私の読む「源氏物語」--14-
こうして紫と体の関係が出来めでたく「三日夜の餅」を食べて結婚が成立した、それから後源氏は、内裏にも院にも、ちょっとご参内する折でさえ、落ち着いていられず、紫の顔が浮かんで恋しいので、「妙な気持ちだな」と、自分でも思う。源氏が通っていた女の所からは、一向に現れない源氏に恨み言を申してくるので、気の毒だと思いもするが、新妻の紫がいじらしくて、「若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎からなくに」古今六帖一、夜隔てる、の歌を思い出して「一夜たりとも独り寝させたりできようか」と、つい気がかりに思わずにはいられないので、自分の周りの外のことを処理するのがとても億劫に思われ、面倒そうに振る舞い、
「世の中の俗事がとても嫌に思えるこの時期を過ぎてから、どなたにもお目にかかりましょう」
とばかり返事をして、外での一日を終えてしまっていた。
弘徽殿の女御は東宮であった自分の産んだ子供が帝に着いたので弘徽殿大后と呼ばれている。その弘徽殿大后の妹六の君(朧月夜)は御匣殿、(御服を縫製したり整えたりしたところ)に任官。彼女が源氏と契りを交わしてからなおも彼のことばかり思い続けているのを、彼女の父親の右大臣が、
「そうだなあ、あのように力のあった北の方(葵)がお亡くなりになったから、六の君と源氏が結びあったとしても、結構なことではないか」
などと、右大臣は弘徽殿大后におっしゃるが、彼女は聞いていて源氏が「とても憎い」と、
「宮仕えでも大事な地位にさえなれば、お勤め続けていらしたら、どうして悪いことがありましょうか」
と、ご入内して正式に内裏に勤めるように熱心に手を尽くした。
源氏も、自分の囲い物としてもよい女だと思っていたのだが、彼女が御匣殿に任官したことを大変残念だとは思っていたが、今現在は他の女性に目を向ける余裕がなくて、
「なんの、これでよいではないか。さほど永くもない人生なのだから。自分は今のままで落ち着くことにしよう。そうすればあの六条御息所の女の恨みを受けることもないであろう」とすます女遊びに懲りていくのだった。源氏は、
「あの御息所は、とてもお気の毒だが、あのような女は生涯の伴侶とするには息苦しい、互いに風流を解する愛人関係ならよい。今までのように私の行動を大目に見て下さるならば、適当な折々にお訪ねしては何かとお話しを交わす相手として相応しいだろう」などと、縁を切ろうとはしなかった。
「二条院に囲っている紫を、今まで世間の人はなん人かを知らないので、この際その身分をはっきりさせよう。まず父宮の兵部卿にお知らせ申そう」と、考えて、結婚をして夫の決った時に行う裳着の祝いを、多くの人には知らせないが、それでも内々とはいえ立派に準備しようと考えていた。この源氏の心配りは結構なことではあるが、紫はそれを聞いても、すっかり源氏への信頼を失って、「今まで万事ご信頼申して、あまえたり、抱かれたりとまつわりしていたのは、我ながら考えが浅はかであったわ」と、先夜の源氏に体を奪われたことを悔しくばかり思っていて、源氏と面と向かって顔を見合わせようとはせず、源氏が冗談を言っても、紫は苦しくやりきれない気持ちに沈んでしまい、以前のあの晴れ晴れとした様子とはすっかり変わってしまったのを、源氏はかわいらしく、いじらしく思い、
「今まであんなに私に頼ってこられていたのに、私もそんなあなたを愛してきた甲斐もなく、心を開いて打ち解けて下さらない、辛いこと」と、恨みがましく思っているうちに、年も改まった。
年が新しくなり、元日には、例年のように、父の桐壺院に挨拶してから、内裏、春宮などにも御年始に行かれる。そこから左大臣邸に向かった。葵の父である大臣は、新年の祝いもせず、亡き葵の思い出を話し出し、物寂しく悲しいと思っていたところに、源氏が訪れてきたので、気を強くしなければと思うのであるが、堪えきれず悲しく源氏に語るのであった。
大臣の目には源氏が歳をとったせいか、堂々とした風格までが加わって、以前よりも、男ぶりがあがったように見えた。源氏は大臣の前から立ち上がって、亡き葵の部屋に入ると、女房たちも久しぶりの源氏を見て、悲しみを堪えることができない。
二人の子供である夕霧を見ると、すっかり大きく成長して、にこにこして源氏を見るのも、しみじみと胸を打つ。目もと、口つきは、まったく藤壺の産んだ春宮と同じ様子であるので、源氏は「人が見て不審に思うかも知れない」と藤壺との秘めた関係を頭に思い我が子を見ていた。
葵の部屋の装飾なども昔に変わらず、御衣掛の源氏の装束なども、以前のようにして掛けてあるが、葵の装束が並んでないのが、見栄えがしないで寂しい。
葵の母宮からのご挨拶として、
「今日は、懸命に悲しみを堪えておりますが、このようにお越し下さいましたので、かえって」
などと言われて、
「今まで通りの習わしで新調しましたご衣装も、ここ幾月は、ますます涙に霞んで色合いも朧で、さぞかし映えなく御覧になられましょうが、今日だけは、やはり粗末な物ですが、この屋敷の婿殿としてお召し下さいませ」
と言って、たいそう丹精こめてお作りになった衣装類を源氏に差し上げになさった。必ず今日お召しになるように、とお考えになった御下襲は、色合いも織り方も、この世の物とは思われず、格別な品物なので、ご厚意を無にしてはと思って、源氏は着替えた。こちらへ来なかったら、母宮はさぞかし残念にお思いであったろう、とおいたわしい。お返事には、
「新しい春が参りましたので、まずはご挨拶にとその後の私を御覧になっていただくつもりで、参上致しましたが、思い出さずにはいられない事柄が多くて、十分にご挨拶を申し上げられません。
あまた年今日改めし色衣
着ては涙ぞふる心地する
(何年来も元日毎に参っては着替えをしてきた晴着だが、それを着ると今日は涙がこぼれる思いがする)
どうしても抑えることができません」
と、母宮にお礼の歌を贈った。
お返歌は、
新しき年ともいはずふるものは
ふりぬる人の涙なりけり
(新年になったとは申しても降りそそぐものは老母の涙でございます)
母宮の悲しみは並々なものではないのであった。 (葵 終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」--14- 作家名:陽高慈雨