社会批評
労働について
労働は一定時間の身体の拘束を伴うもので、当然一定の苦痛を伴う。だが、労働は一方で喜びも生み出す。私は、労働の正の側面を、労働が自己が他者に何かを与えるものであることに求めようと思う。
高度に分業化された現代社会において、労働は自己の生存を保つだけの業務ではありえない。自己の生存を独力で保つには個人の力量は足りな過ぎる、それほど現代の人間は多様な財・サービスに基づき生活している。個人が独力で作り出せない生活物資は他者から与えられるのであり、逆に言うと個人は他者にとっては自己の業務によって与える立場に立つのである。例えば、普通のサラリーマンは農家から食料を与えられる。一方で、例えばそのサラリーマンがガス会社の職員だったら、逆に農家にガスサービスを与えることになる。つまり、高度に分業化された現代社会では、労働はほとんどが他者に何かを与える行為になっているのだ。このような現代の社会構造が、労働をやりがいのあるものとして成立させていると私は考える。
労働者は他者に与える財・サービスを生み出すので、当然他者に対して失礼があってはならない。労働者は自分の分野のプロフェッショナルになり、ハイクオリティの財・サービスを提供するために日々自己研鑽を重ねる。まず、そこに自己実現の契機があると言っていいい。一つの業務に精通していく、そこでの知識やスキルの獲得による成長・達成、これは労働者にやりがいを与える。労働者はプロとして仕事をすることで、大きな自己実現を達成するのである。
それだけではない。労働とは他者に与えることだから、常に他者からの承認が返ってくる。労働のあて先からダイレクトに来なくとも、上司や同僚からの承認は返ってくる。与えるという行為は他者からの承認の前提なのであり、労働という与える行為は、労働者の承認欲を満たす。ところで、人間の社会的欲求の中で一番大きいのがこの承認欲だ。そして、仕事は現代において他者に何かを与えるものである以上、必ず他者からの承認が返ってくるのである。
高度に分業化された現代社会における労働は、他者に与える行為という形態をとる。それは一方では労働の専門化による労働者の自己実現を生み出し、他方では労働を他者に与えることに基づく他者からの承認を生み出す。現代社会において、労働は構造的に正のフィードバックを労働者に与えるものなのだ。