京都七景【第十三章】
【第十三章 蹴上に消ゆ(二)】
『なんだろう。遠目には、枯れ葉でも集めた麻袋が並べてあるように見えるが。それにしても、使っている麻袋がきれい過ぎるな。もうちょっと安物を使えばいいのに』などと、余計なことを考えながら、何気なく水路に沿って一歩一歩、麻袋の方に近づいて行った。
するとこれはどうしたことだろう。一つに見えた麻袋が、突然、二つに分かれて斜面を斜め前方に転がっていくではないか。俺は自分の目を疑った。そうして転がっていく麻袋にさらによく目を凝らして、はっとなった。俺は一瞬にしてすべてを了解した」
「なな、なにを了解したんだ」と、大山が我慢できずに、つい大声を出した。
「それをこれから言うんじゃないか」と、露野が、あくまで冷静に応じる。
「そう、つまり、こういうことだ。俺が麻袋だと思っていたのが、実はさっきの二人連れだったということさ。俺も、遠目に動かなかったものだから、てっきりゴミ袋が置いてあるものだと勘違いしていた。」
「でも、どうして動かなかったんだ」と、今度は露野が不得要領な顔つきをする。
「それは、これまでの話の流れからして、自ずと判るはずだが」
「というと」
「鈍いな、ひしと抱き合っていたに決まっているじゃないか」
「でも、どうしてそんな目立つところを選んだんだ」と、露野はあくまで納得が行かない様子である。
「俺の説明が不十分だったからだろうが、決して目立つ場所じゃないんだ。そこは、こちらから見ると太い木立の陰になって大人二人が隠れるには十分だ。しかもその木の根元に濃い薮まであるから、うまい具合に足もとも隠れる。おまけに通行人が下から見あげても、薮がじゃまして胸もとあたりまでを隠してくれるから、じっとしてればまず人に気づかれる心配もない。それに通行人は水路に気をつけて歩かないといけないから、わざわざ上を見上げたりはしない。つまり、ひしと抱き合うには絶好の場所なのさ」
「じゃ、堀井はどうして気がついたんだい。そんな絶好な場所を、堀井が気づくとも思えんが」と大山が疑問を呈する。
「ここは、やはり意図的なものを感ぜざるを得ないな」と神岡も疑義を呈する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は言ったはずだよな、恋する二人の後をわざわざつけて、のぞき見するような、性根の腐った男では、俺は断じてない、と」
「じゃあ、どうしてわざわざつけてのぞき見したんだい」とわたし。
「だから、言ってるだろ、誤解なんだって。最初から話を聞いていれば分かりそうなもんだが。いいよ、わかったよ、もう一度順序立てて説明するから、素直に理解するんだぜ。
まず第一に、俺は二人をはじめから認識していたわけじゃない。落ち葉の入った麻袋があるなと思っただけだ。どうしてそこへ目がいったかというと、さっきも言ったように水路閣が気に入ってあたりを見回していたから、白い麻袋が目にとまったにすぎない。もし二人が先に動き出さなければ、俺は気づかずに通り過ぎていたと思う。
それにもう一つ。俺の歩いていた場所が水路の左側だったということもある。二人は右側に隠れていた。俺が右側からくれば木立にすっかり隠れていたはずだが、左側からだと少しずれて、木から姿が少しはみ出して見える。それで気がついたんだ。これだけで十二分に分かってもらえると思うが、だめ押しにもう一つ付け加えさせてもらう。それは、二人が急いで遠ざかるときに感じた俺の気持ちこそが、俺が覗き見していない一番の証拠になるということだ。というのは、俺の方を見ながら、男を一生懸命引っ張っていく女の必死さに俺は何かただならぬものを感じた。おれはまたはっとして、一瞬のうちにすべてのことを了解した」
「よくまあ、一瞬にしてすべてを了解する男だな」大山がぼやくように、つぶやいた。
「まあ、そこは芸術家気質みたいなものだ」
「へえ、おまえに芸術家気質があったのか」
「あったか、なかったかは、とんとわからないが、今にわかる。目下、芸術研究者に甘んじてはいるが、何を隠そう、俺はいずれ芸術家たらんと欲している」
「欲しているだけかい」
「何を言うか。欲しないで、なんの、芸術家になれるものか。欲すれば通ず、だ。が、まあ、それはそれとして、話をもとにもどすぜ。
それでだ、これは、ひょっとして、ひょっとするかもしれないな、いや絶対ひょっとしているに違いない、そう思った」
「どうひょっとしてると思ったんだい」とわたし。
「あまり自分から進んで言いたくないことだが、女はひょっとして俺を、のぞき目的で二人をつけて来ている、いやらしい人間だ、と誤解しているんじゃないのか。そう気がつくと、俺は凍りついて、その場から動けなくなった。俺は断じてそんな人間ではない。それは俺にもよく分かっている。だが他人に分かっているかは萱の外だ。いや、藪の中だったか、ちがう、思案の外か。まあ、表現はどうでもいい、つまり、当てにはならない、ということだ。とにかく、仮にそう思われているとしたら、これから二人の後について行くのは極めて危険である。場合によっては、誤解が誤解を生み、人が人を呼び、警官がパトカーを呼んで、警察に突き出され、あたら前途有望たる、あるいは絢爛豪華たらんとする、わが人生を、短日月の間に棒に振ってしまうかもしれない。よし、これ以上進むのは止そう。うーむ、だが疎水は何としても最後まで見とどけたい。俺は言い知れぬディレンマに陥った。すなわち、この思いこそが俺の清廉潔白の証というわけだ。お分かりいただけたかな」
「まあ、ものは言いようだと言う気もするが、俺は信じるよ」。」と大山が応じた。
「そうだな、普段の行動からして、お前がそこまで大それたことをするとも思えんしな。おれも信じる」とわたしも応じる。
「おお、ありがとう。やっとわかってくれたか」堀井は、ほっと安堵のため息をもらした。
「よし、僕にもよくわかった。で、そのあとはどうしたんだい」と神山。
「俺も、早くそっちの方が聞きたいな」と露野が珍しいことを言う。
「おれも」
「おれも」
間髪入れずに、大山とわたしの声が続く。
「なんだよ、お前たちの方がのぞき趣味じゃないか。しょうがないな。ま、この際そこは置いてといて、話の先を続けることにするよ。
そこでだ、俺は考えた。とにかくこのまま進んではまずい。二人をしばらく行かせて二人との距離を空けよう。と、そのとき、運よく、二人の先を歩いていた人影が疎水の突き当たりを右に曲がるのが見えた。そうか、疎水はあそこで突き当たりになってはいない、まだ右がある。なら、二人があそこを曲がるまでここにしゃがんで、疎水の流れに目を任せるのも悪くはない。俺はたたずんで水の流れに目を遊ばせた。すると、動いてゆくものを見ているはずなのに、心が妙に落ち着いて気分がいいではないか。俺は時計を見た。たっぷり十五分はたっている。それからおもむろに曲がり角の方へ目を向けた。さすがに誰もいない。先に行った人も戻って来てはいない。よし、ゆっくり歩けばよもや追いつくこともあるまい。わたしは立ち上がって歩き始めた。
曲がり角に来た。俺は生け垣のような作りになっている所から恐る恐る顔を出した。
『なんだろう。遠目には、枯れ葉でも集めた麻袋が並べてあるように見えるが。それにしても、使っている麻袋がきれい過ぎるな。もうちょっと安物を使えばいいのに』などと、余計なことを考えながら、何気なく水路に沿って一歩一歩、麻袋の方に近づいて行った。
するとこれはどうしたことだろう。一つに見えた麻袋が、突然、二つに分かれて斜面を斜め前方に転がっていくではないか。俺は自分の目を疑った。そうして転がっていく麻袋にさらによく目を凝らして、はっとなった。俺は一瞬にしてすべてを了解した」
「なな、なにを了解したんだ」と、大山が我慢できずに、つい大声を出した。
「それをこれから言うんじゃないか」と、露野が、あくまで冷静に応じる。
「そう、つまり、こういうことだ。俺が麻袋だと思っていたのが、実はさっきの二人連れだったということさ。俺も、遠目に動かなかったものだから、てっきりゴミ袋が置いてあるものだと勘違いしていた。」
「でも、どうして動かなかったんだ」と、今度は露野が不得要領な顔つきをする。
「それは、これまでの話の流れからして、自ずと判るはずだが」
「というと」
「鈍いな、ひしと抱き合っていたに決まっているじゃないか」
「でも、どうしてそんな目立つところを選んだんだ」と、露野はあくまで納得が行かない様子である。
「俺の説明が不十分だったからだろうが、決して目立つ場所じゃないんだ。そこは、こちらから見ると太い木立の陰になって大人二人が隠れるには十分だ。しかもその木の根元に濃い薮まであるから、うまい具合に足もとも隠れる。おまけに通行人が下から見あげても、薮がじゃまして胸もとあたりまでを隠してくれるから、じっとしてればまず人に気づかれる心配もない。それに通行人は水路に気をつけて歩かないといけないから、わざわざ上を見上げたりはしない。つまり、ひしと抱き合うには絶好の場所なのさ」
「じゃ、堀井はどうして気がついたんだい。そんな絶好な場所を、堀井が気づくとも思えんが」と大山が疑問を呈する。
「ここは、やはり意図的なものを感ぜざるを得ないな」と神岡も疑義を呈する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は言ったはずだよな、恋する二人の後をわざわざつけて、のぞき見するような、性根の腐った男では、俺は断じてない、と」
「じゃあ、どうしてわざわざつけてのぞき見したんだい」とわたし。
「だから、言ってるだろ、誤解なんだって。最初から話を聞いていれば分かりそうなもんだが。いいよ、わかったよ、もう一度順序立てて説明するから、素直に理解するんだぜ。
まず第一に、俺は二人をはじめから認識していたわけじゃない。落ち葉の入った麻袋があるなと思っただけだ。どうしてそこへ目がいったかというと、さっきも言ったように水路閣が気に入ってあたりを見回していたから、白い麻袋が目にとまったにすぎない。もし二人が先に動き出さなければ、俺は気づかずに通り過ぎていたと思う。
それにもう一つ。俺の歩いていた場所が水路の左側だったということもある。二人は右側に隠れていた。俺が右側からくれば木立にすっかり隠れていたはずだが、左側からだと少しずれて、木から姿が少しはみ出して見える。それで気がついたんだ。これだけで十二分に分かってもらえると思うが、だめ押しにもう一つ付け加えさせてもらう。それは、二人が急いで遠ざかるときに感じた俺の気持ちこそが、俺が覗き見していない一番の証拠になるということだ。というのは、俺の方を見ながら、男を一生懸命引っ張っていく女の必死さに俺は何かただならぬものを感じた。おれはまたはっとして、一瞬のうちにすべてのことを了解した」
「よくまあ、一瞬にしてすべてを了解する男だな」大山がぼやくように、つぶやいた。
「まあ、そこは芸術家気質みたいなものだ」
「へえ、おまえに芸術家気質があったのか」
「あったか、なかったかは、とんとわからないが、今にわかる。目下、芸術研究者に甘んじてはいるが、何を隠そう、俺はいずれ芸術家たらんと欲している」
「欲しているだけかい」
「何を言うか。欲しないで、なんの、芸術家になれるものか。欲すれば通ず、だ。が、まあ、それはそれとして、話をもとにもどすぜ。
それでだ、これは、ひょっとして、ひょっとするかもしれないな、いや絶対ひょっとしているに違いない、そう思った」
「どうひょっとしてると思ったんだい」とわたし。
「あまり自分から進んで言いたくないことだが、女はひょっとして俺を、のぞき目的で二人をつけて来ている、いやらしい人間だ、と誤解しているんじゃないのか。そう気がつくと、俺は凍りついて、その場から動けなくなった。俺は断じてそんな人間ではない。それは俺にもよく分かっている。だが他人に分かっているかは萱の外だ。いや、藪の中だったか、ちがう、思案の外か。まあ、表現はどうでもいい、つまり、当てにはならない、ということだ。とにかく、仮にそう思われているとしたら、これから二人の後について行くのは極めて危険である。場合によっては、誤解が誤解を生み、人が人を呼び、警官がパトカーを呼んで、警察に突き出され、あたら前途有望たる、あるいは絢爛豪華たらんとする、わが人生を、短日月の間に棒に振ってしまうかもしれない。よし、これ以上進むのは止そう。うーむ、だが疎水は何としても最後まで見とどけたい。俺は言い知れぬディレンマに陥った。すなわち、この思いこそが俺の清廉潔白の証というわけだ。お分かりいただけたかな」
「まあ、ものは言いようだと言う気もするが、俺は信じるよ」。」と大山が応じた。
「そうだな、普段の行動からして、お前がそこまで大それたことをするとも思えんしな。おれも信じる」とわたしも応じる。
「おお、ありがとう。やっとわかってくれたか」堀井は、ほっと安堵のため息をもらした。
「よし、僕にもよくわかった。で、そのあとはどうしたんだい」と神山。
「俺も、早くそっちの方が聞きたいな」と露野が珍しいことを言う。
「おれも」
「おれも」
間髪入れずに、大山とわたしの声が続く。
「なんだよ、お前たちの方がのぞき趣味じゃないか。しょうがないな。ま、この際そこは置いてといて、話の先を続けることにするよ。
そこでだ、俺は考えた。とにかくこのまま進んではまずい。二人をしばらく行かせて二人との距離を空けよう。と、そのとき、運よく、二人の先を歩いていた人影が疎水の突き当たりを右に曲がるのが見えた。そうか、疎水はあそこで突き当たりになってはいない、まだ右がある。なら、二人があそこを曲がるまでここにしゃがんで、疎水の流れに目を任せるのも悪くはない。俺はたたずんで水の流れに目を遊ばせた。すると、動いてゆくものを見ているはずなのに、心が妙に落ち着いて気分がいいではないか。俺は時計を見た。たっぷり十五分はたっている。それからおもむろに曲がり角の方へ目を向けた。さすがに誰もいない。先に行った人も戻って来てはいない。よし、ゆっくり歩けばよもや追いつくこともあるまい。わたしは立ち上がって歩き始めた。
曲がり角に来た。俺は生け垣のような作りになっている所から恐る恐る顔を出した。
作品名:京都七景【第十三章】 作家名:折口学