WonderLand(中)
父の顔が恐怖に引きつった。
大きく目を見開いて、声にならない声を出そうとする。
あたしはようやく、父の前で光を浴びた。
「ア、アリス…」
「ねぇ、パパ。ずっとアリスは見てたのよ。アリスは、あたしたちの度重なる遊戯を、こうしてずっと見ていたのよ」
ウサギが舐めるように、父の顔のすぐ傍で囁いた。
父はぱくぱくと口を震わせ、何かを云おうとしたけれど、それ以上言葉にはならなかった。動こうとしても、もう動くことはできなかった。睡眠薬が、効いていた。
あたしは父に歩み寄った。あたしが手に握り締めているものを見て、父の顔はさらなる恐怖で青ざめた。
カッターナイフだった。初めて父とモモコの情事を見た日に、モモコから受け取った五千円で唯一買ったものだった。あの日、いつしかこうなる日が来ることを、あたしはきっと知っていたのだ。
そう、運命を知っていたのだ。
「や…やめ」
父の目蓋は、もう殆ど開いてはいなかった。抵抗の甲斐なく、父の意識はそこでぷっつりと途切れた。
「おやすみなさい」
あたしは、だらしなく垂れた父のその男の根源に、躊躇いなくカッターナイフを振りかざした。
リリーさんの言葉が、頭によぎる。
「男って生き物は、チンポをはやしてる限り、女のケツを追いかける生き物なんだよ」
あたしの運命は、最初から決まっていた。今、こうして父親にナイフを振りかざした自分も、ずっと昔から決まっていた運命なのだとわかっている。
でも、ウサギに出会わなければ、父がウサギと逢い引きしていなければ、今のあたしが存在することを否定できたかもしれない。
あたしは、あたしの運命を呪ってなどいない。そう思いながらも、あたしは、その陰の根源である父の男根を殺してやりたかった。
その後のことを、あたしはよく憶えてはいない。
赤黒い鮮血の中に、父が横たわっている。それだけしか、思い出せない。その赤黒い液体は、父がいつも飲み干すあのワインの色によく似ていた。
「それ、あたしに頂戴」
ウサギは、父から切り離された萎んだそれを見て、云った。
「どうするの?」
「プレゼントしたい人がいるの」
作品名:WonderLand(中) 作家名:紅月一花