Three timeless Movements
Three Timeless Movements
永野
序
愛が人の形の実像になると怯える性質は僕にもある。その人が愛を抱えられたとしても、泣き続ける経験で出来た辛さへの信奉と畏れがある。
そういう経験は僕にも山ほど有る。
かつては、人の根本である一期一会だって馬鹿に出来ていた。
けど、今なら人を信じることについて、大きな意味を喜びの圧として感じる。人を信じずに生きる事は、暗い景色の中に多くの人間を閉じ込めるものだと語る者は多いが、それは違う。実質は当事者が暗室に逃げ込むものだ。
違う解釈に響き、言葉遊びのような軽々しさで嘲るかもしれない。
僕はその狭く暗い場所に一つの光明すら要らない。
いつだって人は友人を想う事ができる。
想いこそ永遠の温もりで羅針盤だ。
これから教える物語は、泥の中に一滴の輝きを沈めるような逸話だ。
語り部はやや長い前置きだとしても何度も伝えたい想いの癖がある。
人生に無関係な語りとなったら仕方ないけれど、
気づいて胸の中で大事にしてもらえれば、語り部の人生として、最上の喜びを得るものだ。
1.
鈍重な鉄と炭が噛み合うたび、車輪は回転を速めて次の街に向かう。
蒸気機関車の黒いモヤも無ければ遠吠えもない。
澤宮一之助はあてもない旅によって生まれる何かを求めていた。
一ヶ月ほど経って、得るモノが何かという期待に満ち、もうすぐ手に入る感覚がしていた。
一年経つと欲しいモノが遠ざかった直感が強まり、大分焦って世界を周ったものの、目標から無意味に距離を空けた気がしてならなかった。
彼は時空列車を他の人と同じように、流行にかぶれた理由で選ばなかったし、
特殊に強い興奮を抱いたわけでもなく、世界一周旅行の延長線上の期待が大きくて応募にハガキを送った。
停車場でちょっとでも整備を手伝えば安く上がり、想った以上に大きな寝具も借りられた。何時の何処の場も回れて、後学になるからこれを逃す手はないと父親の免許を拝借した。
見まねで覚えた技術で大まかに済まし、細かい技術は聞きながら試し試しで過ごした。
金は貰えないけれど、列車を使う間は食事と風呂と洗面に心配がないため、物質的な困窮がなかった。
ふと、目の前の黒い海が不自然な波のしぶきを上げて、月の光で輝く様が変容した気がした。
「どうにもできない事を、どうにかしようとする。それは無謀の身滅ぼしと一つだよ」
後ろから、常連客の一人、川山修司がからかいの笑みを口元に浮かべていた。
「君はそうやって波が変わることに、人生の特別な分岐があると思うか?」
川山は軽く厚い羽毛の外套を長い二本の指でさすって、大きく欠伸をしつつ腕を伸ばしのけ反る。のけ反っても後ろが窓ガラスだから体を動かすには不十分そうだ。
後ろ頭の重みをガラスにあずけている。
「川山さん。俺が海を見ても海は変わりゃあしません。けど、見ることで俺と多くの人の気持ちは変わります」
川山は一瞬呆けたようだが、身の丈に合わないほど大きな口で豪快に笑った。
童顔で体もそう大きくなく、無暗な高慢が過ぎて人から嫌われ、評価と値段の高い絵を描いて生活していた。自身の孤立を鼻と手のしぐさで笑い、周りを苛立たせるのでほとんど誰も相手にしなかった。
「市ノ助くんはたまにこういう返答があるから侮れない」
「あなたに苛立つだけです」
川山に対して幾分も気の乗る返事するつもりはないでいた。声の調子やら反逆した態度やらが気に入られてしつこさに折れ、澤宮はいつも気の利いた皮肉を周到にめぐらす癖ができていた。
列車が代わり映えしない月光の海を進み、停車場にたどり着き、車内の客らは外に出た。
ホームでは駅員が日常で出しそうもない調子の響く声で「悲海駅ー。悲海駅ー」と放送している。
「市ノ助くん、市ノ助君。そう汚い服で観覧に行くのも笑いの種だから、服を借りた。着たまえ」
「俺、ちょっと休んでから行こうと思います」
「そう言うな。こういうのは我先に出ないのは野暮なんだ」
澤宮は、気乗りしないし川山も面白くない事をする奴だと思った。
顔を濡れタオルで拭いてから炭や油で汚れた作業服からジャケットに着替えた。川山の小さな猫背を気にしつつ、澤宮は列車から降りた。
目の前は暗闇と月の対照した海の広がりで、青も群青も漆黒も在った。
空には白い明かりが軽妙に点り、暗く重い海に跳ね返る平易さがある。
その美麗な神秘さは、澤宮にも誰にとっても、
眠りの中で忍び泣くような侘びしさの在る光景だった。
一秒の間の波のうごめきや、雲の影が月光を瞬かす劇場が奏して、揺れの巡りが、観覧者たちへ巨大な動きがあるとさせた。
澤宮と川山はホームの端と波の届きそうな切れ間に立ち、その動きに見とれている。
川山はじっとしていた。澤宮は黙って月を見ていた。観覧者たちは一人も音を出ない美貌に釘付けにされている。澤宮は目と心の奥へ自然な流れが向かうことに気づかず、しばらく、風景と一体したような錯覚があった。
随分落ち着きがない海だと思った。
荒れてはいないけど、懐かしいほど遠くに葬ってきた存在の歴史があると思う。
愛すべきものを食らうような残酷さもある。
彼らの方に長身で細身、
茶色のジャケットと渋い抹茶色のスラックスを着た女性が歩み寄ってきた。
新見 静子(43)の名札を首から下げた案内人だ。
澤宮は175センチだから彼女もそれと大体同じになる。
彼女は問いに答える上では過大過小の表現をせず、また、必要以上も以下も語らないけど無愛想ではなかった。細長く低い鼻で、とても頭が良い印象がある。
美人ではあるけれど、可愛さと愛嬌が足りない風貌に窺える。それらの平凡な評価より実質な重みがある事柄は、彼女は教養から離れた哲学を背負っているように見え、強情や哀願をする女性より強いことだった。
なんらかの境地に至りつつも自分と人間の本質を見失っていない素晴らしさがある上、若く見える。
新見は彼らに何も言わずに二人と同じ方を向いた。
細くて折れそうな鉄柱から明かりが灯った。
澤宮と川山は、彼女と一緒に外灯の弱い光に当たる。
二十数人の観覧者の静けさは理解はしていても不思議な事だった。誰も声を出してはいけない事に注意がいかず、何も考えず、これと決まった事柄を思わない。
少しだけ歩くことはできた。
澤宮は新見の衣擦れの音で少しだけ言葉が巡って、それに伴った頭の澄んだ冷たさにどこかで驚いていた。そうありつつ、冷たさへの返句を練ろうとしなかった。
永野
序
愛が人の形の実像になると怯える性質は僕にもある。その人が愛を抱えられたとしても、泣き続ける経験で出来た辛さへの信奉と畏れがある。
そういう経験は僕にも山ほど有る。
かつては、人の根本である一期一会だって馬鹿に出来ていた。
けど、今なら人を信じることについて、大きな意味を喜びの圧として感じる。人を信じずに生きる事は、暗い景色の中に多くの人間を閉じ込めるものだと語る者は多いが、それは違う。実質は当事者が暗室に逃げ込むものだ。
違う解釈に響き、言葉遊びのような軽々しさで嘲るかもしれない。
僕はその狭く暗い場所に一つの光明すら要らない。
いつだって人は友人を想う事ができる。
想いこそ永遠の温もりで羅針盤だ。
これから教える物語は、泥の中に一滴の輝きを沈めるような逸話だ。
語り部はやや長い前置きだとしても何度も伝えたい想いの癖がある。
人生に無関係な語りとなったら仕方ないけれど、
気づいて胸の中で大事にしてもらえれば、語り部の人生として、最上の喜びを得るものだ。
1.
鈍重な鉄と炭が噛み合うたび、車輪は回転を速めて次の街に向かう。
蒸気機関車の黒いモヤも無ければ遠吠えもない。
澤宮一之助はあてもない旅によって生まれる何かを求めていた。
一ヶ月ほど経って、得るモノが何かという期待に満ち、もうすぐ手に入る感覚がしていた。
一年経つと欲しいモノが遠ざかった直感が強まり、大分焦って世界を周ったものの、目標から無意味に距離を空けた気がしてならなかった。
彼は時空列車を他の人と同じように、流行にかぶれた理由で選ばなかったし、
特殊に強い興奮を抱いたわけでもなく、世界一周旅行の延長線上の期待が大きくて応募にハガキを送った。
停車場でちょっとでも整備を手伝えば安く上がり、想った以上に大きな寝具も借りられた。何時の何処の場も回れて、後学になるからこれを逃す手はないと父親の免許を拝借した。
見まねで覚えた技術で大まかに済まし、細かい技術は聞きながら試し試しで過ごした。
金は貰えないけれど、列車を使う間は食事と風呂と洗面に心配がないため、物質的な困窮がなかった。
ふと、目の前の黒い海が不自然な波のしぶきを上げて、月の光で輝く様が変容した気がした。
「どうにもできない事を、どうにかしようとする。それは無謀の身滅ぼしと一つだよ」
後ろから、常連客の一人、川山修司がからかいの笑みを口元に浮かべていた。
「君はそうやって波が変わることに、人生の特別な分岐があると思うか?」
川山は軽く厚い羽毛の外套を長い二本の指でさすって、大きく欠伸をしつつ腕を伸ばしのけ反る。のけ反っても後ろが窓ガラスだから体を動かすには不十分そうだ。
後ろ頭の重みをガラスにあずけている。
「川山さん。俺が海を見ても海は変わりゃあしません。けど、見ることで俺と多くの人の気持ちは変わります」
川山は一瞬呆けたようだが、身の丈に合わないほど大きな口で豪快に笑った。
童顔で体もそう大きくなく、無暗な高慢が過ぎて人から嫌われ、評価と値段の高い絵を描いて生活していた。自身の孤立を鼻と手のしぐさで笑い、周りを苛立たせるのでほとんど誰も相手にしなかった。
「市ノ助くんはたまにこういう返答があるから侮れない」
「あなたに苛立つだけです」
川山に対して幾分も気の乗る返事するつもりはないでいた。声の調子やら反逆した態度やらが気に入られてしつこさに折れ、澤宮はいつも気の利いた皮肉を周到にめぐらす癖ができていた。
列車が代わり映えしない月光の海を進み、停車場にたどり着き、車内の客らは外に出た。
ホームでは駅員が日常で出しそうもない調子の響く声で「悲海駅ー。悲海駅ー」と放送している。
「市ノ助くん、市ノ助君。そう汚い服で観覧に行くのも笑いの種だから、服を借りた。着たまえ」
「俺、ちょっと休んでから行こうと思います」
「そう言うな。こういうのは我先に出ないのは野暮なんだ」
澤宮は、気乗りしないし川山も面白くない事をする奴だと思った。
顔を濡れタオルで拭いてから炭や油で汚れた作業服からジャケットに着替えた。川山の小さな猫背を気にしつつ、澤宮は列車から降りた。
目の前は暗闇と月の対照した海の広がりで、青も群青も漆黒も在った。
空には白い明かりが軽妙に点り、暗く重い海に跳ね返る平易さがある。
その美麗な神秘さは、澤宮にも誰にとっても、
眠りの中で忍び泣くような侘びしさの在る光景だった。
一秒の間の波のうごめきや、雲の影が月光を瞬かす劇場が奏して、揺れの巡りが、観覧者たちへ巨大な動きがあるとさせた。
澤宮と川山はホームの端と波の届きそうな切れ間に立ち、その動きに見とれている。
川山はじっとしていた。澤宮は黙って月を見ていた。観覧者たちは一人も音を出ない美貌に釘付けにされている。澤宮は目と心の奥へ自然な流れが向かうことに気づかず、しばらく、風景と一体したような錯覚があった。
随分落ち着きがない海だと思った。
荒れてはいないけど、懐かしいほど遠くに葬ってきた存在の歴史があると思う。
愛すべきものを食らうような残酷さもある。
彼らの方に長身で細身、
茶色のジャケットと渋い抹茶色のスラックスを着た女性が歩み寄ってきた。
新見 静子(43)の名札を首から下げた案内人だ。
澤宮は175センチだから彼女もそれと大体同じになる。
彼女は問いに答える上では過大過小の表現をせず、また、必要以上も以下も語らないけど無愛想ではなかった。細長く低い鼻で、とても頭が良い印象がある。
美人ではあるけれど、可愛さと愛嬌が足りない風貌に窺える。それらの平凡な評価より実質な重みがある事柄は、彼女は教養から離れた哲学を背負っているように見え、強情や哀願をする女性より強いことだった。
なんらかの境地に至りつつも自分と人間の本質を見失っていない素晴らしさがある上、若く見える。
新見は彼らに何も言わずに二人と同じ方を向いた。
細くて折れそうな鉄柱から明かりが灯った。
澤宮と川山は、彼女と一緒に外灯の弱い光に当たる。
二十数人の観覧者の静けさは理解はしていても不思議な事だった。誰も声を出してはいけない事に注意がいかず、何も考えず、これと決まった事柄を思わない。
少しだけ歩くことはできた。
澤宮は新見の衣擦れの音で少しだけ言葉が巡って、それに伴った頭の澄んだ冷たさにどこかで驚いていた。そうありつつ、冷たさへの返句を練ろうとしなかった。
作品名:Three timeless Movements 作家名:永野