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私の読む「源氏物語」 ー6-

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夕 顔

 六条辺りに源氏は女を囲っていた、その頃こっそりとその女の所に通っていたときのことである。内裏から六条までは結構距離があるので休息しようと、源氏の乳母の一人大弍の乳母が病に臥せっていると聞いていたので見舞い方々休ませて貰おうと寄ることにした。大弍の乳母は病が重いので仏門に縋ろうとすでに尼となっていた。なお源氏にはもう一人の乳母がいる。「左衛門の乳母」である。源氏は大弍の乳母の五条にある家を尋ねた。
 車が入る正門が施錠してあったので、源氏は供人大弍の乳母の子供で源氏とは乳兄弟になる惟光を呼びにやった、惟光が来る間に、田舎道の五条大路の様子を見ていると、乳母の家の隣に、桧の薄い板を網代形に組んで作った板垣を新しく作って、上半分は蔀戸を外側に四、五間ほどずらりと吊り上げて、簾などもとても白く涼しそうなのを隠しにつり下げている、その簾の向こうに美しい額つきをした透き影が、たくさん見えて多分源氏らの一行を珍しい物と覗いている。その影が動き回っている下半身を想像すると、やたらに背丈の高い人たちのような感じがする。どのような者が集まっているのだろうと、源氏は変わった様子におもってみていた。
 源氏はこの日は車もひどく地味にし、先払の者も無しに外出したので自分が誰かと分かることはあるまいと気にすることなく、車から少し顔を出してゆっくりと眺めていた。この家の門は門扉は蔀のようなもので、押し上げて開門する、門から奥の方も奥行きもなく、ささやかな住まいである。しみじみと、世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿と定むる」と古今集の歌を思い出して「どの家を終生の宿とできようか」と考えてみると、宿というものは、こんな小さなのも立派な御殿も同じことであると思ってみていた。
 瓦屋根の葺き方のように横板を下から少しずつ立て重ねて作った板塀のようなところに、とても青々とした蔓草が気持ちよさそうに這いまつわっている、その蔓草に、白い花が、ところどころに微笑んで咲いているように見えた。その花を見ながら源氏は
「うち渡す遠方人に物申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」と古今集のなかの旋頭歌を独り言のように詠むと、随身が聞き取ってひざまずいて、
「あの白く咲いている花を、夕顔と申します。花の名は立派で人並のようでありますが、このようなみすぼらしい垣根によく咲くのでございます」
 という。よく周辺を見るとなるほど小さい家が密集してむさ苦しそうな界隈で、この家もかの家も、古くなってちょっと傾いて、頼りなさそうなそんな家の軒の端などに今供の者が教えてくれた夕顔の花が這いまつわっているの、源氏は
「ひとかどの身を持つ花であるのに、可哀想な可憐な花である、気の毒な花の運命だなあ。一房折ってまいれ」
 と命じたので供の者は、この押し上げてある門から入って行く。
 古びて朽ち果てそうな家とはいえ、しゃれた裏口に、黄色い生絹の単重袴を、長く着こなした女童で、かわいらしげな子が出て来て、入っていった供の者を小さな手で招く。供の者が近づくと白い扇でたいそう香を薫きしめたのを、差し出して、
「これに載せて差し上げなさいね。手で提げては不恰好な花ですもの」
 と言われて供の者が貰ったところ、ちょうどこの時門をあけさせて出て来た惟光の手から源氏へ渡してもらった。、惟光は、花を源氏に差し出しながら、
「鍵を置き忘れまして、大変にご迷惑をお掛けいたしました。身分の善し悪しが分かるような者がおりませぬ辺りです、なにか失礼なことがあったかもしれませぬ、ごみごみした大路にお待たせして申し訳有りません」
 と惟光は手間を取ったことをお詫び申し上げる。

 早速車を大弍の乳母の家の中に引き入れて、源氏は下りる。惟光の兄の阿闍梨、大弍の乳母の娘婿の三河守、娘など、大弐乳母の子供たちが集まっている。それぞれ口々に、このようなむさ苦しいところに、源氏自身が見舞いにお越しあそばされたお礼を、この上ないことと恐縮して申し上げる。大弍の乳母も起き上がって、
「いつ果てても惜しくもない身の上ですが、出家するのを延ばしておりました、源氏様とこのようにお目にかかり、御覧に入れる姿が変わってしまいますことを残念に思いまして。しかし、仏門に入りました効果があって生きながらえ、このようにお越しあそばされました源氏様に、お目にかかれました。今は、阿弥陀様のお迎えを、心残りなく待つことができましょう」
 大弍の乳母は源氏に述べると、弱々しく泣く。それを見て源氏は、
 「毎日、乳母が体の調子が悪いと言うことを聞いて、心配で心痛めていたが、このように、世を捨てた尼姿でいるのを見ると、まことに悲しく残念です。仏の加護を得て長生きをして、さらにわたしの位が高くなるのなども見ていてください。そうしてから、極楽で最上位に差し障りなくお生まれ変わりなさいさい。この世に少しでも未練を残すことは、悪いことと聞いております」
 などと、涙ぐんで語りかける。
 出来の悪い子供であっても、乳母から見れば可愛い出来のいい完全な子供だと思うのであるが、まして、源氏のようなまことに立派な美しい聡明な方を、乳母として親しくお世話申し上げたわが身も、そこらの乳母よりは優れた者であると思っているところに、源氏からの暖かい見舞いの言葉に大弍の乳母はわけもなく涙に濡れるのであった。
 乳母の子供達は、泣き崩れる母を見て、とてもみっともないと思って、
「尼となって捨てたこの世に、まだ未練があるような、母上から源氏様に泣き顔をおみせになって」
 と言って、子供同士が突き合い目配せし、母のうろたえた姿を見ている
 源氏は、こんな乳母の姿を心にしみじみと感じ、
「乳母、私は幼糸記に、かわいがってくれるはずの母や祖母を亡くし、その後で私を養育してくれる人々は沢山いたのであるが、親しく甘えられる人は、乳母の他にいませんでした。成人して後は、色々と定められたこともあり、朝に夕にというように逢うことが出来ず、気が向いた時に訪ねることが出来なかったが、やはり久しく逢わないは、心細く思われました、在原業平の歌の『世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため』(避けられない別れなどはあってほしくないものだ)と思われます」
 と、懇ろに話し、源氏は流れる涙を衣の袖で拭った。そのとき衣にたきこめた香りが辺り狭しと薫り満ちた。その匂いを知ったこの家に集まっている人は、なるほど、ほんとうに考えてみれば、母上は今自分たちの前にいる並々の人でない運命を持っているお方をお育てした乳母であったのだ、泣き崩れる尼君をどうしてそんなにまで泣き崩れれてと非難がましく見ていた人たちも、老いた母が偉大な乳母であったのだと皆涙ぐんだ。
 源氏は加持祈祷や修法などを、更に続けるようにと命じて、この場を立ち去ろうとして、惟光に紙燭を持って来させた。そのときに源氏は惟光が手にしている、先程の女童が惟光に渡した夕顔の花を乗せた扇を見る。使い慣らした女童の主人の移り香が、とても深く染み込んで心が引かれ、扇面に美しく書き流した歌があった。

 心あてにそれかとぞ見る白露の
     光そへたる夕顔の花
(当て推量に貴方さまでしょうかと思います