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靴ベラジカ
靴ベラジカ
novelistID. 55040
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Wie geht's ―はじめまして

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適当に積まれた枝の上にぼうぼうと炎が踊る。
気が付いた時、ティカの頭はまだぐわんぐわんとした反響が残っていた。
振り向くと、すぐそばに見なれた村の風景が見える。
もう空は暗くなり、夜になっている。 どれだけ此処にいたのだろうか。

彼女はなかなか気付かなかった。 何度も何度も通った道の、
いつか登ってみよう。 そう思いながらも、結局登る事なく
横目にしてきた、あの街道沿いの崖の上に、いつの間にか居た事に。
きっと冒険が待っている。 小さい頃にそう思い、
あれほど憧れていたこの場所にたった今いるのに、
自分は大した感情を抱いていないことにも。

なんでここにいるんだろう。
確か、『レミー』を待つ為にアベントロートに帰ろうとして、
途中で魔物みたいな大きな熊に襲われて、
そうしたら大きな音がして、

―大きな音?

さっきの大きな、いや、『大きな』じゃ足りない。
あの『すさまじい音』はなんだったんだろう?
思い出しただけでも恐ろしかった。

ティカは大きな物音といえば、小さな収穫祭の歓声や、
酒場の喧しくも楽しそうな海の男達の笑い声、そのような物しか聞いた事が無かった。
だが、何故か先ほどの『すさまじい音』は違ったのだ。
経験ではない。 彼女にもっと根付いた、
…いや、人間の本能のような何かかもしれない。
自分の人生のほんのひとかけら、 ―それは自分さえ忘れていたものだが、
一瞬でそれは確かに打ち消された。 錯覚のはずだが、大切な何かを、
人の笑い、泣き、苦しみ、喜びをその音に無様に壊されたような気がしたのだった。

 「できた」
男がつぶやく。 焚き火の向こうに、焼けた肉を手にした若者がいる。
香ばしい匂いはするが彼のやる気は見えない。 男の子はお肉が大好きなのよ、と
母はよく言っていたのだが。
 「食べないの」
ティカが問う。 彼もさっきの音を聞いてしまって、怖い思いをしたのかもしれない。
目の前の男がどんな男なのかすらもわからないのに。
愚かだが純粋な少女なのだ。
 「多過ぎて食べきれない」
彼の背後に肉が大量に積まれている。
身も骨も厭に大きいのが気になる所だが、腹の虫は小さな事を勝手に食べてしまうものだ。
 「もらっていい?」
無反応。 彼は肉を食み始めていた。
様子を伺いつつ、ティカも焼けた肉をかじる。

食べる事は幸せだ。 荒んだ気持ちもいつの間にか癒えて来ていた。
 「あんな音、初めてだった」
肉汁を口の周りに付けたまま、彼女は口にする。
 「怖かったなぁ」
次の一声は柔らかい。

目の前の気だるげな男は、今のティカには
怖くて何も言葉に出来ない、小さな子供のように映っていた。
何かが恐ろしくてたまらない子供が、同じ子供に寄り添い恐怖を紛らわす。
相手にとってはどうなのかはわからないが、少なくともティカにとって
今はそういう状況なのだ。
 「怖くないよ」
男は少し笑みを浮かべる。
 「動かない死体とか煩い音とかより、人間が一番怖い」
真意はわからなかったが、ティカは頷いて答えた。
 「アベントロートなにもないよ。 そんな怖いものはなにも」
 「だから来たんだよ」
さっきから適当な返事だ。 思いつく事はさっと言ってしまい、無駄は言わない。
その為に黙りこくった空気が場に満ちるのだが。 少女にその空気は耐えがたい。

 「お…、お肉、おいしいね」
 「じゃあ燻製にしようか」
面構えに似合わず切り替えの早過ぎる男だ。 気付いたらすでに彼は、ディナーをやめて
燻すために香りの良い木を探し始めている。
肉をごちそうになった恩もあり、ティカはいつの間にか
頼まれるでもなく、ろくにやったことのない燻製作りを手伝っていた。
訳も分からず、出会った相手と慣れ合っている時点で既におかしいというのに、
こんな所で共に燻製を作る、とはどうしようもなくおかしな絵だが、
彼女は何故か、悪い気はしなかった。