ファースト・ノート 7
何度も息をつぎながら言葉をつないだ。誰もが次々と不平を口にする。
要がインディーズ時代から固定のメンバーを組まずに活動してきたこと、晃太郎はどこのバンドにも属することのないスタジオミュージシャンの位置づけであること、何よりも――修介がこの世にいないことを知っていての発言なのだろうか。
皆が呆然自失するなか、隣に座っている晃太郎は平然とした面持ちで言った。
「おまえに金を落すのが惜しくなったってことさ。あそこの社長にはよくあることだ」
火のついた煙草を口から離すと、ゆっくりと煙を吹き出した。行き場のない怒りを口々に漏らしていたスタッフたちが白煙に飲みこまれてゆく。コントロール・ルームの戸口に立っていた要が近づいてきて、ななめむかいに腰を下ろした。
「俺の実力が足りないってことなんだろ」
ため息交じりにそう言うと、プロデューサーががっくりと肩を落としたのがわかった。
口数の少ないこの小柄な男性は、ストリートに立っていた要を発掘して売れない時代からずっと後押しをしてくれたそうだ。
要の最初のファンだと言って譲らない彼は、要の楽曲作りに一切口出しをせず、ベストのバックバンドメンバーを揃えてきてくれたらしい。インディーズ事務所の人間でありながら、メジャーデビューを一番心待ちにしていたのは彼だったかもしれない。
要のために奔走し続けた青年が悔し涙を流している。
要は青年の肩を叩きながら、プロデューサーにむかって言った。
「ここで残りの三曲を作らせてもらえますか。完成したら東京に行きます。オーディションを受けるなり現地でライブをやるなり、まだ道はたくさんありますから」
要はまたブースに入っていった。晃太郎も煙草をもみ消して立ち上がった。
ガラスのむこうにいる要はギターを持って笑っていた。ずっと眉をしかめていたエンジニアにも落胆していたプロデューサーにも、希望が伝染する。
晃太郎のうしろについてブースに入ろうとすると、彼は小さな声でつぶやいた。
「最後の一曲が問題だな」
発言の意図を読めないでいると、わずかにふりむいて言った。
「修の録音は三曲分しかない。四曲目のベーシストはどうするつもりなんだろうな」
ベーシストに用意されたシールドとアンプは、使われないまま置かれている。修介が亡くなって数日しか経ってないとはいえ、新たな曲を作るためには新しいベーシストを据える必要がある。それは同時に修介の居場所を奪っていく作業でもあった。
決して埋まることのない空白を、要はどうやって繕っていくのだろう。
グランドピアノの前に座った。要が指示したのは『思い出糸まき』だった。
晃太郎のカウントで曲が始まる。ミドルテンポのギターストロークに合わせて修介のベースが入ってくる。ピアノは高音のアルペジオを繰り返す。
修介と過ごした最後の夜がよみがえる。
内緒話をするように三人で顔をつきあわせてこっそり音を出したあの夜――記憶の糸はどこまでも続く。ついと巻き戻せば喜びも悲しみも苦しみもすべてが切れることなくついてくる。忘れたくない笑顔も消し去りたい涙も、細く長く一本の糸になって今ここにいる自分につながっている――
要が体の奥底から声をふりしぼって歌っている。涙はこぼれないけれど、きっと泣いていると思った。歌声がいつもよりも震えているように感じた。
コントロール・ルームにいる誰もが彼の音楽に聞き入っていた。
大丈夫ですよ、要さん――修介の声がすぐそばで聞こえてくるようだった。
その日の夜、湊人が高村家に戻らなかった。彼が使っていた二階の和室から身の回りのものが姿を消していた。部屋の真ん中に残された置手紙には「お世話になりました。ありがとう。湊人」とだけ書かれていた。携帯電話は着信拒否をされてつながらなかった。
次の日も、その次の日も帰ってこなかった。いなくなってはじめて、湊人の自宅の住所や電話番号を知らないことに気づいた。
仕事やレコーディングに追われるうちに日々は流れ、瞬く間に五日がたってしまった。
要はさほど心配していないようだった。ここにきてすぐの時とは違って、湊人なりにやりたいことがあって出て行ったのだろうと言った。
修介も湊人もいなくなってしまった高村家は、ろうそくの火が消えていくように元の薄暗さを取り戻していくようだった。
作品名:ファースト・ノート 7 作家名:わたなべめぐみ