私の読む「源氏物語」ー3-
帚 木
「光源氏」とは仰々しい名前である。
源氏は彼自身の行動や言葉に非難されることが多いというのに、ますます、色恋沙汰が盛んになった。源氏は後々まで伝わって、彼は軽薄な男であったという浮き名を流すことになるのではないかと考えて、隠していた秘密の事があった。ところがそれも語り伝えたという人があり、意地の悪い世間を気にし、真面目にしようとしたところ、艶っぽくおもしろい話はなくなってしまい、かの有名な浮気者の交野少将が聞いたら笑われることであろう。
源氏がまだ近衛中将の職であった頃、内裏にばかりに泊まって、妻の葵の許に途切れ途切れ帰る。その夜は葵と共に夜を過ごすのである、葵は源氏がこう家に帰らないのは浮気をしているのかと、
「源氏さま、何方か気になるお方でもおありなのですか」
「どうして」
「お帰りが少し遠のいていますから」
「そんなことはないですよ」
「こうすれば、初めての時のように気持ちが高ぶってきますか」
葵は源氏の急所何カ所かを突いたりさすったりしてみて源氏の反応を見る。初めての夜から較べると源氏も慣れてきて葵の手の動きにそれなりの反応を示してくる、それを確かめると葵は満足して気持ちを高ぶらせて源氏に身体を預けて高ぶった気持ちがなくなってしまい、彼の浮気の心配が消えていくのであった。
源氏は葵によって女体を開眼してからは浮気っぽいありふれた思いつきの色恋事などは好きでない性格で、葵との交わりで充分に満足はしているのであるが、時たま、やむにやまれない予想もしない気苦労の多い恋を、心に思いつめる性癖があった。奥に隠っている女が美しい人だと人ずてに聞くともうたまらなくその女に会ってみたい気持ちが高じて人には言えない行動をすることがあった。
長雨が続きいっこうに晴れる日がない、丁度その頃内裏では物忌みの期間に入ったため源氏は内裏に長く宿泊していた。
婿入りした左大臣邸では葵の上が源氏が帰って来るのを待ち遠しく恨めしいと思ていたが、全ての装束を何やかやと新しい様に新調して、葵の兄弟達が源氏に替わって内裏の宿直所の宮仕えを勤めるようにした。
葵の兄弟の中で同じ母親を持つ兄、頭中将は、源氏ととても親しくしていて、遊びやその他のことは遠慮無く打ち明ける仲であった。
この中将は右大臣の娘を妻にしていたのであるが、父親が気を遣ってくれる右大臣邸には、彼も源氏と同じように何となく気が進まずに帰ろうともしない。彼もいかにも好色な浮気男なのであった。
彼の里の左大臣邸でも、源氏の部屋の装飾を当世風に設えて、その部屋にいつも連れだって出入りし、昼も夜も、学問、音楽を一緒して、その腕前は少しも源氏にひけをとらず、またどこにでも二人揃って出かけていく、そうして二人は自然と遠慮もなくなり、胸の中に思うことも隠すことなく、仲睦まじい友人になった。
所在なく雨が一日中降り続いて、しっとりした夕闇に、殿上の宿直の間でもろくに人が少ないので、源氏の居る桐壺はいつもよりはのんびりとした気分であった。彼はすることもなく大殿油を近くに引き寄せて漢籍などぱらぱらっと見るでもなくめくっていた。何時も一緒の頭の中将が近くの厨子にあるいろいろな色紙に書かれた手紙類を見つけて取り出して、見たがるので、
源氏は、
「差し支えがない物は見せてあげよう、しかし内容に問題があるのは止めにしてくれ。」
と一部は許すのだが大部分は見せるわけにいかぬと、取り上げられた。
「その気を許している人からの文は、細々と書かれてあるから見られたら困るわけでしょうが、そのような文こそ私にとっては興味があります。普通のありふれたのは、私でも常に、身分相応に、互いにやりとりしているようなものでみてもしょうがありません。それぞれが、恨めしく思っている折々や、心待ち顔でいるような、夕暮時の男を待っている様子の女達の文が、見る価値がありましょう」
と、頭の中将は怨み言をいう。彼は考えた、源氏は、高貴な女の方からの文などは絶対に隠さねばならならない、このように人が見えるところにある厨子などにちょっと置いて散らかしているはずはなく、奥深く別にしまって置いてあるにちがいない。これらは二流の気にする物ではないだろう。と中将は少しずつ見て行く、
「こんなにも、いろいろな手紙類がございますなあ」
と言って、当て推量に、
「これはあの人か、あれはこの人か」
などと源氏に尋ねる中で、言い当てるものもあり、外れているのをかってに推量して疑ぐる、源氏はそんな頭の中将を面白いと見ている。そして言葉少なに答えて何かと言い紛らわしては、中将の手から取り上げて隠してしまった。そして源氏は中将に
「そしらこそ、女からの文がたくさん有りますでしょう。少し見たいね。そうしたら、この厨子も気持ちよく開けるのだが」
「見せるような値打のものは、ほとんど有りませんよ」
などと中将は答える、そのついでに、
「女性で、難点を指摘しようのない人は、めったにいないものだなあと、だんだんと分かってきました。ただ顔かたちを見ただけで、その女に手紙をさらさらと走り書きしたり、憶えている時節に相応しい言葉を、ちょっと相手に語るぐらいは、身分相応にまあまあ良いと思う、そういう男女は多くいると思うのですが、女で本当にその方面の優れた人を選び出そうとすると、絶対に選に外れないという者は、僅かなものですね。自分の得意なことばかりを言いつのって、他人を落としめたり、誹謗したりなどして、見ていられないことが多いです。」
と源氏に言い更に続けて
「親などが側に置いて大切にかわいがっている娘は、将来性のある箱入娘時代は、男のちょっとの才能の一端を聞き伝えて、関心を寄せることもあるようです。容貌が魅力的でおっとりしていて、若々しくて家の雑事に手を染めることがない内は、ちょっとした芸事に、他人と同じように一生懸命に稽古することも出来るので、自然と一芸をもっともらしくできることもあります。
男、女を世話をする人は、劣った方面は隠して相手に言わず、まあまあ出来るといった方面を体裁を整えるために強調し、それらしく言うので、『それは、そうではあるまい』と、相手を見ないでどうしてあて推量でけなすことができましょう。だからつい本物かと思って付き合って行くうちに、がっかりしてしまうものです。」
と、と言って、嘆息している頭の中将の様子が少し恥ずかしそうに見えた、源氏は、全部が全部というのではないが、自身でもなるほどと思うことがあるので、ちょっと笑みを浮かべて、中将に
「その、一つの才能もない人というのは、いるものだろうか」
と問うてみる、
「さあ、そんなような人のところに誰が騙されて寄りつきましょや。何の取柄もなくつまらない身分の者と、素晴らしいと思われるほどに優れた者とは、世の中に同じくらいますでょう。家柄高い家に生まれると、家人に大切に育てられて、人目に付かないことも多く、自然とその様子が格別問題となるでしょう。中流の女性こそ、外部にそれぞれの気質や、めいめいの考え方や趣味も見えて、あの娘は好い、この娘はどうも、と区別されることが多いでしょう。下層の女、格別関心もありませんね」
「光源氏」とは仰々しい名前である。
源氏は彼自身の行動や言葉に非難されることが多いというのに、ますます、色恋沙汰が盛んになった。源氏は後々まで伝わって、彼は軽薄な男であったという浮き名を流すことになるのではないかと考えて、隠していた秘密の事があった。ところがそれも語り伝えたという人があり、意地の悪い世間を気にし、真面目にしようとしたところ、艶っぽくおもしろい話はなくなってしまい、かの有名な浮気者の交野少将が聞いたら笑われることであろう。
源氏がまだ近衛中将の職であった頃、内裏にばかりに泊まって、妻の葵の許に途切れ途切れ帰る。その夜は葵と共に夜を過ごすのである、葵は源氏がこう家に帰らないのは浮気をしているのかと、
「源氏さま、何方か気になるお方でもおありなのですか」
「どうして」
「お帰りが少し遠のいていますから」
「そんなことはないですよ」
「こうすれば、初めての時のように気持ちが高ぶってきますか」
葵は源氏の急所何カ所かを突いたりさすったりしてみて源氏の反応を見る。初めての夜から較べると源氏も慣れてきて葵の手の動きにそれなりの反応を示してくる、それを確かめると葵は満足して気持ちを高ぶらせて源氏に身体を預けて高ぶった気持ちがなくなってしまい、彼の浮気の心配が消えていくのであった。
源氏は葵によって女体を開眼してからは浮気っぽいありふれた思いつきの色恋事などは好きでない性格で、葵との交わりで充分に満足はしているのであるが、時たま、やむにやまれない予想もしない気苦労の多い恋を、心に思いつめる性癖があった。奥に隠っている女が美しい人だと人ずてに聞くともうたまらなくその女に会ってみたい気持ちが高じて人には言えない行動をすることがあった。
長雨が続きいっこうに晴れる日がない、丁度その頃内裏では物忌みの期間に入ったため源氏は内裏に長く宿泊していた。
婿入りした左大臣邸では葵の上が源氏が帰って来るのを待ち遠しく恨めしいと思ていたが、全ての装束を何やかやと新しい様に新調して、葵の兄弟達が源氏に替わって内裏の宿直所の宮仕えを勤めるようにした。
葵の兄弟の中で同じ母親を持つ兄、頭中将は、源氏ととても親しくしていて、遊びやその他のことは遠慮無く打ち明ける仲であった。
この中将は右大臣の娘を妻にしていたのであるが、父親が気を遣ってくれる右大臣邸には、彼も源氏と同じように何となく気が進まずに帰ろうともしない。彼もいかにも好色な浮気男なのであった。
彼の里の左大臣邸でも、源氏の部屋の装飾を当世風に設えて、その部屋にいつも連れだって出入りし、昼も夜も、学問、音楽を一緒して、その腕前は少しも源氏にひけをとらず、またどこにでも二人揃って出かけていく、そうして二人は自然と遠慮もなくなり、胸の中に思うことも隠すことなく、仲睦まじい友人になった。
所在なく雨が一日中降り続いて、しっとりした夕闇に、殿上の宿直の間でもろくに人が少ないので、源氏の居る桐壺はいつもよりはのんびりとした気分であった。彼はすることもなく大殿油を近くに引き寄せて漢籍などぱらぱらっと見るでもなくめくっていた。何時も一緒の頭の中将が近くの厨子にあるいろいろな色紙に書かれた手紙類を見つけて取り出して、見たがるので、
源氏は、
「差し支えがない物は見せてあげよう、しかし内容に問題があるのは止めにしてくれ。」
と一部は許すのだが大部分は見せるわけにいかぬと、取り上げられた。
「その気を許している人からの文は、細々と書かれてあるから見られたら困るわけでしょうが、そのような文こそ私にとっては興味があります。普通のありふれたのは、私でも常に、身分相応に、互いにやりとりしているようなものでみてもしょうがありません。それぞれが、恨めしく思っている折々や、心待ち顔でいるような、夕暮時の男を待っている様子の女達の文が、見る価値がありましょう」
と、頭の中将は怨み言をいう。彼は考えた、源氏は、高貴な女の方からの文などは絶対に隠さねばならならない、このように人が見えるところにある厨子などにちょっと置いて散らかしているはずはなく、奥深く別にしまって置いてあるにちがいない。これらは二流の気にする物ではないだろう。と中将は少しずつ見て行く、
「こんなにも、いろいろな手紙類がございますなあ」
と言って、当て推量に、
「これはあの人か、あれはこの人か」
などと源氏に尋ねる中で、言い当てるものもあり、外れているのをかってに推量して疑ぐる、源氏はそんな頭の中将を面白いと見ている。そして言葉少なに答えて何かと言い紛らわしては、中将の手から取り上げて隠してしまった。そして源氏は中将に
「そしらこそ、女からの文がたくさん有りますでしょう。少し見たいね。そうしたら、この厨子も気持ちよく開けるのだが」
「見せるような値打のものは、ほとんど有りませんよ」
などと中将は答える、そのついでに、
「女性で、難点を指摘しようのない人は、めったにいないものだなあと、だんだんと分かってきました。ただ顔かたちを見ただけで、その女に手紙をさらさらと走り書きしたり、憶えている時節に相応しい言葉を、ちょっと相手に語るぐらいは、身分相応にまあまあ良いと思う、そういう男女は多くいると思うのですが、女で本当にその方面の優れた人を選び出そうとすると、絶対に選に外れないという者は、僅かなものですね。自分の得意なことばかりを言いつのって、他人を落としめたり、誹謗したりなどして、見ていられないことが多いです。」
と源氏に言い更に続けて
「親などが側に置いて大切にかわいがっている娘は、将来性のある箱入娘時代は、男のちょっとの才能の一端を聞き伝えて、関心を寄せることもあるようです。容貌が魅力的でおっとりしていて、若々しくて家の雑事に手を染めることがない内は、ちょっとした芸事に、他人と同じように一生懸命に稽古することも出来るので、自然と一芸をもっともらしくできることもあります。
男、女を世話をする人は、劣った方面は隠して相手に言わず、まあまあ出来るといった方面を体裁を整えるために強調し、それらしく言うので、『それは、そうではあるまい』と、相手を見ないでどうしてあて推量でけなすことができましょう。だからつい本物かと思って付き合って行くうちに、がっかりしてしまうものです。」
と、と言って、嘆息している頭の中将の様子が少し恥ずかしそうに見えた、源氏は、全部が全部というのではないが、自身でもなるほどと思うことがあるので、ちょっと笑みを浮かべて、中将に
「その、一つの才能もない人というのは、いるものだろうか」
と問うてみる、
「さあ、そんなような人のところに誰が騙されて寄りつきましょや。何の取柄もなくつまらない身分の者と、素晴らしいと思われるほどに優れた者とは、世の中に同じくらいますでょう。家柄高い家に生まれると、家人に大切に育てられて、人目に付かないことも多く、自然とその様子が格別問題となるでしょう。中流の女性こそ、外部にそれぞれの気質や、めいめいの考え方や趣味も見えて、あの娘は好い、この娘はどうも、と区別されることが多いでしょう。下層の女、格別関心もありませんね」
作品名:私の読む「源氏物語」ー3- 作家名:陽高慈雨