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キツツキ、翔んだ

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 やがて蓮見さんは、とんでもないことを言いだした。
「ねえ。これからどこかに遊びに行こうよ」
 まいったな。これはぼくにとって、本当にとんでもないことだ。
「なんだよ。あんた、ぼくに勉強教えに来たんだろ」
「勉強もいいけどさ。たまには外に出ないと、もやしみたいになっちゃうよ。あんた、顔青白いしさ。いやなの」
「いいけど…」
 ごくは顔をしかめた。
「庭までだよ」
 蓮見さんは首をかしげた。
「どうして? どうして庭までなの?」
「庭の外には鬼や悪魔がいて、一歩出たとたん、ぼくは食い殺されちまうからさ」
 蓮見さんはいっしゅんあっけにとられ、それから思いっきりふきだした。
「なに、それ」
 げらげら笑っている。
「あんたってうわさ以上の変わり者ね」
 思いきり笑ってしまうと、蓮見さんは言った。
「庭まででもいいよ。少し歩かなくちゃ。そのうちほんとに歩けなくなっちゃうよ」
 蓮見さんといっしょに、ぼくは庭へでた。
 こおりついた冬の森を、ぼくは蓮見さんと歩いた。こんなのも悪くないな、とぼくは思った。一人もいいけれど、こんなふうにときどきいっしょに庭を歩く人がいるっているのも悪くない。

 やがて春がきた。
 あれから蓮見さんは、三日に一度は必ずうちにやってくる。
 ぼくも蓮見さんには、あまりわがままを言わなかった。
 ふたりともなんとなく気が合ったし、ときどき男の子みたいな口のききかたをするけれど、蓮見さんはぼくがいままで出会った中でいちばんまともな人間だと思う。
 きょうもぼくたちは、庭を歩いている。
「だいぶ顔色よくなったよ」
 蓮見さんが立ち止まり、ぼくの顔をのぞきこんで言う。
 そりゃそうだ。これだけ歩けば顔色だってよくなる。
 だけどぼくは、あいかわらず庭の外へは出なかった。
 蓮見さんが帰るとき、ぼくは必ずみおくったけれど、それもあの門の少し前までだった。
「ここまでしかおくれないよ」
というと、蓮見さんはいつもへんな顔をした。
 ぼくだって本気で、このうちの外に鬼や悪魔がいると信じているわけじゃない。ぼくはここから外に「でられない」のだ。
 そのことに気づいたのは、半年前だった。
 それまでは「でられない」のではなく、「でない」だけだと思っていた。
 その日ぼくは、窓から紙飛行機を飛ばして遊んでいた。どれもなかなかうまく飛ばない。森の前の芝生に、白い紙飛行機がてんてんとちらばった。こんなのはべつにかまわないのだ。どうせ吉永さんが片づけてくれる。
 ところがあれは十機めだったか二十機めだったか、ものすごくよくとんだ紙飛行機があった。紙飛行機は風にのって、ぐんぐん飛行距離をのばし、とうとう門を越えてアスファルト道路にぽとんと落ちた。
 ぼくはその紙飛行機がとてもおしくなった。
 でもいざ紙飛行機を取ろうとして門に近づくと、それだけでぼくの足はがたがたふるえはじめたのだ。そしてとうとう、ぼくの足は止まってしまった。
 あぶら汗を流しながら、ぼくはもういちどふみだそうとした。
 一歩も動けなかった。

 蓮見さんが大きな黒い箱をかかえて、部屋に入ってきた。
 蓮見さんは机の上に箱をおろすと、いたずらっぽく笑ってそっとふたをあけた。
 なかからあらわれたのは、ラグビーボールくらいの黄色くくすんだ卵だった。
「なんの卵?」
とぼくはきいた。
「恐竜の卵」
「はは、まさか」
「うそはいわないよ。これはいまから七千年前、白亜紀後期の恐竜の卵の化石」
「ほんとうかなあ」
「疑り深いわね。ほら、もってごらん。落とさないように」
 蓮見さんからぼくは卵を受け取った。卵はずっしり重かった。
「すごいだろー。この中には、恐竜の赤ちゃんも入ってるんだ」
「重いよ」
とぼくはいった。
「うそじゃないのはわかったよ。おろしてもいいだろ」
「なによ。だらしがない。ちゃんと運動しないからだよ」
 ぼくは箱の中にそっと卵をもどした。
「白亜紀後期っていうのは、恐竜が絶滅してった時代なんだけど、そのころの卵はすごく殻がうすいのよ。これじゃ、なかの赤ちゃんは骨格をつくるカルシウムを吸収できなかっただろうって」
「へえ」
「だからこれは絶対にかえらない卵」
 蓮見さんはそういって、さみしそうに笑った。

 その日もぼくらは庭を歩いていた。
 とつぜん、蓮見さんが立ち止まった。あれ、へんだぞ、とぼくはすぐに気づいた。蓮見さんは、いつになくまじめな顔をしている。
 蓮見さんがぼくの手をぎゅうっとにぎりしめた。
 そして、ぼくをぎゅうぎゅう引っぱって歩きはじめた。
「やだ。やめろ!」
 蓮見さんがなにをしようとしているのかわかって、ぼくは声をあげた。
 ぼくをつれて、あの門の外へ出ようとしているのだ。
「やめろよ、蓮見さん。じょうだんだろ」
 いくらさけんでも、蓮見さんはやめない。口をきっとむすんだまま、ぼくをぐいぐいひきずっていく。
 蓮見さんの手をふりきって、ぼくはその場にひっくりかえった。
「さあ、立って」
 すぐに蓮見さんの手がのびてきた。その手をぼくはふりはらった。
 蓮見さんはかまわず、もういちどしっかりとぼくの手をとった。
「だめになっちゃうんだ。あんた、このままここにいたらだめになっちゃうんだ。それよりも鬼や悪魔に食われたほうがいいんだよ」
 ぼくをずるずるひきずりながら、蓮見さんはしゃべっている。
 門がどんどん近づいてきた。
 足ががたがたふるえはじめた。
「お願い! やめて!」
 ぼくは、わーわー泣きだした。
 そのとき後ろで声がした。
「よしてくれないか。その子はいやがってるんだから」
 坂口さんだった。
 蓮見さんの手がゆるんだ。ぼくはすかさずぬけだして、坂口さんのほうへ駆けた。坂口さんの後ろにかくれて、ぼくは蓮見さんに思いきりあかんべーをしてやった。
「どうも、すみませんでした」
 蓮見さんは坂口さんにぺこりと頭をさげると、門から外へでていった。そしてそれきりもどらなかった。
 蓮見さんがぼくの家庭教師をやめたことを知らされたのは、それから三日後だった。

 やがて五月になり、庭の森の木がいっせいに葉をひろげはじめた。まるですばらしい手品を見ているみたいだった。
 蓮見さんはあれきり姿を見せなかったけれど、ぼくはひとりでもくもくと庭を歩きつづけた。そして、ある日、一本の木にコゲラの巣を見つけた。
 幹のまんなかあたりにぽこっとあいた巣穴から、たくさんのさえずりの声が聞こえる。そして親鳥がいそがしくその穴を出たり入ったりした。とうとう見つけたぞ、とぼくはうれしくなった。だいぶ前から、コツコツと幹をたたく音が森いっぱいにこだましていたのだ。
 そのうちひな鳥たちは、飛ぶ練習をはじめた。
 だけど一羽だけ、どうしても飛べないひな鳥がいた。そいつは、いつでも巣穴からちょこんと顔をだして、兄弟たちが飛ぶのをながめている。
 毎日みているうち、なんだかおかしなぐあいになってきた。そのひなの姿が、窓から外をながめている自分のように思えてきたのだ。
 なんだかぼくはおそろしくなった。
 ぼくは本当にここで死んでいくのだろうか。このうっそうとした森にかこまれて、ひっそりと。
 外へでてみよう。
作品名:キツツキ、翔んだ 作家名:関谷俊博