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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 7

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7.マイ・デシジョン



 修介が収容された病院に着いたのは日が高く昇った頃だった。

 湊人とともに要の車から降りると、湿気を含んだ風が吹いていた。じっとりとした熱気が素肌にまとわりつく。西から青空を食い尽くすように積乱雲がせまっている。

 救急搬送用の出入り口に芽衣菜が立っていた。小走りにかけよっていくと、初音に抱きついて泣いた。

 病室には修介の親族がいた。遺体にしがみついているのは母親に違いないだろうと思った。ベッドの足元に父親が立ち、取り囲むように兄弟たちが見守っていた。
 黒いつぶらな瞳をした姉らしき人が初音たちに頭を下げた。

 ベッドには修介が横たわっていた。頭には包帯が巻かれている。要は顔にかけられている白い布をとった。輪郭が変形し、無数の痣や傷跡が皮膚に残されていた。

 頬に触れた。氷よりも冷たい感触が、修介の魂はもうここにはいないと物語っていた。

 湊人は何度も修介の名前を呼んで涙をこぼした。芽衣菜が初音にしがみつき、嗚咽を上げる。芽衣菜のウェーブのかかった髪をなでた。いつもならきちんと手入れされている彼女の髪が、乱れてもつれていた。要は押し黙ったまま遺体を眺めていた。

 ノックに続き、スライドドアから姿を見せたのは晃太郎だった。珍しく息を切らしている。泣いている湊人を押しよけ、要の横に立った。

 修介のゆがんだ顔に触れるむき出しの手首が、かすかに震えていた。

 母親は病室の隅に立ったまま、頭を下げて涙を流し続けた。



 初音たちが退室しても、芽衣菜は病室から動こうとしなかった。家まで送っていくからと要が誘っても、修介のそばから離れたくないようだった。

 バックバンドのメンバーにすぎない芽衣菜が、なぜ初めに修介の事故死を知ったのか――両親が携帯電話の着信履歴を見て、最も回数の多かった彼女にかけてきたそうだ。どうやら、修介が結婚すると言っていた相手が、芽衣菜だったようだ。

 要がそのことを伝えると、そんな話にはなっていない、けれど付き合っていたのは事実だと芽衣菜は言った。結婚なんてできるわけがない、だってそうでしょ、こんなことになっちゃって――そう言って彼女は泣きじゃくっていた。

「まさか修がなあ……」

 病室を出たあとも、ほとんど口を開かなかった要がハンドルを握りながらつぶやいた。
 助手席には晃太郎、後部座席には初音と湊人が座っている。

 フロントガラスに雨粒が落ち始める。ぽたりぽたりと視界を遮っていく滴はしだいに勢いを増し、初音たちを薄暗い世界に閉じこめていく。

「どうして修さんが……」

 湊人がまた涙を落した。うらやましく思えるほど、真っすぐな涙だ。

 サイドガラスは雨粒に覆われ、風景は水彩画のようににじんで流れていく。事故死に神経が鈍くなってしまったのか、修介を失った悲しみで胸は破裂しそうなのに、涙が出ない。

 なぜ修介が死ななければならないのか――あの場にいた誰もが自問していたことだろう。
 おそらくまだこの世を彷徨っている修の魂も、なぜ自分が死ななければならなかったのか考えているに違いない。心のどこかで覚悟していた徹治の死よりずっと早くやってきた修介の事故死は、現実味を帯びないまま心を覆っていた。

 高村家につくと心が緩んだのか、初音は空腹を感じた。丸一日、何も食べていなかった。
 あまり期待はせずに冷蔵庫を開けると、大きな鍋がど真ん中に鎮座していた。

「修くんが作っていったカレー……だよね」
「まだ残ってたんだな」

 うしろからのぞきこんできた要が両手鍋を取り出した。
 ふたをあけると、中にはまだ二人前ほどのカレーが残っていた。

「腹減ったし……食うか」

 要がコンロのつまみをひねったので、初音は戸棚からごはんのパックを取り出した。

 目の前で修介のカレーが煮えている。作った本人は死んでいないのに、残されたものを自分たちは食べようとしている。死は生の延長線上にあるはずなのに、心に生まれるこの隔たりは一体何なのだろう。

 湊人が小皿にごはんを盛っていく。初音がひとつずつカレールーをかけていくと、なぜか小皿は五枚あった。湊人はテーブルに小皿を運びながら言った。

「修さんも食べたいだろうと思って」

 テーブルにはいつのまにか缶ビールも並べられていた。
 晃太郎が湊人の前にコーラの缶を置く。まぶたのはれた湊人が口先をとがらせる。

「俺だってビールくらい飲めるのに」
「お子様は炭酸ジュースでも飲んでろ」

 湊人の頭の上に手をのせると、肩を押して椅子に座らせた。
 無言でカレーライスを食べた。昨日、味見をしたときより美味しくなっていた。
 二度と食べられない修介のカレーライス。胸がつまって涙がこみ上げてきたが、涙でカレーの味が消えるのが嫌で、必死にこらえた。湊人はためらいなく涙をこぼし、修介の分まできれいに食べた。

 食料を買い足し、大量のビールを飲み終える頃には、室内が暗くなっていた。片扉が外れたままの鳩時計の音がむなしく室内に響き渡る。酔いつぶれた要はうつぶせになってソファに寝ている。湊人もテーブルにふせたまま寝息を立てていた。

 初音が空き缶を片づけて帰り支度を始めると、晃太郎も立ち上がって言った。

「送っていく。修にみたいに死なれたらかなわない」

 声は静かだったが、少し笑っていた。
 初音は湊人の肩を叩いて自室に戻るように促し、要にタオルケットをかけた。

「また明日来るからね」

 立ち去ろうとすると、要が手を取った。

「一人じゃ危ない……」
「大丈夫よ。途中まで深町と一緒だから」

 思うように体が動かないのか、あきらめたように手の力を抜いた。
 要の熱い手のひらをソファの上に戻すと、晃太郎と共に静かに部屋を出た。

 外は雨がやんで澄んだ空気を取り戻していた。足早にすぎさる雲の間から小さな星が見える。二人で並んで濡れた路面を歩く。晃太郎は煙草を取り出した。

「明日は通夜か。何回やっても葬式ってのはいやなもんだな」

 煙草を口にくわえたまま、両手でジーンズのポケットを叩いてライターを探す。
 初音は黒いポロシャツの胸ポケットを指差して言った。

「最近もお葬式があったの?」
「三十路になると葬式ばっかだよ。親戚、知人の親、旧友……去年ばあさんが死んだときは寿命だって思えたけど、俺より若いやつがバタバタ死ぬとさすがにこたえるな」

 ライターの火が灯り、暗闇の中に晃太郎の顔がぼんやりと浮かぶ。

「修くんの他にも大事な人をなくしたの……?」

 晃太郎を見上げて言った。煙を吐き出して夜空を仰ぎ見る。
 逝ってしまった修介の魂を探すように、晃太郎はゆっくりと首を回して言った。

「二年前に俺の息子が亡くなった」

 煙草の赤い光の先から灰がこぼれ落ちる。何度か指を動かしてからまた煙草を吸う。
 立ち上る白煙は夜風に乗ってどこまでも流れていく。

「乳幼児突然死症候群ってやつだ。原因はわからなかった。俺が煙草を吸ってるせいだって、むこうの親にはずいぶん責められたな」
「でも、赤ん坊のいるところでは吸ってなかったんでしょ……?」