正常な世界にて
「どう考えても、あのバイトは変だよ」
帰りの地下鉄車内で、私はそう言わずにはいられなかった。すっかり疲れているけど、今ここで疑問をスルーするわけにはいかない。
「そうだよな。いくら楽な仕事とはいえ、時給が安すぎるもんな!」
いや、変なのはそこじゃない。
「違う違う。あの家の郵便受けを見たでしょ? 私たちがポストに入れまくったやつばかりだったじゃない!」
あの場の異様さを思い返す私。あの男は元々狂っていたかもしれないけど、なんらかの悪影響を与えてしまったのは確かだろうね……。
今やもう手遅れの事態なので、後悔の思いで頭が一杯に満たされる……。もしあの男から逃げずに、堂々と事情を話せば、先ほどの大惨劇は起こらずに済んだかもしれない。とはいえ、こんな無謀な選択肢は、安全な今だからこそ思い浮かんだのだ……。
「ボクらは、自分の身を守るために、あのチェーンソー野郎から逃げていただけだよ! 駅前でのことは、あいつ自身がしたことなんだから、ボクらは関係ない!」
坂本君はそう力説してみせる。だけど、いくらかの罪悪感は感じずにはいられない様子だ。
「今度のバイトで、高山さんに聞こう!」
この疑問を解くには、彼女に詳しく尋ねるしかなかった。この罪悪感に染まったモヤモヤをなんとかしなくちゃ……。
「ええっ!? それって、アイツを疑うことになるじゃないか!?」
尋ね方にもよるけど、確かにそうだ。
「アイツは精神病質で、いわゆるサイコパスというやつなんだぞ! 怒らせたらヤバいことになるに決まってる!」
「……できるだけ穏便にするから」
私はどうしても知りたいのだ。
「じゃあ勝手にしろよ。だけど、ボクは無関係だからな?」
「うん、わかった」
とはいえ、彼女と絶交になるだけでなく、敵という関係にもなるかもしれない。悲しくもあり、怖くもあった……。脳裏に、不気味な笑みを浮かべる彼女の顔が浮かび上がる。真剣な覚悟を決めなければいけない場面が、人生のすぐ先に用意されたように感じた……。