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いつか父を追い越す

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『いつか父を追い越す』

三十五歳になる俊介は父親である隆のロボットのように生きた。何もかも父親の敷いたレールの上を走ってきた。大学も、仕事も、そして妻さえも父が選んだ。そして今、父が社長する会社の専務職である。そのことに不満はなかった。むしろ父が決断する度に、父の優れた判断に尊敬の念を深めるだけだった。それゆえ、「お前は父親のロボットだ」と陰口を叩かれてもいっこうに意に介さなかった。少なくとも数年前まではそうだった。
たが、最近、父が老いて、父が下す判断に疑問を感じるようになり、ときどき異議を唱えるようになった。会社の業績はここ数年低迷していた。その理由は明らかだった。父の経営方針が明らかに保守的であり、時代の流れにそぐわなくなったいせいである。彼はそのことに誰よりも早く気づき、物申すものの持論を突き通すだけの力がなかった。だが、何とかしなければならないと思いは時間とともに高まっていった。

経営方針を決める経営会議の席のことである。
俊介は低迷を打破するために思い切って新しい事業の進出を提案し説明を始めた。すると、父は「下らん」の一言で止めさせようとした。ところが、社長に長く仕えた副社長の青木が俊介の意見に賛同したのだ。社長も副社長も、ともに熱くなるタイプで、互いの主張を譲らず、ものの弾みで言ったのだろうが、しまいに七十歳の副社長は八十二になる社長のことを老害だとさえ言い切った。社長はまるでゆでタコのような赤い顔をして、「もう終わりが。終わったら、お前は出ろ!」と会議がまだ途中なのに関わらず副社長に退席を命じた。
会議の後、社長は青木の首を切ろうと思案した。むろん、直ぐに口には出さない。ここぞという時を狙っていたのである。老いても行動に移す慎重さはあった。

会社の空気は異様に張りつめた雰囲気となった。社長と副社長が反目しあったのだから当然といえば当然だった。何よりも社内社外の失望を招いたのは、その状況において何もできない俊介であった。一流大学で経営学を学び、専務という立場でありながら貝のように口を閉ざしてしまったのである。
「あなたは青木さんを見棄てるの」と妻の英恵が言った。
英恵は父の秘書をずっとしていた女であった。俊介と同様誰よりも尊敬しているのは社長だと公言して憚らない妻の発言に俊介は驚いた。
「あなただって、そう思っているのでしょ。お父さんはもはや引退すべきだと。そして、あなたが青木さんと一緒に会社を背負うべきだと。秘書をずっとやっていろんな人を見てきたから、人を見る目には自信がある」と笑みを浮かべた。
「あなたがトップに立つべきだと思う」

副社長が立案した出店計画が想定外の理由で頓挫した。そのことを経営会議の場で報告すると、社長はここぞとばかり副社長を怒鳴りつけた。副社長は唇をかみしめて聞いていた。その内容が罵詈雑言に等しかったので、俊介は口を挟んだら、「お前は黙っていろ!」とまるで子供のように怒鳴りつけた。
 
会議の後、意気消沈している副社長を俊介は飲みに誘った。
飲みながら、俊介は青木の考えを聞いた。自分が思っていることに近いことに驚いた。
「青木さん、あなたの言う通りだ。僕は決心したよ。父に退いてもらおう。これから一緒にやって行こう。実を言うと、ずっと前からそう思っていた。妻にも言われてそう決心したが、なかなか行動にできなかった。今日の一件で良く分かった。長年会社を支えたあなたにあんな言い方はない。もう父は老いて理性より感情に身を任せるようになってしまった」
昼行燈とも陰で嘲笑されている俊介とは思えない言葉に青木は深く感動した。

父が縁側で座っていた。背後から近寄った俊介はその背中があまりに小さいことに驚いた。 父の視線をなぞった。庭の梅の木を見ていた。梅の木はもう花をつけていた。春がもうそこまで来ているのである。
俊 介は父のそばに座り、引退を勧め、そして自分が社長の座につくと宣言した。
「遅かったな。いつ、言うか待っていた。俺も老いたよ。判断力が鈍った。つい感情に身を任せてしまう。そんなことは分かっていた。けれど、どうすることもできなかった」と自嘲気味に笑った後、
「後はお前と青木でうまくやれ」
隆は会社を退いて三年後に病死した。会社ともに生きた人間のあっけない最期であった。

作品名:いつか父を追い越す 作家名:楡井英夫