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夫の顔

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あっという間に、私は『イケテル女』になった。なんのことはない。化粧をして、流行の服を着ていればいいのだから。
「つきあおうぜ」
ケイタを手に入れてしまえば、もうそれでいい。他に遊び相手はいるようだが、どうでもいい。私が一番なら、それでいい。だって、私の目的は、お金。あんたなんかに興味はない。
 ショウゴにあっさり別れを告げ、ショウゴの部屋を出て、私は外で待っていたケイタのセルシオに乗り込んだ。駐車場には、ショウゴの軽トラが止まっていた。あんな乗り心地の悪い車、もう二度と乗らない。
寮の窓からは、ショウゴが悲しげな目で私を見つめていた。
バイバイ、ショウゴ。私はお金持ちになるの。アンタもがんばんなよ。

「お客さん、降りますか? 動きそうにないんでねえ」
ハンドルを握る左手の薬指には、指輪が光っている。結婚、してるよね。私もしてるもん。
「運転手さん、子供いるの?」
あ、いきなりこんなこと聞いちゃった。
「え? ああ、いますよ。三人。一番上は今年から中学生なんですよ。がんばらんとねえ」
そうなんだ……いい人と出会ったんだ……

「妊娠したの」
「はあ?」
「だから、妊娠したの」
カノジョになって五年目、私は強硬手段に出た。
フワフワと女をちらつかせるケイタの『お金』を不動のものにしたかった。もちろん、妊娠なんてしていない。
「まじかよ」
「どうしよう」
「どうしようって……結婚、するよ」
意外だった。オロセとか言うと思って、お金だけとってやるつもりだった。
婚約をして、すぐに式を挙げ、入籍するまで一ヶ月。嘘だと言えなかった。バレたら、詐欺とかになるのかな……どうしよう。でも、お腹の中には何もない。早く……早く言わないと……
切羽詰った私は、嘘を重ねてしまった。
「流産した」
「えっ! 嘘だろ!」
そういって、ケイタは目の前で泣き出した。嘘……楽しみにしてたの? 
「ゴメン」
「仕方ないよな。悲しいけど……仕方ないよ」
私はとんでもない十字架を背負ってしまった。こんなつもりじゃなかったのに。もう子供を生むことなどできない。私の犯した罪は大きすぎる。
それから、私は仕事に打ち込んだ。疲れているからといってセックスを避け、仕事が忙しいからと家事もしなくなった。離婚しようと言ってくれる日を待ち続けたが、ケイタは言ってくれなかった。

 七時二十五分。ケイタからの電話が鳴った。
「今どこだよ」
「渋滞で動かないの」
「はあ? 仕方ないな……もう始まるから中入るけど、ついたら電話しろ」
「わかった」
通話時間十五秒。これでも長いほうかもしれない。
「大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫です」
もう降りる必要はなくなった。ゆっくり乗っていこう。
「今日、ニューオータニで何かあるんですか。何人か乗せてましてね」
「ええ、政治家さんのパーティがあるんです」
「そうなんですか」
「運転手さん、長いんですか? タクシーは」
「五年ほど前にね。勤めていた会社が倒産しまして。それからです」

「独立するよ」
「これからどうするの? お金は大丈夫なの?」
ケイタは頷くだけで、それ以上は何も言わなかった。
五年前、ケイタは勤めていた会計事務所を辞め、コンサルタント会社を立ち上げた。会計士として優秀だったらしい。あっという間にクライエントをつけ、事務所は大きくなった。
主なクライエントは政治家。夫は『処理できないもの』を処理する会計士。
月に一回か二回、『先生方』のパーティに出席する。よほどのことがない限りは、夫婦同伴がルール。私達は、仲睦まじい、美男美女のセレブ夫婦を演じる。腕を組み、微笑み合い、時には夫が私の肩を抱く。
おきれいな奥様ですね、と言われケイタは満足そうに笑い、素敵なご主人ね、と言われ私も満足そうに笑う。ちっとも満足なんてしていないのに。ああ、でも、ケイタは満足してるのかな。だって、あの人が求めるのは見た目だもの。あの人が好きなのはサクラマスミではなく、サクラマスミの『見た目』だもん。
「妻のおかげで、仕事に打ち込めるんですよ」
そうね、私はいい妻。あなたの望む『いい妻』なのよ。

「大変でしたね」
「まあねえ。でも、嫁さんが言ってくれたんですよ。しばらくゆっくりして、子供と遊んでやってって。私がパートに出るからって。それまで結構忙しくて、子供と一緒に遊んでやることもなくてね。ほんと、感謝してますよ」
「いい奥さんなんだ」
「そうですねえ。いい女です」
ショウゴ、幸せなんだね。なんか安心した。
「つきました。時間かかってしまって、申し訳ありません」
「いいえ、渋滞は運転手さんのせいじゃないですから。おいくらですか」
「二千八百六十円です」
私は一万円札を出した。
「おつりは結構です」
ショウゴは少し怪訝な顔をし、ありがとうございます、と言った。自動でドアが開き、降り際に、ショウゴが手を握った。
「幸せか」
「……幸せだよ」
「そうか、そんだらええ」
ショウゴがどんな顔をしていたのか、それは見えなかったけど、きっと、笑ってたよね。だって、ショウゴはいっつも私に笑ってくれてたから。
ほんとはね、時々思うんだ。あの時、あの部屋を出て行かなかったら、ケイタと花火に行かなかったら、あの塾でバイトしなかったら……でも、もう二十年は戻ってこない。戻ってこないんだよ。バカだったね、私。ほんとバカ。
バイバイ、ショウゴ。幸せに、ずっと幸せでいてね。

「今ついた」
「ロビーで待ってろ」
五分ほどして、イケメンのビジネスマンが迎えに来た。ああ、よく見たら夫だ。
「遅かったな」
「渋滞だったっていったでしょ」
時間は七時四十八分。会場に入る前に、ケイタが肘を出した。腕組めってことね。はいはい。腕を絡め、笑顔で会場へ。こんなこと、いつまで続けるんだろう。バカみたい。
テーブルにつくと、相変わらずきれいだとか素敵だとかお似合いだとか、もう聞き飽きた褒め言葉をうんざりするくらい聞かされ、そのたびにありがとうございます、と大袈裟に喜んだ振りをしなければいけない。もう疲れる。ウツになりそう。
そういえば、ノジマくん、大丈夫かな。もう少ししたらタヤマくんに電話してみよう。
はあ、つまんないな。無理に笑ってると、顔が引きつりそう。ご飯もイマイチおいしくないし。もう帰りたいな。
 九時を過ぎると、パーティはお開きになった。やっと終わった……まだ今からタヤマくんのところに行かないといけないのに、すごく疲れた。
腕を組んで、みんなに挨拶をして。ああ、足が痛い。このヒール、絶対靴擦れする。
固まった笑顔でタクシーに乗ったとたんに腕を解く。お互い外側に顔を向け、私達は顔を見ない。
「仕事があるから、会社戻るんだけど」
「運転手さん、駅で降ろして」
家に帰るの? それともオンナのところ? まあ、どっちでもいいけど。振り向きもせず駅へ向かう夫を見送り、運転手に地図を渡す。
「ここ、行って下さい」

 タヤマくんのマンションにつくと、もう十時を過ぎていた。電話するタイミングも逃してしまっていた。えーと、305……ああ、ここか。
「サクラです。ごめんね、遅くなって」
作品名:夫の顔 作家名:葉月 麗