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京都七景【第十三章】

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 よし、誰もいない。俺はそっと胸をなで下ろした。これで俺の人生も安泰だ。そう思いながらも、妙な気分に陥った」
「どうした?何かあったか?」こらえきれずに、わたしが言った。
「道が二、三〇メートル先で行き止まりだった。これには俺も参った。二人はいったいどこへ消えてしまったのか。あたりを見回すと、左が疎水の遊水池になっている。広くはないが深そうには見える。もしや、無理心中か。だが、そうすると、その先に行った、もう一人はどうなったのか。無理心中を止めようとして、三人とも水に落ちたのだろうか。私は急いで遊水池をのぞいてみた。どうも、それらしき姿は見当たらない。行き止まりまで行ってやっと謎が解けた」堀井は話を止めて、空になったコップにビールを重そうに注ぐと一息に飲みほした。
「謎が、どう解けたんだ?」露野は相変わらず冷静である。
「うん、ちょっと見にはわからなかったが、よく見ると道の突き当たりの金網に沿って幅六〇センチくらいの金属の階段状の橋がかかって遊水池の向こう側に延びている。なあんだ、三人ともそちらに渡ったに違いない。よし、俺も探検してみよう、そう思って渡って行くと、右側は崖になって落ちていてちょっと怖い。しかもその崖の傾斜に沿って二本の巨大な土管のようなものが並んでいる。水音がごうごうと響いて来ることから考えると、どうもその土管の中を遊水池の水が流れているらしい。遊水池を渡った左側には金網に囲まれた一軒家がある。どこから出入りできるのか不明だが、人の住んでいる気配がある。そこを越えると、正面が崖で行き止まりとなり、その崖の下に公園のようなものが見える。へええ、こんなところに公園が隠れていたのか。俺は知らなかった。しかもこの崖の上からは京都市街の見晴らしもいい。俺は早速、崖を左に迂回して公園に降りてみようと崖下の公園を見た。
『これはまずい、じつにまずい』心の中で俺は思った」
「どうしたんだ?」わたしはまた、我慢できずに畳みかけた。
「いたんだよ、あの二人が。しかも、今度は抱き合わずに、二、三メートルの距離を置いて向かい合って立っている。俺はちょうど女の後ろの位置だったから、男の顔だけがよく見える。その様子から、またやり過ごすしかないと思い、ちょっと腰をかがめて頃合いを見はかることにした。すると奇妙なことに、向かい合っている男が体を横に曲げ、じりじりと女の周りを時計回りに回りだした。変なことをするな、と不審に思ったから、今度は女の方に気をつけて見ていると、女はもとの場所を全く動いていない。ただ男の動く方向に首だけまわしている。これはどうしたことだろう。何か『だるまさんがころんだ』みたいな遊びでもしているのだろうか。だが、それにしては二人の動きにただならぬ緊迫感と切迫感が感じられる。さっきまであれほど幸福に感極まり、磁石のS・N極のように引き合って離れられずにいた、二人が、今度はN極同士のように近づくこともせず、男が女の周りをただ衛星のように廻っているとはどうしたことだろうか」
「どうしたことだったんだ?」と、わたしは堀井にさらなる質問を畳みかけた。
「俺は、この不審な事態をどうにか把握しようと聞き耳を立てた。すると、二人の会話が折からの風に乗り、切れ切れに聞こえて来るではないか。
 それは、こんな風だった。
女『…なぜ…つも…たしから…の』
男『……それわ………がしいから……たな…ん』
女『でも…わくら…でき…しょ』
男『…もつま…かん…てるら…ん』
女『…あや…ね…わた…ときら……たん…しょう』
男『…んな……ない……あい…』
女『…そじゃな……うね…』
男『…けっし……そじゃ……あい…る』
女『…れしー…』」
「おい、おい、このわけの判らない会話はいつまで続くんだい」大山がしびれを切らして水を差した。
「おお、すまん、すまん、ここで終わりだ。みんなには、何のことか判らんだろうが、その場にいた俺には、男の苦しそうな表情やくぐもった声、女の声の高低や仕草から、話のおおよその見当はついた」
「どうついたんだ」と、今度は露野が身を乗り出した。
「つまり、こういうことだ。女が命がけで会いに来ているのに、男にもう一つ熱意が足りない。男には妻がいて、どうやら浮気を感づかれている模様である。それで腰が引けているらしい。しかも、逢瀬はいつも女が連絡するばかりだから、女は余計に頭に来ている。だから、あなたは本当にわたしのことを愛しているのかと詰め寄った。男は、苦しい弁解を試みて、女の突き刺すような非難の視線を、右手に横抱きにしたルイ・ヴィトンのセカンドバックで防御しつつ、ついに横を向いてじりじりと女の周りを廻り始めたというわけさ。まあ、見たところ、女は男にぞっこんのようだから、男の「愛してる」のひと言で、なんとか円く収まったらしく、女の方から腕を組むと、仲良く公園を後にしたというわけだ」
「なあんだ、それで終わりか。予想外の展開を期待してたのに、拍子抜けだな」と神岡がつまらなそうにあくびをした。あくびはどうやら大文字の火にも移ったらしい。一時的に火勢が衰えたように見える。
「これで、終わると思うか」と、堀井がいささか挑戦的になる。
「終わりなんだろ」と、わたしが投げを打つ。
「いやいや、どうして。これからが佳境に入るところさ。まあ我慢してこの先を聞いてくれ」
「よし、わかった」みんなは、堀井に敬意を表して、あくびをかみ殺しながら、うなずいた。

作品名:京都七景【第十三章】 作家名:折口学