いて回るのかと思えば、海の見える場所で井戸端会議でもしているかのような感じで説明を受ける。まずは、元はこの辺りが海底だったなど、地形とか地質の話から始まった。
〈これがどんな話につながるのだろう?〉
あまり観光とは遠いその話を聞いていて、そう思ってしまった。だが、そこから興味深い話が展開される。何億年も前、海底が少しずつ隆起してこの辺りの地形が成立したそうだ。その際、表面が荒波に削られて平らになったことで、この辺りのみならず、銚子市周辺や成田市周辺などの北総地域は、平坦な地形が多いのだという。その北総地域で一番高い山が、このすぐ目の前にある愛宕山という山らしく、標高も700メートルほどなのだとか。
まだ井戸端会議的なガイドは続く。銚子市は利根川沿いにあることから、物流の要衝だったのだという。そのため、江戸時代は現在で言う関東でも、3番目に人口の多い場所だったそうだ。千葉県では千葉市に次いで2番目に市制が施行されたというのも驚きだ。
作品名:銚子旅行記 銚子からあのひとへ 第四部 作家名:ゴメス