私の読む「源氏物語」ー16-
源氏は、藤壺をたいそう恋しく思うのであるが、「あの夜の情けないほど冷たい心を、そのうちに思いだして反省するように仕向けよう」と、逢いたいの気持ちをじっと堪えて過ごすが、そんな気持ちが自分ながら体裁が悪く、退屈でもあるので、秋の野も見たいと出かけたついでに、雲林院に参詣した。この院は、もと淳和天皇の離宮であり、仁明天皇の皇子常康親王が戴いて出家して寺院となった。村上天皇の時には勅願によって堂塔が建てられ、重んじられたという寺である。
「亡き母桐壺御息所の兄の律師が籠もっていらっしゃる坊で、法文などを読み、勤行をしよう」と思い、二、三日逗留すると、心打たれる事柄が多かった。
紅葉が一面に広がり始め、秋の野がとても美しくなっていくのを見て、邸のことなど忘れてしまいそうである。法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、お互い問答形式による経文の義の議論する様子をじっと聞いている。源氏は場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かして考えるが、やはり、藤壺を「つれない人こそ、恋しく思われる」と、頭の中から藤壺の姿が消えないので出家をしようとはとても決心がつかない、明け方の月の光に、法師たちが仏前に水を供える閼伽棚にからからと鳴らしなが容器を置く、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしている。こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、と源氏は思い、
それに引き比べ、自分はつまらない身の上を持て余していることよと嘆いていると、律師が、とても尊い声で、
「念仏衆生摂取不捨」
と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は出家を」と考えると、まず、二条院にいる若紫が心にかかって思い出す、まことに未練がましい源氏である。。
いつにない長い逗留で紫が不安になると思うので、手紙だけは頻繁に差し上げていた。 「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」
などと、陸奥紙に、気楽にお書きになっているのまでが、素晴らしい。「おもしろくもない現世を離れることができるかと、ためしにこの雲林院へやって来たのですが、寺の生活というのも退屈で淋しく、心が慰められるどころか心細さが募るばかりです。途中までしか仏門の教えを聞いていないので、こんなにぐずぐずと逗留していますが、いかがお過ごしですか」
などと白く厚ぼったい雑用向きの用紙の陸奥紙に、気楽にお書きになっているが、素晴らしい筆跡である。
浅茅生の露のやどりに君をおきて
四方の嵐ぞ静心なき
(あれた野原に降る露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので、まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、気ががりでなりません)
などと愛情こまやかに書かれているので、受け取った紫の上も読むうちについ泣いてしまった。返事は、白い色紙に、
風吹けばまづぞ乱るる色変はる
浅茅が露にかかるささがに
(風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に、糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから)
とだけあるので、「筆跡はとても上手になっていくなあ」と、源氏は紫の文を見て独り言を洩らして、かわいいと微笑んでた。
何回も手紙をやりとりしているので、紫は源氏の筆跡にとてもよく似てきて、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わってた。「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」と源氏は自分の意に添って成長していく紫を、と思うのであった。
源氏が逗留するここ雲林院と、源氏の父桐壺院の弟で桃園式部卿宮がおられその娘で朝顔という姫が賀茂社の斎院であるが、その斎院と近いので和歌を贈答しあっていた。
朝顔姫は今年春に斎院に任命された。一年目は宮中の初斎院にいるはずだが、二年目を待たずに何かの都合で今賀茂の斎院にいた。
朝顔の女房である中将の君にも源氏は文を送って、
「このように、旅に出ましたのも、姫を恋する気持ちで心が重く身も魂もさまよい出たということを、貴女はご存知なはずはありますまいね」
などと、恨み言を述べて、斎宮には、
かけまくはかしこけれども
そのかみの
秋思ほゆる木綿欅かな
(言葉にしてお伝えすることは恐れ多いことですけれど、その昔、秋のころ文を差し上げた頃のことが思い出されます)
昔のようなお付き合いがとり戻せるならばと思っています」
と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなど、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。
女房の中将から返事が来た、
「取り立ててするようなこともなく毎日を送っていますと、過ぎ去った日々のことを思い出してはそのおりの源氏様のことを、お偲び申し上げること、多くございますが、今になっては何の甲斐もございません事ばかりで」
と、少し気持ちが入って多くのことをあれこれと書かれていた。主人である朝顔の斎宮の歌は、木綿の片端に、
そのかみやいかがはありし木綿欅
心にかけてしのぶらむゆゑ
(その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか、心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは)
近い世には」
とある。
「ご筆跡、こまやかな美しさではないが、巧みで、漢字の崩しなど美しくなったものだ。ましてや、お顔も、いよいよ美しくなられたろう」と源氏が想像するのも、例の女好みの心が騒いでいるのであろう。
「ああ、昨年の秋、御息所との別離を思い出す。この季節であったなあ」と源氏は思いだし、「朝顔とのことも不思議に、同じような事だ」と、神域の内にいて手出しが出来ないことを恨めしく思う性癖が、見苦しいことである。本当に朝顔姫がほしい思うのなら、斎宮にあがる前ならどうにでもなったころには、文を送るだけで積極的に逢うようなこともしないでのんびりと過ごし、どうにもならない今となって朝顔姫を自分の女としたいと悔しく思う、源氏の性質は変わっている。
朝顔齋院も、源氏のこのような普通ではない女の求め方を長年の文のやりとりでよくわきまえているので、時たま返事を書く時には源氏を刺激しないようにすげない返事は出来ないようであった。彼女も本当に困っていた。 天台六十巻の教典『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』(各十巻)とその注釈『法華玄義疏記』『法華文句疏記』『止観輔行伝弘決』(各十巻)という膨大な経文を源氏は読み、不明な所々を法師に解説させたりなどしているのを寺の高僧は、
「高貴な源氏様が山寺にお籠もりになって教典を勉学されるとは、この寺の法師達が一心に祈りを捧げたたまもので、仏の力がこの寺にたいそうな光明を授けてくださった」と、「法師の名誉である」と、全山の法師連が喜び合っていた。
「亡き母桐壺御息所の兄の律師が籠もっていらっしゃる坊で、法文などを読み、勤行をしよう」と思い、二、三日逗留すると、心打たれる事柄が多かった。
紅葉が一面に広がり始め、秋の野がとても美しくなっていくのを見て、邸のことなど忘れてしまいそうである。法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、お互い問答形式による経文の義の議論する様子をじっと聞いている。源氏は場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かして考えるが、やはり、藤壺を「つれない人こそ、恋しく思われる」と、頭の中から藤壺の姿が消えないので出家をしようとはとても決心がつかない、明け方の月の光に、法師たちが仏前に水を供える閼伽棚にからからと鳴らしなが容器を置く、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしている。こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、と源氏は思い、
それに引き比べ、自分はつまらない身の上を持て余していることよと嘆いていると、律師が、とても尊い声で、
「念仏衆生摂取不捨」
と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は出家を」と考えると、まず、二条院にいる若紫が心にかかって思い出す、まことに未練がましい源氏である。。
いつにない長い逗留で紫が不安になると思うので、手紙だけは頻繁に差し上げていた。 「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」
などと、陸奥紙に、気楽にお書きになっているのまでが、素晴らしい。「おもしろくもない現世を離れることができるかと、ためしにこの雲林院へやって来たのですが、寺の生活というのも退屈で淋しく、心が慰められるどころか心細さが募るばかりです。途中までしか仏門の教えを聞いていないので、こんなにぐずぐずと逗留していますが、いかがお過ごしですか」
などと白く厚ぼったい雑用向きの用紙の陸奥紙に、気楽にお書きになっているが、素晴らしい筆跡である。
浅茅生の露のやどりに君をおきて
四方の嵐ぞ静心なき
(あれた野原に降る露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので、まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、気ががりでなりません)
などと愛情こまやかに書かれているので、受け取った紫の上も読むうちについ泣いてしまった。返事は、白い色紙に、
風吹けばまづぞ乱るる色変はる
浅茅が露にかかるささがに
(風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に、糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから)
とだけあるので、「筆跡はとても上手になっていくなあ」と、源氏は紫の文を見て独り言を洩らして、かわいいと微笑んでた。
何回も手紙をやりとりしているので、紫は源氏の筆跡にとてもよく似てきて、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わってた。「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」と源氏は自分の意に添って成長していく紫を、と思うのであった。
源氏が逗留するここ雲林院と、源氏の父桐壺院の弟で桃園式部卿宮がおられその娘で朝顔という姫が賀茂社の斎院であるが、その斎院と近いので和歌を贈答しあっていた。
朝顔姫は今年春に斎院に任命された。一年目は宮中の初斎院にいるはずだが、二年目を待たずに何かの都合で今賀茂の斎院にいた。
朝顔の女房である中将の君にも源氏は文を送って、
「このように、旅に出ましたのも、姫を恋する気持ちで心が重く身も魂もさまよい出たということを、貴女はご存知なはずはありますまいね」
などと、恨み言を述べて、斎宮には、
かけまくはかしこけれども
そのかみの
秋思ほゆる木綿欅かな
(言葉にしてお伝えすることは恐れ多いことですけれど、その昔、秋のころ文を差し上げた頃のことが思い出されます)
昔のようなお付き合いがとり戻せるならばと思っています」
と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなど、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。
女房の中将から返事が来た、
「取り立ててするようなこともなく毎日を送っていますと、過ぎ去った日々のことを思い出してはそのおりの源氏様のことを、お偲び申し上げること、多くございますが、今になっては何の甲斐もございません事ばかりで」
と、少し気持ちが入って多くのことをあれこれと書かれていた。主人である朝顔の斎宮の歌は、木綿の片端に、
そのかみやいかがはありし木綿欅
心にかけてしのぶらむゆゑ
(その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか、心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは)
近い世には」
とある。
「ご筆跡、こまやかな美しさではないが、巧みで、漢字の崩しなど美しくなったものだ。ましてや、お顔も、いよいよ美しくなられたろう」と源氏が想像するのも、例の女好みの心が騒いでいるのであろう。
「ああ、昨年の秋、御息所との別離を思い出す。この季節であったなあ」と源氏は思いだし、「朝顔とのことも不思議に、同じような事だ」と、神域の内にいて手出しが出来ないことを恨めしく思う性癖が、見苦しいことである。本当に朝顔姫がほしい思うのなら、斎宮にあがる前ならどうにでもなったころには、文を送るだけで積極的に逢うようなこともしないでのんびりと過ごし、どうにもならない今となって朝顔姫を自分の女としたいと悔しく思う、源氏の性質は変わっている。
朝顔齋院も、源氏のこのような普通ではない女の求め方を長年の文のやりとりでよくわきまえているので、時たま返事を書く時には源氏を刺激しないようにすげない返事は出来ないようであった。彼女も本当に困っていた。 天台六十巻の教典『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』(各十巻)とその注釈『法華玄義疏記』『法華文句疏記』『止観輔行伝弘決』(各十巻)という膨大な経文を源氏は読み、不明な所々を法師に解説させたりなどしているのを寺の高僧は、
「高貴な源氏様が山寺にお籠もりになって教典を勉学されるとは、この寺の法師達が一心に祈りを捧げたたまもので、仏の力がこの寺にたいそうな光明を授けてくださった」と、「法師の名誉である」と、全山の法師連が喜び合っていた。
作品名:私の読む「源氏物語」ー16- 作家名:陽高慈雨