私の読む「源氏物語」- 12-
「特別に整えたわけではございません。ただお役目として、優れた音楽の師たちをあちこちから捜したまでのことです。何よりも頭中将の柳花苑がみごとでした。これから後の手本になるにちがいと思って拝見しました。まして、貴方様がさきの故事の尾張の浜主のように「翁とてわびやはをらむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ」に倣って舞い出されたら、どんなにか一世の名誉だったことでしょうに」
と舅に答えた。
弁、中将なども来合わせて、高欄に背中を寄り掛らせて、めいめいが楽器の音を調えて合奏なさる、まことに素晴らしい。
源氏と左大臣がこんな話をしていると、葵の兄たちの弁や中将も出て来て高欄に背中を押しつけながら源氏とまた熱心に器楽の合奏を始めた。
この夜、源氏と葵の上が共寝したかは、定かではない。
あの源氏が有明の君と名付けた右大臣の姫は、源氏との一夜が物狂わしいほどの興奮を身体に与えてくれた源氏の愛撫が身体に残っていて、それが夢のようにはかないことと思い出し、とても物嘆かしくて物思いに沈んでいた。ここでこの姫を「朧月夜の君」と呼ぶことにする。
朧月夜の君は春宮殿結婚を、卯月ころと予定になっていたので、男に体を許したことをとてもたまらなく悩んでいた。
源氏も右大臣家の何女であるかがわからないことであったし、自分へことさら好意を持たない弘徽殿の女御の一族を恋人にしょうと働きかけることは世間体もよくないことと躊躇して 、煩悶を重ねているばかりであった。 そのような時に、弥生の二十日過ぎ、右の大殿の家で、左右に分かれて競射する「弓の結」の会があり、上達部、親王方、大勢集まり、それに引き続いて藤の宴を催した。花盛りは過ぎてしまったが、「見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし」と、教えられたのであろうか、遅れて咲く桜、二本がとても美しい。新しくお造りになった殿を、弘徽殿女御の内親王の姫宮たちの御裳着の儀式の日に、磨き飾り立ててある。右大臣は派手好みの家風のようで、すべて近代好みであった。
右大臣は源氏にも宮中で逢った日に来会を申し入れたのであるが、その日に美貌の源氏が姿を見せないのを残念に思って、息子の四位少将を迎えに出した。
わが宿の花しなべての色ならば
何かはさらに君を待たまし
(わたしの邸の藤の花が世間一般の色をしているのなら、どうしてあなたをお待ち致しましょうか」
右大臣から源氏へ贈った誘いの歌である。源氏は御所にいた時で、帝にこのことを申し上げた。
「得意なのだね」
帝はお笑いになって、
「使いまでもよこしたのだから行ってやるがいい。内親王たちのために将来兄として力になってもらいたいと願っている大臣の家だから」
などと仰せになる。
源氏は帝が進めるので右大臣邸に伺おうと装束などを整えて、たいそう日が暮れたころ、待ち兼ねている右大臣邸に到着した。
源氏の装束は、桜襲の唐織りのお直衣、葡萄染の下襲、裾をとても長く引いて。参会者は皆正式の衣装、袍を着ているところに、艶な宮様姿をした源氏が優美な様子で、丁重に迎えられて会場に入ってくる姿は、なるほどまことに格別である。せっかくの花の美しさも圧倒されて、宴会はかえって興醒めである。
管弦の演奏も大層美しい音色で奏し、夜が少し更けていくころに、源氏は、たいそう酔って苦しいように見せかけ、人目につかぬよう座を立った。
寝殿に、女一の宮、女三の宮とがいる。源氏は東の戸口に入って、壁に寄り掛かって座った。藤はこちらの隅にあったので、格子を一面に上げわたして、女房たちが端に出て座っていた。その人たちはみんな袖口を派手派手しく外に出して色の重なりを見せつけている。その重なりようの大げさな様子は、男女と足を踏みならしながら踊る「踏歌」の夜の見物席が思われた。今日のような日には釣り合わない姿である源氏は見て、趣味の洗練された藤壼の周りの女房をなつかしく思われた。
「苦しいのにしいられた酒で私は困っています。もったいないことですがこちらの宮様にはかばっていただく縁故があると思いますから」
妻戸に添った御簾の下から上半身を少し源氏は中へ入れた。
「困ります。あなた様のような高貴な御身分の方は親類の縁故などをおっしゃるものではございませんでしょう」
と言う女の様子には、重々しさはないが、ただの若い女房とは思われぬ品のよさと美しい感じのあるのを源氏は認めた。薫物が煙いほどに焚かれていて、この室内に起ち居する女の衣摺れの音がはなやかなものに思われた。
今風な派手好みのお邸で、高貴な御方々が御見物なさるというので、こちらの戸口は内親王方の座席が設営されているのであろう。、そこまでするのは、どうかと思われたが源氏はやはり興味に引かれて、「どの姫君であったのだろうか、あの夜の女は」と、胸をどきどきさせて、
「『石川の 高麗人に 帯を取られて からき悔いする いかなる いかなる帯ぞ 縹の帯の 中はたいれるか かやるか あやるか 中はいれたるか』扇を取られて辛い目に遭いました」と催馬楽の石川をわざとのんびりとした声で謡って、その後に扇を交換したことを言いながら姫達の座に近寄って座った。
「妙な、変わった高麗人ですね「帯」でなくて「扇」とは」あやしいお方ですことと答えるが、なぜ「扇」なのか、この女房は事情を知らないのである。
源氏は返事はしないで、わずかに時々、溜息をついている几帳の方によって、几帳越しに、中の姫の手を捉えて、
梓弓いるさの山に惑ふかな
ほの見し月の影や見ゆると
(月の入るいるさの山の周辺でうろうろと迷っています、かすかに見かけた月のような女の人を、また見ることができようかと)
なぜでしょうか」
と、源氏が当て推量に告げるのを、堪えきれないのであろう。
心いる方ならませば弓張の
月なき空に迷はましやは
(本当に深くご執心でいらっしゃれば、たとえ月が出ていなくても迷うことがありましょうか、気持ちが薄いから迷うなどということをいうのです)
と言うその声、まさにあの夜の朧月夜の君であった。源氏は努力した甲斐あった、とても嬉しいのだが。 (花宴終わり)
作品名:私の読む「源氏物語」- 12- 作家名:陽高慈雨