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紡ぎ詩Ⅱ(stock)~MEGUMI AZUMA~

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揺れる

 進むべきか
 引くべきか

 ゆらゆら揺れる私の心は時計の振り子のよう

 天秤座の星は悩んで揺れ動いて
 進むべき道を選びながら生きていく運命の下にある―
 悩むのが宿命みたいなものだと
 そう言ってたのは鏡リュウジ先生だったか
 
 なるほど
 だから 私もいつまでも二つの考えのあいだを
 行ったり来たり
 優柔不断ともいえるこの性格

 だけど
 最後に決めるのは自分
 誰のせいにもできないから
 たとえ どんな道を選ぶとしても
 自分なりに精一杯考えて
 結果はすべて潔く引き受ける

 悩んで出した答えは
 揺れ動いていれば当然ながら今日と明日では違うけれど
 必ず良い方へ導いて貰えるのも天秤座だとか
 今はせめて占いでも信じて
 悩んで出した道を進んでみようか

 たとえ真実はどこにあろうとも
 現実はどうなろうとも
 信じる者は救われる?

 幻春~我の見し夢、それは現か夢か~ 

 眼を閉じて想いをはるかに馳せれば
 眼裏にひろがるは野の中の桜の大樹
 満開の桜花(はな)をたわわにつけた枝が重たげにしなり
 花は妖しい女のように私を誘いながら揺れる
 季節(とき)は春
 孤高の老人のような桜はただ凛然としてそこに佇み 咲き誇る
 時折風もなく舞い落ちるうす紅色の花びらたちが
 私の瞼の向こうで艶めかしく舞い踊る


 眼を開いて周囲を巡り見れば
 眼前にひろがるは野の中の桜の古樹
 今 枝には一つの花もなく ただ針のような尖った枝が蒼穹を刺すばかり
 樹は余生をひっそりと送る老女のように私を静かに見つめる
 季節はは冬
 隠者のような桜はただ静かな諦めを湛えてそこに佇み 何かを想う
 身の側を吹き抜ける寒風にも揺るがず
 冬の桜はただひっそりとすべてのものを見つめる

 風が吹く
 花が踊る
 私は吹く風に身を任せながら花を見る
 ひと刹那の静寂の後
 閉じた瞳を開けば 
 眼前にひろがるは花 また花
 空から散華のように降り注ぐ雪たちが桜の枝を花のように飾る

 我が見しものは夢か現か幻か
 呆然と立ち尽くす中にふっと眼前の光景はかき消えて
 そは早春の微睡みに見た浅き夢なり―と知る


春のおとずれ

 透明な陽差しに包まれた
 ちいさな ちいさな希望の芽
 あふれる光の輪にいだかれるように
 守られるかのように
 ひっそり息づいている
 我が家に春を告げる一番の使者は
 庭の片隅のふきのとう

 焦らず挫けず 
 ちいさな希望の芽を明日へと育ててゆこう
 夢を見る権利も
 夢を実現しようとする努力も
 誰にでも与えられているのだから

 冷たい早春の雨に濡れても
 小さな芽が日一日と健やかに育ちゆくように
 厳しい試練が眼の前に立ちはだかったとしても
 自分の心の中の希望の芽を
 夢という明日をひらく鍵を
 大切に育ててゆこう

 2015年早春
 日ごとに力強さを増す陽差し
 冷たさをはらんだ風
 今 旅立ちの予感にかすかに身をふるわせる
 ちいさなふきのとう
  
 さて、そろそろ本当に締め切りが近付いてきたので、この詩集にタイトルどおりストックした作品を投稿しようかと思い、今、パソコンに打ち込み直している真っ最中です―笑

☆『当たり前のことのように』(散文)

 我が家は毎朝、午前七時過ぎにまず、長女が自宅を出る。その時、私は台所にいて、朝食の支度をしていることが多い。このときも自転車置き場から自転車を引っ張り出してバス停に向かう娘の気配が伝わってくる。すると、向こうから主人が「気をつけて行ってこいよ」と、娘に声をかけているのも聞こえてきた。
 そのやりとりに、私の中で一つの光景が浮かび上がった。
 丁度、高校生だった私が元気な父と最後に言葉を交わした朝のことである。その日の夕方、自転車に乗っていた父はバスにはねられ、意識不明になってしまった。あの朝も、父がいつものように〝気をつけて行ってこいよ〟と私を送り出してくれた。
 事故の後、私は思ったものだ。気をつけてだなんて私に言った癖に、自分の方がもっと気をつけていれば事故にあわずにすんだかもしれないのに。もう、はるか昔のことだ。当たり前の何もない穏やかな日が当たり前のようにずっと続いていくということを信じて疑っていなかった頃だった。
 思えば、私は父とは十八年しか一緒にいられなかった。一口に言えば長いようだが、過ぎてみれば、あっというまの時間である。
 今朝の娘と主人のやりとりで改めて気づいたが、そういえば、自分が主人と結婚してもう十七年、 娘が四月から高校三年になるので、私が父と死に別れた年になったのだなぁと思った。朝っぱからから、あまり縁起でもないことを考えてはいけないと自分でも思ったが、今でも私の脳裏にくっきりと刻み込まれている父との最後の会話、その会話を交わした私の年に娘がもうなったのかと思うと、何か感無量というか不思議な気持ちになる。そして、父と娘の間でそのような何気ない会話が交わされる朝の光景は、けして当たり前のものではない―、改めて考えた。
 誰でも当たり前のように明日がある、時間は続いてゆくと考えているけれど、それは間違っている。人間にはいつ、何が起こるか判らない。それを教えられたのが父との別れだった。そう思えば、今朝の主人と娘のやりとりも何かとても大切なものに思える。


『いつかきっと~Dream come true!~』

 私には夢がある
 きっと誰にでも心の中にひっそりと思い描いている大切な夢があるだろう
 他人に笑われるような夢だとしても
 自分なりに真剣に考えている夢が

 以前から気になっていたある俳優さんがいた
 生き方とか考え方とか含めて何となく興味があったので
 ブログの読者登録なんかもしていた
 久しぶりにブログに行ってみたら更新が途絶えていた
 有名人なので、ネットで調べてみたら
 所属事務所を離れ独立していたことが判った
 自分で会社を立ち上げんだね
 
 きっと その人は夢を実現させたんだと思った
 私もいつかそんな風に夢を実現させたい
 どんな夢なのかは言わぬが花(たぶん、きっと)
 その俳優さんを見習って 自分もチャンスが来たとしたら
 迷わずつかみ取りたい
 チャンスが来なかったとしても 
 少しでも夢に近づくように努力したい
 最近 色んなことが判るようになった
 夢に到着する道は何も一つじゃない
 近道じゃなくても
 回り道でも 夢に近づく方法はあるはずだと
 そのためには小さな積み重ねを続けていくしかないと
 ささやかな努力の先にしか夢の実現はない
 だったら 私なりにその道を歩いていこうと
 そうして一歩でも夢に近づけたなら上出来じゃないか(たぶん、きっと) 
いつかきっと 私なりの夢という花が咲き誇りますように


☆ 気分は雨上がりの空のように

 昨日、書いた詩『いつか、きっと』の続きのような内容になると思う。
 あの詩の中で応援している俳優さんにメッセージを送りたいと思った。新しく立ち上げた会社のホームページにコンタクトを取れるスペースがあったが、何度試みても上手くいかない。